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ジュースの瓶

 洗面所で思い切り顔を洗う。

 それでも頭からミーアの着替え姿の想像が消えてはくれなかった。


 これではミーアに『スケべ!』と言われるのは当然だ。怒って悪かったかもしれない、と素直に反省する。


「にゃんにゃにゃ。にゃにゃにゃ」


 ミーアの声まで聞こえてきた気がする。でもこれは幻聴だろう。今頃彼女は着替えをしているはずだ。


「にゃぁー?」


 でも、声はミーアだ。とりあえず確認しようと目を開けようとする。だが、顔中びしょぬれだ。今、目を開ければ間違いなくその額から目に水が飛び込んで来るだろう。

 とはいえ、風魔術を使うわけにはいかない。本当にミーアがいたとしたら間違いなく怯える。無詠唱なら大丈夫というわけではないはずだ。


「にゃお!」


 タオルはあっただろうかと手探りをしようと考えた時、顔に何やら布が当てられた。自然に『うわ!』と驚きの声が漏れる。だが、それは押さえつけられていたせいで『ぐむ!』としか出て来なかった。


「にゃんにゃにゃんにゃ。にゃにゃんにゃ。にゃんにゃんにゃ」


 そのまま布でごしごしと顔を拭かれる。でも、それは乱暴なものではなくとても丁寧に思えた。布の向こうからかすかに肉球の感触がする。


 これは何だろう。とりあえず解いていた通訳魔術をもう一度発動させる。


「クレオパスさんは甘えん坊ですね。リルみたい」

「ちょっと待って! ミーアさん!」


 思い切り子供扱いをされている。それも二つも年下の少女にだ。

 きっとリルなら大喜びするのだろう。やけに手慣れていた所をみると、よく同じような事をリルにやっているようだ。


 ミーアはクレオパスを弟のように扱う事で恐怖心を克服しようとするつもりなのだろうか。年上のクレオパスとしてはとても不本意だ。


「おれ、自分でも顔拭けますよ」

「知ってます。でも、こうしないと気づかないみたいだったから」


 ミーアは困ったように言う。最初は普通にタオルを手渡そうとしていたのだろう。でも無視されたという事だ。

 わざとではないにしても悪いことをしたと分かったので素直に謝罪する。ミーアは飲み物の用意がまだだった、と言ってリビングに引っ込んだ。


 顔についた水滴の残りを拭き取り、クレオパスもリビングに行く。そしてミーアが持っているものを見てつい声をあげてしまった。


「ちょっ! ミーアさん、それって……」

「ミャァ……」


 ミーアは猫鳴きをしている。これは人間が吹く口笛みたいなものだ。つまり、都合が悪いのでごまかしているのだ。その証拠に目がそらされている。

 たしかにミーアとリルは姉妹だと、クレオパスは完全に理解した。


「……ミーアさん?」


 さすがに笑ってすますわけにはいかない。クレオパスはわざと低い声を出した。ミーアがびくりと震える。可哀想だが、震えてもらわなければならない。


「ミーアさん、それっていつも夕食のデザートに出るジュースだろ。おやつに飲んじゃダメだって言われてるじゃないか!」

「いいじゃない。どうせリルは今頃カフェで高いジュース飲んでるんだから。なんとなく悔しくない? これそんなに高くないはずだし一杯くらいなら大丈夫よ」

「カーロさんとミメットさんに叱られるよ」


 ミーアは困った顔をした。今、彼女の中で良心と欲望が戦っているのだろう。


「片付けてくる」


 瓶を取り上げ、それだけ言って踵を返す。最後に見たミーアの表情はとても悲しそうだった。

 ミャァーという心細い声が響く。


 悪いことをしているんだという罪悪感がクレオパスの心の中に入り込んでくる。仲直りのために美味しいものでもてなしてあげようという彼女の気持ちを踏みにじっているのだ。


 どうしようかと悩んで改めてジュースの瓶を見る。そして息を飲みそうになる。かろうじて声は抑えられた。ミーアに心労をかけるわけにはいかない。


「クレオパスさん?」


 だが、ミーアは少し不安になったようだ。クレオパスが急に立ち止まったのだから当たり前だろう。


「……飲もうか」


 振り向いてそう言うと、ミーアが訝しげな顔をする。いきなり気持ちが変わったのだからあたりまえだろう。


「そんな哀れな声出されたらおれの方が悪いことしてるみたいだし?」

「ニャ……。ご、ごめんなさい?」


 本当のものとは違う理由を出したが、ミーアはすんなり信じてくれた。


「カップ持ってきますね」

「うん。ありがとう、ミーアさん」


 クレオパスがお礼を言うとミーアはすぐに食器棚に飛んで行く。その隙にクレオパスは改めて瓶を見た。


 どうやらこの瓶はまだ開封されていないようだ。昨日まで飲んでいたものと種類は同じだろう。色も一緒だ。

 ただ、開封されていないのでつい不安になってしまう。本当にこれは昨日まで飲んでいたものと一緒のものだろうか。


 とりあえず確かめようと考える。だが、それに書いてある文字を読み終わらないうちにミーアが戻ってきてしまった。


「これは『とっても美味しいオレンジジュース』って書いてあるんですよ」

「『とっても美味しいオレンジジュース』?」

「そういう名前なんです」


 ミーアがラベルの文字について説明してくれるが、クレオパスが見ていたのはそっちではない。その隣にあった魔術式だ。それは魔力持ちでないと見れないようになっている。この短時間で分かった事はそれだけだった。


 どうやらこの瓶には魔術が付与してあるようだ。術者が術式を隠した理由は分からない。でも、これが獣人を害するものではないといい、とクレオパスは願った。


「獣人共通語も覚えないといけませんね。あたしの昔の教科書使いますか?」


 そんな事を知らないミーアは能天気にそんな事を言いながら慣れた仕草でジュースの瓶を開封する。


 獣人共通語を覚えられるのはありがたい。ミュコス文字なので発音は大体分かるが、意味は魔術を使わなければ分からないのだ。

 ただ、あと数ヶ月で帰るかもしれないのに勉強するべきなのだろうか。


 クレオパスがそんな事を考えている間にミーアはコップに均等にジュースを入れ、瓶を地下室に持って行ってしまった。さすがに二杯以上飲むのはまずいと思ったのだろう。


 彼女がいないうちに急いでカップの中身に異物が入ってないか解析をする。結果は安心出来るものだった。他の変な物も混入していないようだ。


 『毒見』の術を使うのは久しぶりだ。これはクレオパスが使える中でも得意な分野に入る魔術の一つだった。だからミーアがいたとしても悟られないように術を使う自信はある。それでもいない時にした方が安心なのだ。


 念のため一口飲んでみたが、クレオパスも知っている、そして毎日飲んでいるオレンジジュースだった。

 だったらなおさらあの魔術式の効能が分からない。


「クレオパスさん! 何で先に飲んでるんですか!」

「ごめんごめん。その、ちょっと味見を……」

「にゃぁー!」

「ごめんってば!」


 戻って来たミーアが文句を言っている。それをあしらいながら、クレオパスは夜にあの瓶をもう一度見ようと心に決めていた。



 ちなみに、ミーアとクレオパスが勝手にジュースを飲んだ事は当然すぐにミメットにばれ、こっぴどく叱られたのは言うまでもないだろう。

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