聖杯の精霊
お待たせしました。…してました?(不安)
38話です。
目を覚まして体を起こすと一昨日見た風景が最初に視界に入った。
「医務室か」
生徒会長キャサリン・リリアーノと一悶着あった思い出の部屋である。一度しか訪れたことがないとはいえそうそう忘れられるものではない。
というかこんな短いスパンでまた医務室に担ぎ込まれるとは思わなかったぜ。
「そのとおりじゃスレイよ。ようやく起きたようじゃの」
誰に問いかけるでもない俺のつぶやきに横から予想外の返答があった。首だけを動かしてそちらを見やると隣のベッドに煌めくような長い銀髪を持つ神話に出てくるような白いそこそこ露出度のある服に身を包んだ見知らぬ美女がいた。腰帯に紐で盃のようなものを吊るしているのが特徴的である。
「ええっと、どちらさんですかね?」
「妾か?妾はハイセ。お主の姉、ネーシャ・ベルフォードと契約せし聖杯の精霊なるぞ」
ああ、彼女が話に聞く。聖杯の精霊か。部屋の照明は簡素なものなのにこの精霊の髪を通ったかと思うと後光がさしたように煌めいて神秘的である。
えらい神々しいな。この精霊の周りだけオーラが発生しちゃってるよ。
「君が話に聞くねーちゃんの契約精霊か!あ、昨日はお世話になったっみたいで、どうもありがとうございます」
「うむ。礼には及ばんぞ。今日も世話をさせてもらったが気にする出ないぞ。たとえ妾のことを一切合切忘れていようとお主はネーシャの弟。助けるのは当たり前じゃ」
事もなさげにそういう言うハイセ。あれ?ということは俺ってば一昨日並みにダメージを受けちゃってたとかそんな感じ…?
「意識ははっきりしているようで安心したぞ。お主は戦闘教官に木剣で手ひどく頭を打ち据えられて気絶したのじゃ」
「ああ、覚えてるぜ。鳩尾に蹴りも入れられた」
「そうか。それは災難だったな。いや、上顎の辺りの骨が折れていたからこれはどうか、と思ったのじゃが平気そうでよかったよかった」
「上顎…なんだって!?」
とんでもないことをさらっと言うハイセに俺は軽いパニックに陥る。
上顎が折れた!?今度から飯とかどうやって食えばいいんだ!?
俺はスレイの美顔に亀裂でも入れられたのかと思い自分の顔をべたべた触れてみたが特に何の問題もない。それどころか痛みも全くない。
……上顎は割れてなさそう。
「お主は戦闘教官に手ひどくやられて医務室に担ぎ込まれた。間もなくして連絡を受けたネーシャが慌てて妾を呼び出してお主を治療したのじゃ。そしてネーシャはお主の傷の完治を見届けて今は授業を受けておる」
「そ、そうだったのか。しかし上顎……ぞっとしない話だな」
「全くじゃ。今まではそんな大きな怪我もなく全て卒なくこなしてきた男が記憶を失ってからちょっとの間に二度も妾が頼られるとは思いも背なんだぞ。ははは」
自分で言っていて可笑しくなったのかからからと笑うハイセ。神々しい美少女は口を開けて笑っていても一枚の絵画のように美しい。
これはこれで眼福だな!
「だがしかしお主には驚かされたぞ。お主のような英傑のひよっこは過去を振り返ればごろごろおったが一昨日のお主の治療の時はさすがの妾も難儀した」
「難儀?それって会長から受けた傷のことか?」
英傑のひよっこって。ああ、そういえば精霊は契約者が死ねば解放されてフリーになってまた契約できるんだったか。だから古い精霊は昔の色々な逸話を直に見て知っているとか祐司が言ってたな。
しかし会長から受けた傷はそんなにひどいものだったのだろうか?ということは会長はこのかなり徳の高そうな精霊に難儀させるレベルの強さだということになるが。
「いやいや、お主の魂の臭いのことよ。ふふ、治療に呼び出されて匙を投げかけたのなぞいつぶりじゃったか」
「あー、そういえば俺ってば名状しがたいレベルで魂が悪臭を発しているんだったか」
「今はお主が新たに契約した消臭の精霊のおかげで特に不自由なく会話できるがのじゃがな。大事にしてやるのじゃぞ?」
どうやら俺が適当に名前を付けた消臭の精霊のリッキー君はかなりいい仕事をしているらしい。あとでおやつをあげよう。しかしスカンクの好物とはなんぞや?
