日輪を支える者
「黒薙殿、程昱です」
その名前を聞いた瞬間、眉をひそめた。
楽進が退出して少し休憩を挟んだ。
楽進は魏の日常、俺も蜀での日常を話した。
敵に情報を流してるようなものだけど、楽進は絶対に魏にこの話は話さない。
楽進はそういう人だ。
魏の日常も蜀の日常とあまり変わらなかった。
仕事して、仕事の合間に将たちと楽しく過ごす。
魏だってかたそうな国に見えて、やっぱりそんなことはなかった。
「──入れ」
ちょっと考えてから考えても始まらないか、と思って言った。
「失礼します」
楽進とは違いしずしずと幕を開いて入ってきた。
相変わらず表情の読めない顔をしている。
「程昱が話とは。一体、俺と何を話したい?」
着席を進めて座るのを確認してから訊いた。
「曹操様と黒薙殿は英雄であらせられます。違ったものを目指しているにしろ、お二方はその夢に突き進んでいるのでしょう?」
「まあ、そういうことになる」
実際、曹操は覇道を真っ直ぐに歩んでいる。
「英雄とは何か、黒薙殿はどうお考えでしょう?」
英雄とは何か──漢中以前にずっと考え続けていたことだ。
そしてそれは曹操に教えてもらった。
夢を体現するため、その志に向かってただ突き進む。
ただ、俺の考えではたぶん恋も英雄だ。
「質問を返すが、程昱の定義で言う英雄は誰だ?」
「…………」
程昱がじっと俺を見つめた。
俺は目を閉じた。
「──まずは曹操様。あの方は紛れもない英雄でしょう。次に孫策。この方も英雄でしょう。それと劉備殿。今の三国の君主は皆英雄でしょう。呂布殿も英雄と思っております」
「俺も同意見だ」
あまり恋をそういう風に思ったことはないにしろ、言われたら英雄の素質は十二分にある。
「そして黒薙殿。貴方は正に現三国の君主にも並ぶ英雄です」
「さて、自分を英雄と思ったことはないが。魏にしろ呉にしろ、皆英雄と言うのは何故だ?」
「曹操様と覇気が似ています。雰囲気だけでこちらを圧倒する、その気迫です」
「曹操と似ているからといって英雄とは限らないだろう」
「いえ、覇気だけではありません。曹操様は天命と言う言葉をよく使われます」
天命、と言う言葉に俺は目を開いた。
「曹操様は自らの進む道を天命としています。孫策、劉備殿、呂布殿、黒薙殿。この五人は皆、何かしら天から与えられた不思議な力がある。天命を与えられた天下人。──それが私の考える英雄です」
珍しく長々と話した程昱は言い終えて息をついた。
「天命を与えられた天下人か。──自分をそう言う訳ではないが、確かにそうだな。俺もその考えに近い」
少し言うと、一刀も俺は英雄だと思っていた。
一刀は天から来た、正に天下人と言える人間だ。
そういう意味では俺も同じか、と心の中で苦笑した。
「黒薙殿は天命を信じておられますか?」
「信じている。俺の道が天命、とは思ってはいないが」
「なら何故道を進むのです?」
また哲学的なことを──謀臣だから仕方ないとは思うけど。
「その道を信じてるからだ。たとえ間違っていると言われようと、己のが道を信じるのは当然だろう。曹操だって、孫策だって、劉備殿だってそうだ。呂布もだ」
「……正(まさ)しく英雄」
程昱が感嘆したように言った。
こんなに表情が崩れるのを見たのは初めてだ。
「自身が道を信じるのは人として当たり前だと思うが」
「できない人の方が多いでしょう。天命に依りて戦うを良しとするのではなく、天命が否と言われようと突き進むを良しとするその意志。天命ありと傲らず、今見える自身の道のみを信じる」
「道だけではない。仲間も信じる」
「そこも英雄故でしょう。君主の資格があると言うことです」
いつだったか、霞にも言われたっけ。
「私は貴方が気になって仕方ありませんでした。欲がない英雄らしくない英雄、と思っていましたから」
「欲がない人間などいない、と思っている」
「正しく。黒薙殿も道を選んでいるのですから。──貴方と話せて光栄です。黒薙殿」
「……俺も英雄をまた考えられた良い時間だった」
結局、程昱の目的はよく分からなかった。
だけど、程昱はたぶん英雄を選んで曹操に仕官したのだと思う。
英雄についてこんなにも話したのは曹操くらいだ。
普通、忠臣は英雄など考えないだろう。
自身が信じた主に尽くす、と決めているだけ──それはとても難しいことだけど──だからだ。
楽進なんかは良い例だ。
程昱が頭を下げるのを見て、俺も頭を下げた。




