ヒロイン? そんなものよりもかけがえないものが欲しいです
※「悪役令嬢? そんなものよりも先立つものが欲しいです」の別視点のお話です。
「なんでこうなるのよ!」
憤り、地団駄を踏む。
ようやくここまで来たのに、ここまで来れたのに。やり場のない怒りを胸に抱えたまま、私はその場から立ち去った。
ここが乙女ゲームの世界で、自分がその主人公――つまりヒロインにに生まれ変わったのだと気付いたのは、五歳の時だった。
それまでも不思議なことを思い出したりしていたし、それが前世の記憶だということには気付いていたけど、ここがどこなのかをはっきり思い出せたのがその頃だった。
私の前世は、十六歳で終わりを迎えている。
厳しい父と母、優秀な兄と弟に囲まれた私は、どれだけ頑張っても認めて貰えなかった。私が寝る間も惜しんで勉強しても兄弟は軽々と私の上をいき、その度に両親は私を叱った。
どうしてこんなことも出来ないの、どうしてこれぐらいのことも出来ないの、どうして私たちの子供がこんなに出来が悪いの、どうして――。
何度も何度も繰り返される言葉に、私はどうにかして挽回しようと頑張って頑張って――高校受験の日に熱を出した。
兄と同じ高校、両親の望んだ高校。とても大切な日だった。ろくに動かない体をどうにかして動かそうとして、私はベッドから転げ落ちた。
中々起きない私を起こしにきた母親は、力無く倒れる私を見つけ悲鳴を上げた。
心配して、ではない。なんでこんな日にと怒鳴りながら、私を起こそうと躍起になっていたから。
水を飲み、頭を冷やし、薬を飲んで無理矢理体を動かして、母親に車で送ってもらった私は熱で朦朧としている頭のまま受験に挑んだ。
もちろん、結果は散々なものだった。
滑り止めには受かっていたものの、第一志望の高校に行けなかった私を両親は散々詰った。
肩身の狭い思いをしながら過ごす私に同情したのか、弟が遊びに行こうと誘ってきた。弟は成績が良かったご褒美にお小遣いを貰ったと嬉しそうに話し、新しいゲームソフトが欲しいと言って私を連れ出した。
弟と一緒に訪れたゲームショップで、私は甘い声を聴いた。
それは宣伝のためにCMを流すテレビからで、丁度見目良く書かれている男性が愛の言葉を囁いているシーンだった。
両親にも、誰にも言われたことのない言葉に、私は思わずそのゲームを手に取った。
幸いゲーム機は弟が去年ご褒美で買ってもらっていたから、ゲームソフトだけならこつこつ貯めたお年玉で買える範囲だった。弟の目を盗んで購入したゲームソフトを大事に鞄の中にしまい、お目当てのものを手に入れた弟と一緒に帰路についた。
家族の目を盗んで何度も何度も遊んだ。CMで流れていた人だけを、繰り返し攻略した。
日の出まで遊び、こっそりベッドに戻る生活は――長くは続かなかった。
寝る間も惜しんで遊んでいたから成績はどんどん悪くなり、授業中寝ることの増えた私を心配した教師が家に連絡を入れた。
学校から帰ってきた私の前に、ゲームソフトが投げつけられた。母親は怒りながら泣き、こんなもので遊んでいるからと怒鳴った。何も言わず、ただゲームソフトを見下ろしている私に憤ったのか、母親は勢いよくゲームソフトを踏みつけた。ぱきりという音が聞こえ、私は真っ白になった頭のまま、家を飛び出した。
そこで、私の記憶は途切れている。事故にでもあったのか、あるいは身投げでもしたのか――定かではないけれど、その日、私は死んだ。
ということを思い出した私は、嬉しくて嬉しくて体が震えた。
弟も兄もいない、一人娘の私ならきっと大切にして貰える。愛してくれる――そう思ったから。
商人の父は最近男爵位を手に入れたばかりだから忙しそうで、母も茶会だとかの貴族の交流に精を出していた。だからその両親に相応しいように、将来跡を継いでも大丈夫なように色々なことを学んだ。
