1.サイショトサイゴ
宇宙の中に一つ、ボクらが暮らしている星がある。ここでは様々な生物が同じ言葉を話し(学校に通えないなどの理由から言葉が通じない生物もいる)、それぞれの生活のために働いている。そんな《チキュウ》に回りが海で囲われた円型の島国があり、また、この島国は四十七に領土分けがされていて、これを《四十七領》と呼ぶ。
「この四十七領の中でも特にここ《アオモリ領》は緑豊かで農業が盛んであり、その種類も多い。なかでも香り高く濃厚で真っ赤な果実の生産量が《ジャパン》の中で、トップである。……らしい」
「いや、らしい。じゃなくてぇ。トップですのでねぇ」
空。少々の雲。つまり、良い天気。
田畑。見渡す限り田畑。つまり、広大な田畑。
空腹。お腹が空き始める、お昼前。つまり、空腹。
馬車に揺られ小一時間程経つ。この辺鄙で緑な場所《アオモリ領》に来たのは当然、《リンゴ》なる物を食べることが目的ではない。それでいて営業などの為でも全くない。
「すみません、何せ勉強不足でして。知り合いの話でしかここについては聞いたことがなくて。……とりあえず目には良い場所だとその者から教えてもらいました」
もう一度すみません、と馬車に軽く頭を下げる。まあ、正確には馬車の馬に頭を下げたのだが。
「緑に富んだ領土ですのでねぇ。目だけでなく体にも良い場所ですなぁ」
と、馬は語る。
「確かにそうですね。この綺麗な空気、都では出会えません」
「はっはっ、そうですかぁ。私は都の方には行ったことがないので比べようがありませんが、その感じからするとあまり空気が綺麗でないと思いますからねぇ」
「その通りですよ。あの空気の汚さったら。匂いなどに敏感なボクからすれば地獄みたいな場所ですかね」
すんすんっ、と軽く鼻で空気を嗅ぐ。草花の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「はっはっ。お客様のような方には住みづらい場所でありましたかなぁ。なんでも便利になれば良いというものではない、ということでしょうかぁ」
「……全くです。住みづらいったらありゃしない。ようやく慣れてきた所だったんですけど、この空気に触れてしまったらね」
ガタガタッと、軽く車が揺れる。
「おっとぉ、すみませんねぇ。少しばかり道がガタついておりますのでぇ」
「構いませんよ」
「今日も明日も明後日もぉ、安全運転第一にぃ、お客様をお運びしますぅ。ジョリンゴンでございますぅ」
駅近くの馬車乗り場で、ジョリンゴンさんと出会ったのが小一時間前。
他の馬車の馬に比べてやたらと大きい体。全身真っ黒のボディに、やたらと長く艶のある真っ白のたてがみ。上に向いて真っ直ぐに伸びたこれまた真っ白なまつ毛。瞳が大きく耳も大きい。そして銀色の尻尾を三つ編みしている。外見の派手さにも驚いたがこの名前にも驚いた。ジョリンゴン。最初はニックネームか何かかと考えけど、本名と知った時は……。うん。まあ、そうだね。……いいセンスを持った親もいるもんだな、と。
「お客様、お気分はよろしいですかなぁ?」
「あ、ええ。大丈夫ですよ。車酔いもしない方なので、良い景色と良い空気で、気分はかなりよろしいです」
「それはよかったぁ。実は以前、お客様と同じ種族の方をお運びしたのですがねぇ。その方、馬車酔いでなかりゲロゲロしておりましたゆえ、お客様も大丈夫かな、と心配しておりましたぁ」
「それは親切にありがとうございます。……そうですね。ボクは多分酔わない方なので、おそらく個体差があるのかと考えます」
「おほぉ、なるほどぉ」
バフバフと鼻を鳴らすジョリンゴンさん。
「おほぉ、むふぅ。気持ち悪くなったら仰ってくださいね。ちゃんと止まりますのでぇ」
「親切にすみません」
全く、こんなところで吐くんじゃない、同じ種族の者よ。ジョリンゴンさんに迷惑でしょうが。
「おほぉ、そろそろ川を通りますねぇ。しつこいようですがお手洗い等はよろしかったですかなぁ?」
「はい、大丈夫です」
「そうですかぁ。それでは川をそのまま通り過ぎ、お客様をお運びしますぅ。ジョリンゴンでございますぅ」
……何かある度に名を名乗るのは如何なものだろうか。いや、もしかしたらこれこそ一流の運び屋なのかも知れない、と考えた。
「むふぅ。んん、むふぅ」
「…………」
「今日は忙しいですなぁ、繁盛日ですかなぁ」
「ん、そんなに利用する方がいらっしゃったんですか?」
「はい、それはもう、沢山の方が利用されましたぁ」
「そんなにですか」
「はい、あなた様を含め二人のお客様をお運びしましたぁ。はあ、忙しいぃ」
「…………」
忙しい、とは。
「むふぅ、本日二人目のお客様ですのでねぇ、丁寧にお運びしますぅ」
