侵入、そして気づき
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「それで、どうするんですか?」
再起動した日向子が悠哉に尋ねると、悠哉はその質問に質問で返した。
「日向子さんの家って、裏口はあるの?」
「……はい」
その答えに悠哉は頷いて、日向子の先導で裏口が見える位置に、向井宅の玄関から見えないルートを使って回り込む。
そこには案の定偽警官がもう一人だけでいた。
「よし、ここを突破しよう」
悠哉は煙草スタングレネードで以下略して偽警官に声も出さずに制圧する。
わざわざ裏口にしたのは、面では通行人や近所の人に見られやすくなるからか。
幸い、煙草スタングレネードは通常の麻痺手榴弾とは違い、音を出さず光だけで失神を狙う閃光手榴弾寄りの物なので、玄関にいる偽警官には伝わっていない。扉を開け閉めする音なども、トイレに行ったなどと自分で勘違いしてくれるだろう。
「(とりあえず家の中まで行こう。そこまで行けば、ある程度は安全だ。)」
「(……分かりました……)」
「(了解、静かに行くわ)」
悠哉は小声と身振りを使って日向子と美香を誘導して、三人して向井宅への侵入を成功させた。
「ここまで来れば、ある程度の音は壁や扉が防いでくれるし、窓には基本カーテンがかかっていたから、見つかることは無いだろう。過信は禁物だけど」
カーテンが閉まっていて薄暗いが、しかし隙間から入ってくる太陽光によって歩き回るには不自由しない程度の明るさが確保されているキッチンで、悠哉は二人にそう言った。この家の裏口は、よくあるキッチンに直通するヤツらしい。サザエさんの台所を思い出してもらうと話は早い。よく魚屋さんとかとサザエさんが話している所だ。あそこまで広いキッチンではないが。……やーい、悠哉の不法侵入ー! いや家主の許可は得てるのか?
「あなたはもう知っているはずよ」
……ちょっ、現実逃避してるのに突っ込むなよ美香っ!
[なにをー?]
……(ガクガクブルブル)
「地の文に争乱をもたらす者にして、地の文究極のシリアスブレイカーの事を」
[何の話ー?]
「つまり、こういうことよ」
…………両手に花で、何やってるの……?
……ぴぎゃぁぁぁぁぁあああああああああああああっっ!
悠哉はいつの間にか取り出した白いゴム手袋を手につけると、キッチンから出る。そこはもちろん、居間に繋がっていた。
「日向子さん……、ここで合ってる?」
流石に悠哉といえども緊張するのか、微妙に固い声で悠哉は訊く。居間がここだけではないという可能性もあるからだ。
だが、そんな心配もいらなかった。
「はい……。ここです……」
辺りを見回した悠哉は、一瞬で心臓が凍り付くかのような衝撃を受けたからだ。
…………? ぴぎゃあ? どういうこと? もしかして浮気してたの?
[あーなるほどー]
「そう、彼女こそが真の地の文キラーこと地の文の彼女よ」
……お前は俺が女子といればなんで浮気と思い込むんだ? 俺は女友達を作ったらダメなのか?
…………浮気じゃ……無い……?
……そうだよ、前に俺はお前一筋だって話しただろ?
悠哉が見たのは、一通の手紙。
「な……」
それは、悠哉の心のかさぶたの下にあるものを、記憶の蓋に封じたものを、忘却の彼方にある体験を、暴力的なまでに呼び覚ます。
一通の手紙。
白地に真っ赤な染料で彩られた、まるでお伽話に出てくる招待状のような、そんな場違いな手紙。
『なんだこれは、脅しのつもりなのか?』
『さぁ……、でもあなた、悠哉を念のため安全な所に連れていった方が良くないかしら。これは、ただことではすまない、そんな気がするのよ……』
それを見た瞬間、記憶が、なだれ込む。
幼き日の、悠哉の記憶が。
『とりあえず、捜査の警戒レベルを上げよう。目をつけられていることを依頼主に伝えて、確認をとってくれるかい?』
『わかったわ、あなた。ちょっと待ってね……』
悠哉はこの先を知っている。
いや、分かっている。
悠哉の両親が全ての対策を行う前に、それらを嘲笑って殺された事は、きちんと覚えている。
悠哉は日向子さんが情緒不安定になった時、こう言ってたよな?
『悲しみを耐えるのも良い、憤りに身を任せるのも良い、復讐を誓うのも良い。』
[つまりー? どういうことー?]
とどのつまり。
日向子を襲う者は悠哉の怨敵だった。
それだけで、悠哉のギアを上げるのには十分である。
…………じゃぁ……本当は、不倫……?
