迫る妹
クレオパスは大きくため息を吐いた。
どうしろって言うんだよ、と心の中で呟く。手には魔術書を持っているが、文字が滑って見える。勉強に全く集中できない。
先ほど、バシレイオスに会った時に、こっそりと『メラン一族当主は子供に甘いから脱走させる可能性がある。気をつけるように』と言われた。
多分、そのつもりであちらも動いてくれる予定なのだろう。でもきっと難しい。シンガス一族が、よその一族の問題に介入しすぎるのは良くないという事はクレオパスでも分かる。
だからクレオパスが自分で解決しなければいけないし、だからこそバシレイオスは伝えてくれたのだ。
感謝しなくてはいけない。彼と話し合いをしてくれたというコスティスとカルローエにも。
とりあえず、もしルーカスが脱走した時の為に色々考えておかなければならない。
「ねえ、クレオパスさん」
そんな大事な事を考えているのに、邪魔してくる者がいる。リルだ。
「何?」
「サボり?」
期待した目で尻尾を振りながらそんな事を言ってくる。
「違うよ」
さらりと答える。嘘ではない。ただ、考え事をしていただけだ。
今はリルとリビングで勉強会をしている。と、いうか、リルの宿題の監督をしつつクレオパスも勉強していると言った方が正しい。
ミーアは自室で真面目に勉強している。どうやら勉強の本が辞書も含めてかなり多く、テーブルを占領してしまうということでこういう形にしたのだ。
今の勉強が終わったら『ミーア先生の獣人共通語教室』をする事になっている。
「リルさんは宿題終わった?」
「全然。分かんないからリルもサボっちゃおうかなって思ってた」
「だからおれはサボってない!」
「サボってるように見えたよ」
まだそんな事を言っている。どうしても宿題をやりたくないようだ。
「今の勉強に飽きたんならリルの国語の宿題やる? 最近獣人共通語の勉強してるんでしょ?」
「まだ二年生の所を習ってるから無理」
「えー? まだそんなとこなの?」
酷い言い草だ。クレオパスはつい最近勉強を始めたばかりである。ミーアには『覚えるの早いね』と褒めてもらったくらいだ。
「いいな、クレオパスさんは一教科しかなくて」
なんだか変ないちゃもんをつけられてしまった。昨日、フランクが遊びに来ていたから次の日に回せる宿題は後回しにしたのだ。
ただ、クレオパスの獣人共通語の授業と宿題は後回しにはさせてもらえなかったが。それは『ミーア先生』が厳しいからである。その宿題は事前に自室で終わらせた。
「多分、おれのやってる勉強の方が難しいと思うよ」
「本当に?」
とりあえずフォローをするが、疑われてしまった。ため息をついて魔術書に戻る。リルが時々話しかけてきたりしたが、その度に軽く注意してなんとか二人とも勉強を終わらせた。
ふぅ、と深く息を吐く。少し疲れたのかもしれない。リルも同じなのか机に突っ伏している。
お互いにお疲れ様と言い合った。
「ところでクレオパスさんさ」
いきなりリルが話しかけてくる。この後に来る質問は何だろう。きっと、今の流れだと『どんな魔術を勉強してたの?』だろうか。
「うん、何?」
だから軽く返事をする。
「この間の事考えてくれた?」
「この間?」
何の話だろう。クレオパスは何か彼女に頼まれごとでもしただろうか。でも、保留してある頼まれごとの心当たりはない。
「ほら、ミュコスに行くって話」
「はぁ?」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
その話は断ったと思っていた。クレオパスの中ではもう終わった話だった。
だから素直にそう答える。リルは『えー』と不満の声を漏らした。
「えーじゃないよ。何だよ、この間から!」
つい怒鳴ってしまう。それも無理はない。
「リルさん、最近変だよ」
「え? いつも通りだよ?」
「だからどこがだよ!」
この間と同じ事で言い合いになってしまった。
一体リルに何が起こっているのか分からないが、この提案に頷いてはいけないのは何となく分かる。
だからと言って、原因を追求する事で追い詰め過ぎたら泣かせてしまうような危うさも見えるような気がする。
ここは年長のクレオパスの方が落ち着かなければならない。
でもそれはとても難しい。
「付き合えばいいんだよね?」
「だからダメだよ。おれら好き合ってないだろ」
「でもカムフラージュにされるよりはよさそうだよ。リル、クレオパスさんの事は好きだしさ」
「カムフラージュ?」
気になる言葉が出てきた。こうやってポロポロと漏らしてくれるのならありがたい。そして、口調からしてリルの言っている『好き』はそういう意味ではない。
復唱されてリルは自分の失言の気づいたらしい。ハッとして口をつぐんだ。
「リルさん?」
「いいじゃん別に帰る時に一人増えたって!」
リルが何故か迫って来た。先ほどの失言をごまかすためなのか、やけになってしまったのかは分からないが、これは良くない。
「お願い、連れてって」
そんな事を言われても困る。
泣かれても本心を聞くべきだろうか。可愛い年下の女の子に間近でじっと見つめられるのは落ち着かないが、思い切って口を開く。
「あのさ、リルさんは……」
「何やってるの!?」
いきなり甲高い声が聞こえて来る。リル越しにそちらを見るとミーアがわなわなと唇を震わせている。
これは、来てくれてよかったのだろうか、それとも悪かったのだろうか。
リルもそちらを見て『……お姉ちゃん』と呟いている。
とりあえず口パクの獣人共通語で『たすけてください』と伝える。ミーアがどうしたらいいのかよく分からない複雑そうな表情になった。
年上の威厳はどこかに行ってしまった気がする。
とりあえずお願いは聞いてくれるようでミーアがこちらに来た。そして、リルの耳をむんずと掴んで引っ張った。大きくて長く垂れ下がっているから掴みやすそうだ。
「お、お姉ちゃん、爪が!」
「クレオパスさんが困ってるでしょ。何してるのか知らないけど迷惑かけるんじゃないの!」
ミメットみたいな口調でリルを叱っている。リルがシュンとした。自業自得だ。
「だって……」
「つべこべ言うならこのまま引っ張ってくからね!」
「お姉ちゃん!? リルの耳はロープじゃないよ! やめて! 痛いぃー!」
「じゃあ文句言わないの!」
ミーアのおかげでなんとか開放された。ほっとする。
「あ、二人とも勉強は終わったよ」
それだけは伝える。
「分かった。じゃあリルの教科書とノート片付けてくるね。部屋で準備して待ってて」
「うん」
二人だけで話を進めておく。リルは逆らう気はもうないようで大人しくしていた。