……いや、何人目のとか関係なしに、どのお客も丁寧に運んでください。
「……二人目ですか。えーと、それって多いんですかね?」
「多いですよ、ボリボリ多いですぅ。一週間くらいお客様なしの日だってありますのでねぇ。暇すぎるのでそういった日は水ばかり飲んでおりましたぁ。はっはっ、むふぅ」
「はあ……」
なんとも言えないです。てか疲れているのか知りませんが『むふぅ』を連発するのをやめてください。
「んー、何の用なんですかね。ボクが言うのもなんですけど」
「むふぅ、何の用なんですかねぇ」
「アオモリ領ですしリンゴ狩りかなんかですかね」
「むふぅ、リンゴ狩りかなんかですかねぇ」
「…………」
わざわざアオモリ領に来るなんてよっぽど暇なのかな。……それはボクか。いや、ボクは暇じゃない。
「それに何の偶然か知りませんがそのお客様もあなた様と同じ場所までお運びしたんですよぉ」
…………。
「こんな偶然あるもんなんですねぇ。おほぉおほぉ」
「……一人目のお客さんも同じ場所まで運んだんですか?」
「ええ、お運びしましたよぉ」
「……なるほど」
「なんでも大事な用があるとかなんとかぁ」
「大事な用ねえ。……どんな方でした?」
「人でしたぁ」
「……えと、出来ればもうちょっと詳しくお願いします」
「んんんー、そうですねぇ。髪は白髪のショート、それで修道士のような格好をした20代くらいのオスの人でしたかなぁ」
「白髪で修道士の20代、ですか……」
「結構な可愛い系のボーイでしたなぁ。むふぅ、食べちゃいたくなる感じでしたなぁ」
「……そうですか……」
ジョリンゴンさんの意味深な発言に返事だけして、少しだけ考える。
白髪、修道士、男、……可愛い系。全くイメージがつかない。……まあ、そりゃそうか。これだけのヒントで問題を解こうだなんて少々名探偵が過ぎる。んー、せめて……。
「仕事は何をしているとか聞いたりはしましたか?」
「すみませんねぇ、そこまでは聞かなかったものでぇ」
「あ、いえ。無理を言ってしまい、すみません」
こればっかりはしょうがない。結局は乗客。個人情報やら云々、何かと色々あるだろうし。
「むふぅ。そういえば目に雰囲気がありましたねぇ。死んだ魚の目、みたいな感じでしたねぇ」
可愛い系で死んだ魚の目。いや、死んだ魚の目をした可愛い系。…………イメージが、湧かない。
「ああ、そういえば腰に刀を据えておりましたなぁ」
「へえ。刀、ですか」
修道士の格好をした、刀持ちの男。
「なんだか凄そうな方ですね。いろんな意味で」
「そうですなぁ。話し方に品がありましたし、きっと育ちが良い方なんでしょうなぁ」
「品、ねえ……」
「むふぅ。『闇色の風に誘われて、騙しに騙され騙しを騙しに参りました』と言っておりましたなぁ。むふぅ。上品、気品。品は大切ですなぁ」
……それ、品ありますかね。
「学がなく育ちの悪いこのジョリンゴンには非常に美しい者に見えましたなぁ」
「そ、そうですか……」
ジョリンゴンさん、育ちが悪いらしい。
「その、他には何か言ってませんでした? ここに来た目的とか。……えっと、『闇色の風』以外で」
「ああー、すみませんねぇ。なんかその辺はお茶を濁されましてねぇ」
「なるほど……」
と、言うことは何度か目的を尋ねたのかな。さすがに《闇色の風》を信じるほどジョリンゴンさん、バカじゃない。
「ああ、そうだぁ。その方少々急いでいるようでしたなぁ」
「急いでいたんですか」
「ええぇ。『少々急ぎで』と何度かぁ。ですけどこの車、ジョリンゴンが急ぐと車輪がよく外れるので大変でしたのぉ。急いで外れて急いで外れて、の繰り返しですぅ。それでも『少々急ぎで』と仰るのでねぇ」
車輪が外れまくっても尚、急がせる男。なかなか癖がありそうだ。
「それでもお客様の要望に答えようとこのジョリンゴン、必死に走りましたぁ」
「流石ですね。誰かの為に頑張る方、嫌いじゃないです」
「いえいえ、仕事ですのでねぇ。むふぅ」
流石一流。理由を《仕事》で片付ける。
それにしても何故急がなければならなかったのだろう。急ぐことを忘れるために来る者だっている《アオモリ領》にどんな用があったのか。もしかするとボクと同じ用件で来ている可能性がある。
「そんなに急いでいるのなら《羽付き》で行けばよかったのではないか、と思うんですけどね」
《羽付き》とは鳥達が車を引いて空を移動する、言わば《空飛ぶ車》みたいな物。車を引く鳥達によって速度、距離が変わり、値段が変わる。馬車にも速い遅いがあるが、どれだけ速い馬車でも羽付きの遅い者にさえ到底及ばない。多少馬車より運賃が高くなってしまうが急いでいるのなら断然羽付きがおすすめだ。