……昼ドラかよっ!
[ドロドロとした騒動の始まりだねー]
「依頼人。説明を」
「ひっ、はいっっ!」
『スイッチ』が入った時の雰囲気ではなく、ただ底冷えするような冷たい声で問われた日向子は思わず悲鳴を上げた。
「悠哉……?」
それは、美香ですら知らない悠哉の側面。
絶対復讐を誓った悠哉が現れた瞬間であった。
「依頼人」
悠哉の催促に、日向子は恐る恐る事件当日の事を話しはじめた。
「ええっと、母はこっちに、父はこっちで……」
それでも当初の『鍵』の正体を探るという目的は忘れていないようで、日向子の、以前聞いた話を再確認しながら状況を現場でもう一度確認していく。
……不倫じゃねえよ? ってか日向子さんの話って何だっけ?
[まったくー、地の文なら覚えておくべきでしょー? こうだよー]
◆ ◆
私が学校から帰ってくると、ものすごく静かだった。
家の中から何も音がしない。後で気付いたけど、それは電気のブレーカーが落とされて、家の中から動くものが何もなくなったからだった。
母は、ダイニングで倒れていた。
キッチンには作りかけの夕食が放置されていて、母がただ転んだだけにも見えた。
母の心臓が刺し突かれていなければ。
母の心臓は、前から見ても後ろから見ても分かるくらいの穴が空いて、中身がぐちゃぐちゃに掻き交ぜてあった。
ダイニングの床いっぱいに血が広がって、部屋からはみ出しそうなくらいだった。
父はリビングのソファに座っていた。
傷にさえ目をつぶれば普段と何も変わらなかった。
部屋に飛び散った脳漿も気にしなければ。
父は頭がぐしゃぐしゃにひしゃげていた。
西瓜割りをした後の西瓜のように、中途半端に、でも生存は絶望的な位に破壊されていた。
叩き割られた頭から、脳みその一部がのぞいていた。
そこから先は覚えていない。
気付いたら病院のベットに寝かされていて、警察の人とかが私に事情聴取という名の拷問を課してきた。
拘留所としての役割も果たしていた病院から解放されたのは、それから三日も過ぎた頃だった。
当然の事ながら、警察の捜査が終わっていない自宅には帰れなかった。警察の人から貰った仕度金でビジネスホテルに泊まった私は、そこから知人に電話をかけた。
たとえそれが両親だったとしても、人が死んだ所で、しかも殺された所に住みたくなかったから。
でも。
私がそんなこと思わなければ良かったのかもしれない。
最初に泊めてくれた友達は、切り裂き魔に襲われた。
翌日に泊めてくれた友達は、強姦魔に襲われた。
三日に泊めてくれた友達は、強盗に襲われた。
三日連続でそんなことになった私を泊めてくれる人なんてもういなかった。
私は家に帰らざるを得なかった。
家に帰ると、あの日と同じようにとても静かだった。
ブレーカーを上げて電気をつけて、暗い部屋の中を進んだ。
母と父の死体はもうなかった。検死にでも連れていかれたのだろう。
その中で、リビングの机に置いてあったそれだけが、明らかにおかしかった。
白と赤の封筒が、机の上に置いてあった。
例えるなら、童話に出てくる舞踏会への招待状。こんな人が死んだような所に置いてあるはずのない、明らかに場違いデザインの手紙だった。
白地に血のように赤い染料でデザインされたその封筒の宛先は、私だった。
当然だ。
もうこの家に住んでいるのは私しかいないのだから。
私はその封筒を裏返して、中の手紙を取り出した。
【前略
我々に貴女を傷づける意図はございまません。
ただ一つ、教えて頂きたい事があるのみなのです。
『鍵』の在り処を教えてください。
それ以外に、我々の目的はないのです。
大変心苦しい事ながら、そうでないと我々は貴女以外の方々に手をかけなければなりません。
どうかご賢明な判断をなされますようお願い申し上げます。
追伸
この封筒の赤色は、御両親様の血から抽出された染料を使用しております。我々としても、御両親様を殺害したのは大きな痛手でした。遺体の一部をご返却し、弔っていただければと、思います。
敬具】
◆ ◆
[てなわけだねー]
……さあ悠哉はどうやってここから証拠を見つけて行くのかー、手腕が問われるなっ!
…………むすっ(なんで楽しそうにしてるの)。
「(予想以上にドロドロしてるみたいでおもしろいわね)」
そして。
数回の状況確認、則ち現場検証を経て、悠哉は呟いた。
「なんで脳を破壊したんだ?」