「まぁそれとは別に不可解なこともあるのじゃがな」
益体もないことに思考が逸れかけたところでハイセの声色に神妙なものが混じった。
「お主の記憶喪失についてじゃ。妾の聖杯の力は自分で言うのもなんじゃが強力無比じゃ。死んでさえいなければ三日以内ならどんな大怪我や病気、呪いもたちどころに治す。しかしお主の記憶喪失は治らなかった。まぁ記憶喪失を治すという試みは初めてじゃったしそういうこともあるかもしれんが」
冷や水を浴びせられたような気分だった。
ヤバいか?いや、大丈夫。結局第三者が俺が記憶喪失でないことを証明するすべはないはずだ。しらを切りとおせばスレイしか知らない何かをしでかさない限りは記憶喪失であることを疑われることもないだろう。そして俺はスレイのことを何も知らない。今のところばれる可能性は皆無だ。
それにハイセも少し気になっただけ、みたいな口調だったし。大丈夫大丈夫。
自分をそう納得させると今度は新しい疑問が浮かび上がった。
“三日以内ならどんな大怪我や病気、呪いもたちどころに治す”というのがハイセの能力らしい。俺がこの「スレイ」の身体に入り込んで今日が三日目。その間に彼女の治療を二度受けたが鈴木康太郎の魂が排除されるとかそういう影響がなかった。
つまりそれは“スレイの治っている”状態が今の俺の状態だということだ。ということは今後スレイの魂はこの身体に戻らないのだろうか。それともその魂はもう俺と融合してしまっているのだろうか。魂の容量が多いとヴァネッサに言われた。それは俺の魂が加わったから増えたのではないだろうか。わからん。
今の俺は本当に鈴木康太郎なのだろうか。
「黙り込んでどうしたのじゃスレイ。まだ具合の悪いところでもあるのかの?ふふ、急に手のかかる男になったのお主。世話野焼きがいがあるというものじゃ」
少し悪戯っぽい表情をしたハイセがベッドから腰を上げて俺の額に手を当てる。同時にふわっとした女性特有の甘い匂いが俺の鼻孔をくすぐる。精霊もいい匂いするんですね。
その表情の中に混じる俺を見る気づかわしげな視線やその態度はどうにも俺を欺こうとか、記憶喪失でないことを見抜こうとかそういう感じは全くしない。ただただ優しく慈悲に溢れたふるまいだった。
……ああそうか。彼女は、いや、ネーシャを含めた彼女らは「スレイ」が自分の知る「スレイ」でなくなってもその心のありようは変わらないのか。マジですげぇな「スレイ」。
俺はお前のことを全く知りはしないがここまで彼女らを信用を得ている超徳の高い偉大な男だったんだな。マジ主人公してるわお前。
これは、ちょっと気を引き締めなきゃだな。
今の俺が以前までの俺なのかはちょっとばかり不安にはなったが少なくともここにはどんなスレイであろうと受け入れてくれる人がいる。ならそれに報いるために、いつかスレイにこの身体を返す時が来た時のために、俺はこれまでのスレイが積み上げたものを譲り受けたものとして相応の人間にならなくてはなるまい。
男を上げるんだぜ?スレイ・ベルフォード。
以前の「スレイ」を知らない俺には彼のふりはできないし、今更鈴木康太郎の性格を直そうとも思わない。しかし、俺はみんなから一目置かれるような男、「スレイ・ベルフォード」なのだ。それに見合う実力を身につけなければならない。
幸いなことに体の違和感はもうほとんどない。そしてこの身体の基本スペックは高い。これまでのスレイの日々の努力のたまものだ。これに驕ることなく精進し、いずれは以前のスレイに見合うような男になる。これを基本目標としよう。
「大丈夫だよハイセ。俺ってばもう超元気。やっぱり美女に看病されるってのは効果抜群ですわ」
「むむ、そうか。しかし以前のお主と比べるとこう、色々違和感ありまくりじゃな」
「ねーちゃんいわく、これはこれでアリらしいからハイセも早く今の俺に慣れてな!」
「うむ、努力はしよう」
一つ怪我をして俺は決意を新たにしたのだった。
明日もまた0時に投稿します。
投稿できなかった二日分はいずれ投下できるよう努力しますのでお待ちください(ストック不足)