診察
32話です。
どれだけも歩くこともなく、王国病院へとたどり着くと俺だけは受付で紹介状を渡すとすぐに記憶部門の医師の診察室に通された。
残念ながら受付の時点でネーシャとニアの同室は断られた。特殊な症状だから、という理由で医師の方が俺とマンツーマンを望んだからである。ネーシャとニアと後ろ髪を引かれるように一時別れて診察室に入ると病院特有のなんとも言えない香りが強まった。
「ああ、スレイ君だね?噂は色々聞いてるよ。いらっしゃい。私はロンベルク。記憶障害に対する研究を主にやっているよ」
「どうも。今日はよろしくお願いします」
ロンベルクと名乗った恰幅のいい白衣を着たおじさんは柔和な笑みを浮かべて席を勧めてくる。俺は軽く挨拶をしながら席に着いた。
診察室はいかにも診察室、といった感じで元いた世界とそう変わらない。強いて言えば白い室内にしては場違いに赤いサイドテーブルが存在感を放っているところか。そのサイドテーブルの上にはティーポットと思われる茶出しと何かを包装した小さいお菓子のようなものが山のように積まれた菓子鉢が置いてあった。めちゃ気になるな。
それにしてもどんな噂が流れているんですかねぇ…。病院までスレイの名前は轟いちゃってるの?
「さて、早速本題に入らせてもらうんだけどね。実は人の記憶についての研究ってのはそれほど進んでないんだ」
「そうなんですか?」
ロンベルク医師は困った顔をしながらたぷたぷの顎下をさする。あれ頼んだら触らせてくれないかな…。
ロンベルク医師によると記憶喪失を含む記憶障害に関しての研究は前々から行われてきたらしいのだが成果は芳しくないとのことだった。
「色々と要因が絡んで記憶に障害が起こるってのはわかってるんだけどね。頭を強く打つとか。でもそういうのって精霊術で大体治っちゃうんだよ。まぁそのおかげもあってこの分野の研究が捗っていないってのはいいことなのかどうかわかんないけどね。患者さんは治ってるし」
なん…だと…!?
何の気なしに言うロンベルク医師の言葉に俺は戦慄した。
マジかよ!精霊術ちょっと万能すぎない!?ヤバい。記憶喪失設定は見抜かれるか!?いや、でも研究が進んでいないならしらばっくれても精霊術で治らない新たなる症例で片付けられるか。大丈夫。セフセフ、のはずだ。
「え、じゃあ俺も治るんですか?」
内心動揺しながら軽く驚きを見せているように俺は装う。
「いやぁ、ね。精霊術で片付く話ならそもそも記憶障害について研究をしようとする学者はきっと生まれてないんだよ。君の学園の生徒会長のリリアーノさんから聞いた症状と君の現状を鑑みるに…」
「鑑みるに?」
ロンベルク医師は一度言葉を切るとふぅ、と言いづらそうな顔をしながら短い溜息を吐いて言葉を繋いだ。
「…言いにくい話だけど君の記憶喪失については現時点で明確な治療はできない」
困ったように今度はぷくぷくの頬をかくロンベルク医師。
「明確な違いはまだわかってないんだけど精霊術で治る場合とそうでない場合があるんだ。研究はしてるんだけどなかなかねぇ…」
ロンベルク医師はふぅ、とため息を吐きながらサイドテーブルに備え付けられていたティーポットから二つのマグカップに薄黄色い液体を注ぐ。
「ハーブティーだよ。君も飲むといい。飴もあるから好きに食べておくれ」
そういうとロンベルク医師はマグカップと飴の入った菓子鉢をよこしてくれた。ありがたくいただくとしよう。包装紙を剥いて丸くて白い飴にぱくつく。何味かな?
っていうか甘っ!?ガムシロップを直飲みしたかのような感覚が口の中いっぱいに広がってすげー甘い!茶、茶!ハーブティーで、お茶を濁さねば!?
俺はたまらずマグカップのハーブティーを呷る!
甘っ!!?ハーブティーも甘!?なんなら飴より甘い!?なんでこんなもんこのお医者さんは普通に悠遊飲んでるの!?あの腹は絶対このお茶と飴のせいだよ!
あ、ハーブの清涼感来た!甘!鼻に抜ける清涼感も甘い!
「気に入ってもらえたかな?私は甘いものが好きでねぇ。このハネムーンっていうブランドのハーブティーと飴はいつも好んで買ってるんだ」
「ブランド名まで甘い!?甘すぎるよ先生!こんなんじゃすぐ太っちまう!」
「ははは、いいじゃないか太っても。君は肥えてもきっと女子からモテモテだよ」
「そういう布教はやめていただけます!?」
でぶでぶスレイとかやめてくれ!あ、でも主人公がぷくぷくに太ったテンプレラノベがあったような?いや、それはもうテンプレからズレた主人公だから!
それに俺は「スレイ」から体を間借りしてる身、っていうか魂。俺の動向が原因で彼の体系が悪い意味で変わってしまったら返せるかどうかはわからないがその時が来た時に顔向けができないだろう。贅肉は敵です!
「まぁ何にせよ改善のために専用の食生活を心掛けたり、記憶野を刺激する頭の体操なんかをすることでいずれは治る可能性は全然ある。心配しなくてもいつかは君は以前の君を取り戻せるよ」
俺への布教に失敗したロンベルク医師は殺人ハーブティーを飲み干してそう言った。
「効果的な食事リストと脳のトレーニングができるドリルをお薬代わりに出しておくよ。気長に向き合っていきましょう」
「はい。了解です」
ロンベルク医師はそう言うと食品の品目が書かれたリストとちょっと厚めにつづられた紙束を俺に渡してきた。
紙束をパラパラめくるとクロスワードやナンプレ、迷路といったなんというか定番の問題がつづられていた。
「それじゃあ今日は失礼します」
「はい。お大事に」
お決まりの別れの挨拶を交わして俺は診察室から退室した。
退室すると少しだけ心配そうな面持ちをしたネーシャとニアが引き戸のすぐそばの長椅子に腰かけていた。
「あ、弟君。どうだった?治った?」
「いや、悪いなねーちゃん。どうやら元の俺に戻るまではなかなか長い道のりになりそうな感じだぜ」
「そかー」
ネーシャは残念そうな、それでいて少しうれしそうなよくわからない表情をしていた。いやぁしかしどうです?このうちの姉。どんな表情をしていてもかわいい。
周囲もそんなネーシャにあてられたのか見惚れている人がちらほら。爺さん婆さんに至っては拝みだす始末である。…こっちの世界でも合掌とかしちゃうんだ。
「まぁそうすぐには治らないよねぇ。精霊術以外で記憶喪失が治る話なんて僕はおとぎ話でしかしらないよ」
「マジか。ということは俺ってばそのうちおとぎ話になるレベルの活躍をしちゃうってわけか。導かれてんな俺」
「弟君がおとぎ話に!?いつ本が出るの!?い、急いで予約しないと!フィーネちゃんにも教えてあげないと!」
「どうしてそんな話になるの!?ネーシャさん、それスレイの冗談ですから!っていうかスレイって無意味に自信家なところあるよね!?」
そんな馬鹿話を最後に俺がこの世界に来てからの初診察は幕を閉じた。
明日も0時に投稿できればいいな、と思います。