五十里十五の話
五十里十五の話
俺の名前は五十里十五。親族の同世代で十五番目に生まれたのでそう名付けられた。
俺は生きてこれまで幽霊を見たことがない。心残りが幽霊の元ならば幼い兄妹を残した両親の幽霊などが出てもおかしくないのだと思ったが、大人たちが言うにはうちの村では死んだら先祖神として合一の存在となり、個の識別が大まかに言えばなくなるらしい。
地域性として、もしくは宗教性として幽霊の居る居ないが決まるのかと思わず笑ってしまった。
ちなみに大まかにと言うのは、遺影の前や参拝時などで心に思い浮かべ直接呼びかける人がいるうちは存在するらしい。
つまり両親の幽霊に会うためには向こうから来ることを待つのではなく、こちらから朝夕の遺影の前での呼びかけや参拝をしなければいけないのだ。
そうすれば夢枕に立つこともあるらしい。ただし、ただの幽霊ではなく存在としては神と同じなのでその時に言われたことはきちんと守らないといけないとは言われた。
夢枕にって言われてもそれは夢であって幽霊じゃないだろうと抗議したら、じゃあ幽霊を見ても妄想かもしれないと信じられないだろうから不毛な問答だろうと話を打ち切られた。
個人にしか認識できないなら妄想でみんなで見られるのなら妄想ではないと思っていたが、今となっては集団催眠や詐術など疑いだしたらきりがなくなるということはわかっている。
ちなみに夢枕に両親は立つことがあるのだが、言われる内容は日記は毎日つけて神棚に捧げてくれだとか、兄妹は何時か別れるんだから一緒にいるうちは仲良くするんだよとか、中学に上がる前には独り村を出て、自立した生活を送るんだよとか、両親に興味を持ってもらいたいという願望故のことからなのか当たり前のことやらよくわからないことまで言ってきた。
そのせいで今では妹がそばにいない寂しい生活を送っている。