仕入れで遠方に赴いた時に身を守れるようにと剣術を練習し、優秀と言われるように魔術も習得し、どこに出しても恥ずかしくないように礼儀作法を身につけ、誰とでも会話出来るようにと勉強もした。
両親に愛されるために、失望されないようにと、色々なことに手を出した。好きに使いなさいと渡されたお小遣いで様々な教師を雇い、家に出入りする商会の人間や侍従にも話を聞いた。
だけど、両親は喜んではくれなかった。
剣術は女性らしくないと怒られ、魔術はほどほどでいいと呆れられ、礼儀作法は少しぐらい隙がある方が可愛げがあると溜息をつかれ、勉強は女に学は必要ないと詰られた。
父は私に愛嬌だけを求めていたのだと、その時初めて知った。より良い男を捕まえることだけを、私は望まれていた。
ならば商会をより発展出来るような婿を捕まえようと、私は女の子らしさを研究することにした。様々な女性を観察し、どういったタイプが好まれるかを必死に頭に叩きこんだ。
そうして努力し続けた私は十歳になり――弟が産まれた。
男児の誕生に父は顔をほころばせ、母は歓喜で涙を流していた。
絶望の淵に立った私は、これまで以上に頑張ろうと料理に手を出し、裁縫も始め、服飾にも気を配った。思いつく限りの女の子らしさをこれでもかと詰め込んだ。
十二の時、練習の成果を見せようと、上手に焼きあがったケーキを手に父の執務室に訪れた私は、机の上に置かれた親書を見つけた。
そこには、私と二十も上の伯爵との縁談について書いてある。何かの間違いだと必死に読み返したが、何度読んでも内容は変わらなかった。
弟が産まれたから、私はいらなくなったのだろう。父はより事業を拡大するために、それなりの地位にいる伯爵家に私を娶らせようと計画していたらしい。
そのことに気付いた私は、執務室に戻ってきた父に泣きついた。学園を卒業するまで待ってほしい、学園でより良い相手を見つけるからと、何度も懇願し、父はそれならと頷いてくれた。
ケーキは貴族が料理なんてするものじゃないと捨てられた。
両親は私を愛してくれない。それでも、学園には私を愛してくれる存在がいる。私だけを見て、私だけを大切にしてくれる王子様がいる。
ここが乙女ゲームの世界でよかった。私を好きになってくれる人が、まだこの世界にいるのだから。
――それだけを心の拠り所にした。
だけど、待ち望んだ学園生活はやって来なかった。
私を見てくれるはずの王子様は私じゃない人を見ていて、私にかけてくれるはずの優しい言葉は私じゃない人に囁かれている。
この世界に私を愛してくれる人はいないの?
そんな考えを振り払おうと、私は王子様が見ている相手――伯爵令嬢のフィーエに声をかけた。
「マリウスを私に頂戴!」
だって王子様しか私を愛してくれないから。
「なんのお話かしら」
「とぼけないでよ。あなたの傍にいつもいるマリウス様の話よ!」
きょとんと首を傾げるフィーエを睨みつけながら、私は唇を噛んだ。
今の私はあまりにも無様だ。人の心なんて、簡単に操れるものじゃないことぐらいわかっている。だけど、王子様――マリウスしか、私にはいない。
「――だから、彼を私にくれればいいのよ!」
何がだからなのかと自分でも思う。切羽詰まっているせいか、支離滅裂だ。
「ごめんなさい、人身売買は扱ってないの」
「喧嘩売ってるの!?」
こちらはこんなに必死なのに、フィーエはどこ吹く風といった様子で煙に巻いてこようとする。
「いくらで買ってくれる? 今なら銀貨一枚にしてあげるわよ」
ちらりと自分の肩にかかっている鞄に目を落とし――そうじゃないと思い直す。
喧嘩の話はどうでもいい。
「だから、そうじゃなくて! 金金金金ってうるさいのよ! 世の中にはお金以上に大切なものがあるでしょう!?」
前の家も今の家も裕福だ。
それでも、私を愛してくれる人はいなかった。
「何言ってるのよ、お金がないと病気になっても治せないし、生活すらままならなくなるのよ」
