細川忠興
無事に三河に帰還した家康は、
「万死の境を免れる事が出来たのはひとえにお前の力である。
誠に八幡大菩薩がお前を遣わしてわしを助けてくれたとしか思えぬ!」
と言って本多忠勝の深慮と勇断を称えた。
家康は四條畷から京の知恩院に行き、そこで信長に殉じると言っていたが、
「本能寺に宿営している家康を襲撃する!」
と聞かされている明智の兵が多かったことから、
家康は知恩院に向かう途中で殺されていたはずである。
【よろづ程のよ木】万事ほどほどに
【じひふか木】慈悲深き
【しやうじ木】正直
この三つを常に守れば必ず富貴を得られようと家康が訓示した【金の成る木】が久能山東照宮に立っている。
細川忠興がこの木に左右の枝を添えてはどうかと言い、左右の枝が繁盛すればより富むことであろうと書き添えた。
【あさお木】朝起き
【いさぎよ木】潔き
【しんぼうつよ木】辛抱強き
【ゆだんな木】油断無き
【ようじょうよ木】養生よき
【かないむつまじ木】家内むつまじき
天正十年六月三日朝、
細川忠興は丹後宮津城の外にある犬の堂まで軍勢を出して出陣を待っていた。
そこへ愛宕山下坊より飛脚が来て、泥足で広間へ走り上がり文箱を差し出したのを取次いだ。
【明智光秀、織田信澄別心】
父親の藤孝は備中に向かい但馬竹田まで進んでいた為、忠興は直ちに帰城するよう使いを出した。
忠興の妻は光秀の娘、玉である。
明智軍の与力でもある細川家は微妙な立場に立たされた。
宮津城に戻った藤孝は、速やかに剃髪して信長に弔意を表した。
さらに玉(後のガラシャ)の丹後国・味土野への幽閉を決め、忠興は父・藤孝に従った。
六月五日、
光秀の使者が来て、
「細川樣には軍勢を連れ、急ぎ京に上られるようにと殿が申しておりまする!」
忠興は要請を拒否し、語気を強め返答した。
「今回は命を助けて返すが、重ねて参れば誅伐する!」
天橋立を望む潮の香りが漂う部屋で、忠興は九曜の家紋をじっと見つめている。
信長の小刀の柄に九曜が描かれているのを、忠興が大変気に入っていた。
それを覚えていた信長が、九曜を細川家の定紋にするよう命令したものだ。
忠興は父・藤孝、舅・光秀よりも主君・信長を心底尊敬している。
一昨年盛大に行われた馬添えで、忠興が京で探し求めて献上した蜀紅の錦の小袖を信長は着てくれた。
あの時の信長の勇姿を思い出し忠興は一人泣いていた。
藤孝が部屋に入ってきて六月九日付の光秀の手紙を忠興に見せた。
一、御父子もとゆゐお払い候由、尤も余儀なく候、一旦我等も腹立ち候へ共、思案候ほど、かやうにあるべきと存じ候、然りと雖も、この上は大身を出られ候て、ご入魂希ふ所に候事、
一、国の事、内々摂州を存じ当て候て、御のぼりを相待ち候つる、但若の儀思し召し寄り候はば、是れ以て同前に候、指合きと申し付くべき候事、
一、我等不慮の儀存じ立て候事、忠興など取り立て申すべきとての儀に候、更に別条なく候、五十日百日の内には、近国の儀相堅め候間、それ以後は十五郎与一郎殿など引き渡し申し候て、何事も存じ間敷候、委細両人申さるべく候事、
【細川親子が髷を切って喪に服したと聞いて非常に腹が立ったが、二人の立場を考えたら仕方がない。
自分に味方をしてくれたら、摂津国より若狭国を貰いたいというのであればそうしても良い。
信長を倒したのは忠興を大名に取り立てたいと思ったからだ。
近畿を平定した後は、息子と忠興に譲ろうと思っている。】
「舅殿はどうなされたのでありましょうか?」
と尋ねる忠興に藤孝は、
「明智は以前わしに仕えておった。
しかし家老の米田助左衛門に事あるごとに辛く当たられ、それに耐え切れずわが家を出て織田家に仕えたのじゃ。」
「ではこの度は何に耐えられず?」
「近畿から遠ざけられることに耐えられなかったのであろう・・・。」
「そのようなことだけで?」
「それだけでは無かろうが、明智も老いを悟ったのかもしれぬ・・・。
年をとると小さなことも面倒になるものよ。」
血気盛んな十九歳の忠興には理解できない。
「年寄りが世に憚るというのは悪きこと故、わしも細川家をお前に譲ることにする。」
そう言って藤孝は家督を忠興に譲り、幽斉玄旨と号して隠居した。
【おりかみ披見候、いよいよ働候事候、無油断馳走候へく候、かしく】
「堀秀政から送られてきた、与一郎が手柄が立てたという手紙を見た。以後も、ますます働いて手柄を立てることを期待している。油断しないように頑張れ!」
十五歳の忠興が大和片岡城に一番乗りの功名を立てた軍功を賞する感状を自筆で送るほど、信長は忠興を可愛がっていた。
信長自筆の書状はわずか十数通しか残っていないが、この天正五年十月二日付の信長自筆の感状を忠興は宝物とし細川家に伝来されている。
慶長十九年六月二日、
忠興は小倉に信長の戒名【総見院殿贈大相国一品泰巌大居士】から採った泰巌寺を建立し、そこで信長の三十三回忌を盛大に行うほど、忠興は信長を生涯慕っていた。