好敵手とありたい
遠くに幕舎が三つ建っていた。
曹操が用意したものだろう。
程昱曰く、「こちらが申し込んだのですからこちらが用意するのは当然でしょう」だそうだ。
こちらは茶や茶菓子を用意した。
とは言え、茶を飲めるかどうか。
曹操の覇気にやられたりはしないだろうか。
幕舎に到着すると程昱が曹操に報告するために一つの幕舎に向かった。
一つの方に夏候惇が入口にいるところを見ると、もう片方の幕舎は俺たちのために建てられたらしい。
二つの幕舎の正面にある幕舎が、会談する場所か。
「…………」
程昱が戻ってくるのを待っていると、後ろから恋に両肩を掴まれた。
「…………」
「んぁ……!?」
いきなり肩をぐりっと指で圧されて変な声が出た。
「なっ……なに?」
「……雛斗、力抜く」
短くそう言った。
「肩に力入りすぎやで、雛斗。気持ちはよう分かるけどな」
霞も隣に立って脇をつついてくる。
くすぐったいんだけど。
「私なら緊張して喋れなくなります。仕方ありませんよ」
亞莎が苦笑いしながら程昱の入った幕舎を見た。
なんか夏候惇がこちらをじっと見てるような気がするけど、無視しよう。
……みんなに心配かけちゃったかな。
「ありがと、恋。霞。ちょっと楽になったよ」
「……(コクッ)」
恋が頷いて、霞が笑みを浮かべた。
程昱が戻ってきた。
「遅れて申し訳ありません。黒薙殿と話をしたい方がこちらに何人かおります。曹操様と会談する前にその方たちとまず話してくれませんか?」
「連れてきた五人はこちらの幕舎を使って良いのか?」
側にいる恋、霞、ねね、亞莎、氷。
この五人を選んだ。
別に五人というのは狙った人数ではない。
たまたま傭兵時代の面子の人数に当てはまった。
「勿論です。黒薙殿はあちらの会談用の幕舎にてお待ちいただくことになります」
それに頷いて後ろを向いた。
「じゃあ、行ってくるよ。霞、黒鉄をよろしく」
「任しとき」
程昱に連れられて会談する幕舎に入った。
ど真ん中に丸い卓があり、椅子が二つ卓を挟んで置かれていた。
側には俺たちが用意した茶器が乗った卓もある。
迷わず入って奥の方の椅子に座った。
俺と話したい人って──誰かいたかな。
楽進辺りだろうけど、他にもいるのだろうか。
「黒薙殿、楽進です!」
やっぱり、と思ってちょっと苦笑した。
「入れ」
「し、失礼します!」
バッと幕舎の幕が開いて戦場と変わらない鎧姿の楽進が入ってきた。
緊張しているのが誰から見てもよく分かる。
「また会ったな、楽進。洛陽以来か」
「はい! あ、あの時はありがとうございました!」
「まあ座って」
ガチガチになって頭を下げる楽進に頬が緩むのが自分でもよく分かる。
楽進のおかげで緊張が解けた気がする。
「し、失礼します!」
「そんないちいち声を張り上げなくても聞こえてる」
「も……申し訳ありません。その……」
椅子に座った楽進がもじもじしている。
不覚にも可愛い、と思ってしまった。
「こうして戦場でもなく、二人きりで改めて対面すると緊張してしまって」
「気持ちは分からなくはない。俺も曹操と対談するとなると、緊張するかもしれない」
「そうなのですか?」
意外、といった風に楽進が目を丸くした。
「戦場ではそうでもないが、こういう場だとどうも釈然としないものがあってな」
「私も同じです」
嬉しそうに楽進がホッとした表情をした。
「俺と話したいこととは?」
あらかじめ用意されていた茶を啜る。
この茶は誰が淹れたものだろうか。
特に警戒はしてなかったけど、毒は入っていない。
「黒薙殿にお借りした借りについてです」
「俺は気にしない」
椀を置きつつ反射的にそう言った。
涼州と漢中の時のことを言ってるんだろう。
漢中の時に借りが二つ、と俺自身言っている。
「黒薙殿はお気になさらずとも、私が気にします」
まあそうだろう、と俺は腕組みした。
「いつかお返ししたい、と思っておりますがなかなかその機会がありません。黒薙殿に何をして借りをお返ししたら良いでしょう……?」
相当思い悩んだのだろう。
楽進ほど真面目な人は機会がくるのを切望するだろう。
二つもあるならなおさらだ。
「なら、そうだな。──俺に茶を淹れて、それから俺の緊張を解いてくれ」
「……はい?」
流石に楽進は唖然とした。
「い、いえ! もっと大きなことでも良いのです!」
「じゃあ俺の元に来てくれ、と言ったら来るのか?」
そう言うと楽進は目を見開いて口をつぐんだ。
それに微笑みかける。
「できないだろう。他に何も思いつかない。欲がない、と言われればそれまでだが」
「し、しかし……」
自分の借りた借りが勝っているのではないか、と思っているんだろう。
楽進らしいと言えば楽進らしい。
「これから曹操と対談する。緊張したまま会見するのはできれば避けたいからな。緊張が解けるよう話をしてくれると、今の俺には十分助かる」
「……話らしい話もできませんが」
「日常会話で良い。自分の思ったことでも良い」
椀の中を空にして軽い音をたてて卓に置いた。
楽進が気づいて立ち上がり、茶器をとる。
その気になってくれたらしい。
「最近、私はもし曹操様に会う前に黒薙殿に会っていたらどうしただろう、と考えています」
「…………」
目を閉じて耳を傾ける。
少なからず俺も考えたことがあることだ。
桃香に会っていなかったら、どこに仕えただろう、と。
孫策かもしれなかったし曹操かもしれない。
もしかしたら自身で勢力を立ち上げたかもしれない。
「きっと黒薙殿にお仕えしただろう、と私自身思います。黒薙殿には曹操様のような惹き付ける魅力があります。それには抗えなかっただろう、と思っています」
「俺も劉備殿に会う前だったら曹操か孫策に仕えたかもしれない、と俺は思っている。……これも今仕官してるから言えることだが」
「そうですね」
楽進は微笑んだようだ。
背を向ける楽進の肩の力が抜けたのが分かる。
それから楽進が淹れた茶でホッとしながら談笑した。
意外に茶は美味しかった。
おかげで胸のつっかえがおりたような気分になれた。
だけど、話せば話すほど楽進と共にいたい気持ちになった。
こんなに主に忠誠を尽くす姿を見ると、迎えたい気持ちが強くなった。
天命だからしょうがない、と割り切るしかないのは自分自身わかっている。
いつか、楽進と共に戦える日がくるだろうか。
敵対してではなく、仲間として。