「じゃああなたの大切なお金をあげるから、代わりにマリウスを頂戴!」
「だから、人身売買はやってないわ。奴隷制度はこの国では禁止されてるのよ」
ああ言えばこう言う。進まない会話に苛立ち、思わず頭を掻きむしる。
そんな私にフィーエが香油を売り込みはじめ、更には飴を売ろうとし始めた。
フィーエは、乙女ゲームでライバルとして書かれていた豪華絢爛な悪役令嬢だ。間違っても、こんな守銭奴ではなかった。
だから、マリウスは私を見ないのかもしれない。彼女がゲーム通りじゃないから、マリウスもゲーム通りじゃなくて――私もゲーム通りのヒロインじゃない。
泣き出しそうになる私の耳に、第三者の声が飛び込んできた。
涙を必死にこらえながら顔をあげると、そこには見慣れたマリウスと、いつも一緒にいる少年がいた。
無様な場面を見られたことに気付いた私の顔から血の気が失せる。
「血の気の少ないあなたには、この鉄分たっぷりの鉄の棒を……」
「そりゃあ鉄分しかないでしょうよ!」
もはや条件反射だった。
さっきまでのやり取りのせいで、言い返してしまった。よりにもよってマリウスの前で。
「……で? なんの騒ぎ?」
「あら、マリウスじゃない。売り込みをしていただけよ」
「そんな雰囲気には見えなかったけど」
二人の親しさが伝わってくるやりとりを聞きたくなかった。
「……マリウス様! この人私に強引に物を売ろうとしてくるんです!」
だから邪魔しようとマリウスに縋り付こうとしたのに、あっさりと躱され、マリウスは当然のようにフィーエの横に並んだ。
「ごめんね、彼女にはよく言い聞かせておくから」
そう言ってフィーエの頭に手を乗せながら微笑み、甘い空気を作り出す。
私のためじゃないとわかってるのに、マリウスが笑ってくれたことが嬉しかった。
――誰も私に笑いかけてくれなかったから。
私が喜びで震えている間に、マリウスはフィーエを連れていってしまった。仲良く手を繋いで、恋人同士のように。
「なんでこうなるのよ!」
憤り、地団太を踏む。
ようやくここまで来たのに、ここまで来れたのに。やり場のない怒りを胸に抱えたまま、私はその場から立ち去った。
本格的に泣く前に、誰もいない場所にいこうと逃げ出した。
もうこの世界には何も期待しない。結局、私を愛してくれる人はどこにもいない。
もしかしたら、前世の私は身投げしたのかもしれない。だからその罰に、叶わない夢を抱く世界に私を生まれ変わらせたのかもしれない。
期待させるだけさせて、手に入らないものを見せつけられるだけの世界。
抜け殻のように歩いていた私を呼ぶ声が聞こえた。
緩慢な動きで首を動かすと、そこにはこの間マリウスとの婚約が発表されたフィーエがいた。勝利宣言でもしにきたのかと睨みつける。
「あらやだ怖い」
飄々とした態度のフィーエが恨めしくて、私の望んだものを持っているフィーエが妬ましくて、私は口を固く結んだ。
「これあげるわ。お口に合うといいのだけど」
そう言ってフィーエは可愛らしい包みを私に差し出した。
「気に入ったら買ってもらえると嬉しいわ。ああ、今回はお代は結構よ」
わけがわからず受け取ると、フィーエは穏やかに微笑んだ後、何事もなかったかのように立ち去った。
残された私は包みを破かないように丁寧に開け、その中に入っているものに目を丸くした。
「木の実?」
茶色い木の実がいくつも入っている。
「これを私に? なんで?」
木の実は香ばしくて、アーモンドのような風味をしていた。
勉強一筋で生きていた私には友人と呼べるものはいなかった。だから、こうして誰かに何か貰うこともなかった。
前の両親は、望む結果を出せない私に何もくれなくて、今の両親は仕事や付き合いで忙しくて、私の誕生日を祝ってくれたことすらない。