「そうですよねぇ。そういった所を含めて不思議な方でしたなぁ」
「嫌がらせ、とするには時間もお金も掛かり過ぎますからね」
「あはぁ。嫌がらせで言ったら、一度に《十人ぐらいでお願いします》と言われた時のことを思い出しましたなぁ。この車四人乗りですので本当に大変でしたのよぉ」
「え、十人乗せたんですか?」
「はい。もうギュウギュウパンパンでしたのぉ。むふぅむふぅ」
車内を見渡す。どう考えても十人乗れるようには見えない。
「……どんだけケチなんですかね。ボクなら《別の馬車も利用しなさいよ》って言っちゃいそうです」
「むふぅ。腐ってもお客様なのでね、言えないですよぉ」
やはり、流石一流。どんなお客様でも車に乗せ、お運びする。まあ、腐ってもってのはどうかと思うけど。
「あんまり重たいので川に落としてやろうかと思っちゃいましたけどねぇ。急に落とされ急に溺れて急に死ぬ。おほぉむふぅ」
「……」
きっと、一流。
それにしても、その十人ぐらいで一台の馬車を利用した客の行方も気になるが、今ボクが気になるのは、やはり修道士の方だったりする。同じ場所に行くにはタイミングが合い過ぎているし、偶然とするには偶然過ぎる。要するに、きっと同じ理由なのだろう。だから不必要に気になるし、必要に気にならない。これは、意味のない堂々巡り。結局会ってみなければ分からないし、そもそも会えるかどうかも分からない。つまり、運命。全て、運命。
「全ての運は因果にあり、全ての命は因果にある」
「むふぅ、何か仰いましたか?」
「あ、いえ。何でもないです。ただの無価値で孤独な詩です」
「むふぅ。この世に無価値なものなんてありませんよぉ。それにこのジョリンゴンがおりますゆえ、お客様は孤独とも無縁でございましょう。おほぉおほぉ」
「……だといいんですけどね」
「何時何時でもこのジョリンゴンが一緒ですよぉ」
「……」
ホラーだ。
「おほぉ。そろそろ目的地に到着しますぅ。このジョリンゴンのお話の相手としてお付き合い頂き、大変ありがとうでございますぅ」
「いえいえ、こちらこそです。久し振りに多くを話したような気がします」
「あら、会話は苦手な方でぇ?」
「んー、そうですね。あまり得意ではないです。でもジョリンゴンさんとの会話は楽しかったですよ」
「あら、嬉しいですぅ。喜びの花が咲き乱れますわぁ」
「それは重畳」
ボクの感謝で花が咲き乱れる。アオモリ領、ジョリンゴンさんに感謝しなさい。
「むふぅむふぅ、おほぉむふぅ」
「……」
ジョリンゴンさんの鼻息も乱れ、車が揺れる。
意図的に外の景色を眺める。出発した時と変わらず田畑が広がっている。……これはきっと平和なのだろう。そして、目的地に進む道なりに目を遣ると、遠くに小さな家が並んでいる。それはきっと村だと思うし、そこがやはりボクの目的地だ。そこもきっと平和だろう。平和であってほしい。こんなボクでも思う。こんな、ボクでも。……これは願いかもしれないし、祈りかもしれない。ただ、一つ言えることは……。
「生きていなければ、助けられない」
「むふぅ。はい? 何か仰いましたか?」
「あ、いえ。何でもないです。また例によってなんとやら、ただの下らない詩です」
「おほぉ。また聞き逃してしまいましたぁ」
「独り言なので。すみません」
「独り言ならば、しょうがありませんねぇ」
そして、バフバフと鼻を鳴らす。
「独り言ならば、助けられません」
「なんですか。聞いてたんじゃないですか」
「すみませんねぇ。ジョリンゴン、耳が良いものでぇ」
「いえ、構いませんよ……」
そうなれば先程の独り言も聞かれてたのかな、と考えるフリをする。考えるフリなら誰でも出来る。それは、独り言のように簡単だ。
ただ、過ぎていく時間に流されるだけ。まるで、今まで逆らっていたかのように。運命は自分で切り開くモノだと、そう思っていたあの頃のように。決められた流れの中で生きていくことを、まるで自分の人生は自分で決めるモノだと思っていたあの頃のように。全てが流れにあり、全てが無駄であることがわからなかったあの頃のように。
……死が欲しかった、あの頃のように。
「死にますよぉ」
不意に。
独り言のように、訴えるように。聞かせるように、教えないように。見えないように、伝えるように。
つまり。どれも、独り言だと思う。
「むふぅ。それでは最後にジョリンゴンからの質問、よろしいですかなぁ?」
「え、ああ。どうぞ」
「おほぉ。すみませんね、それではお言葉に甘えてぇ。……あそこへは何をしに行かれる気なのですかなぁ?」
きっと、最初から。出会う前から。
「あー、それはですね……」
察していたのだろう。
隠すような事ではない。
「…………」
少しだけ迷って、答える。
「鬼退治です」