だから初めてともいえる贈り物が嬉しくて、一日一粒だけと決めて大切に食べながら、私に笑いかけてくれたフィーエの顔を思い出す。
何かお返しできないだろうかと悩んだ私は、厨房へと足を運んだ。
折角だから、貰った木の実を使おうと思って、クッキーを焼いた。だいぶ木の実の数が減ってしまったけど、それでも満足だった。
浮足立ったまま可愛く包装したクッキーを抱えて、フィーエのいる教室までたどり着いた私は――我に返った。
料理は貴族らしくないと父に散々言われたことだ。こんな、手作りのお菓子なんて伯爵令嬢であるフィーエが受け取ってくれるはずがない。
そもそも、フィーエの言葉を思い返してみると、贈り物ではなく試供品を与えるような言い方をしていた。
それなのに喜んで、こんな貰ってくれるはずもないクッキーを焼いただなんて。自分の馬鹿らしさに情けなくなる。
どこまで恥を上塗りするつもりなのか。期待するだけ無駄だと、そう考えたのに。
いたたまれなくなった私は、クッキーを抱えながらその場から立ち去った。
庭園まで来た私は、ベンチに腰を下ろして空を見上げる。
また失敗するところだった。どうせクッキーを渡したら嘲られたに決まっている。
だってここは、そういう世界だ。私が望むものなんて手に入らない世界。
クッキーをベンチに置き去りにして、もう見ないようにとその場から離れようとした。
「おーい、忘れ物してるぞ」
それなのに、私を呼び止める声がする。
「……いらない」
私はそちらを見ずに首を横に振った。
「誰かにあげるものなんじゃないのか?」
「もういいの」
どうせ受け取って貰えないから。
「じゃあ俺が貰ってもいい?」
思わず振り返った。
そこには、いつもマリウスと一緒にいる少年が立っていた。その手には私が置き去りにしたクッキーの入った包装。
「……なんで?」
「なんか美味しそうな匂いがしてるし……あ、でもこれ、もしかしてマリウスにあげようとしてたとか?」
「違う、けど……」
匂いって、犬か何かの生まれ変わりなのだろうか。焼き上げたのは朝だからだいぶ時間が経っている。包装紙に包まれているのにわかるほどの匂いは立ち込めていないはずだ。
「……もういらないから好きにしていいけど……それ、私が焼いたものよ」
貴族らしくない手作り品なんて、貴族であるこの少年が口をつけるはずがない。そう思って、半ばやけくそになりながら言い放つ。
この少年に貴族らしくないとか思われたところで、もはや痛くも痒くもない。
「へえ、凄いな。……うん、やっぱり美味い」
感心したように言い、クッキーを頬張ると少年は口元をほころばせた。
私はその様子に目を丸くし、次いで頬が熱くなるのを感じた。
「ば、ばっかじゃないの! 素人の手作りが美味しいだなんて、舌がどうかしてるんじゃない!?」
「いや、美味いって。甘すぎないし、焼き色も綺麗だし……これ全部貰ってもいい?」
「好きにすれば!?」
私は赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、言い捨てながら逃げ出した。
また作ってくれるかと聞いてくる声すらも振り払おうと、一目散に走った。
前世ではマリウスだけを攻略し続け、今世でもマリウスだけを見てきた。だから少年が攻略対象だとか、騎士団長の息子だとか、父が認めてくれそうな公爵家だとか、そういったことを私は何も知らなかった。
「今日はなんかないの?」
「毎日作ってるわけないでしょ!」
こんな風に毎日声をかけられるようになることも、根負けした私がお菓子を作ると嬉しそうに笑うことも、この時の私は知らない。
「男性の心を掴むにはまず胃袋からって本当なのね」
「君の心を掴むには何がいいのかな」
「そうね……事業拡大のために他国との繋がりが欲しいわ」
そんな風に話しながら、私と少年を微笑ましく見るフィーエとマリウスのことも――もちろん知らなかった。