緑の黒龍
「──兵はもう半分を切ったか」
最後の敵兵から槍を引き抜き、呟いた。
山に潜んでから三日目、偵察に出てから四日目になる。
あれからも呉の探索は続けていて、俺の兵は半分以下になっていた。
手持ちの兵糧もない。
それは山の恵みをもらってしのいだ。
それである程度水分も補給できた。
だけどいつ敵に見つかるかわからない状況で兵たちはピリピリしていて、もうそれも限界に近かった。
半分も敵に殺されたのだ。
それを間近で見てしまったのだからどうしようもない。
士気低下と疲労の積み重ねが大きい。
「斯(か)くなる上は、山を出て決死の覚悟で益州に向かうか──」
「黒薙将軍。私たちはまだ耐えられます」
兵の一人が言うと皆も頷いた。
「……弱気になってしまったな。すまない、今暫くこの状況を耐えてくれ」
「はっ」
いい返事がきて、ホッとしてから再び周りを見渡す。
王平は既に翠に伝えたはずだ。
隠れながら成都を目指したとしても、黒鉄は速い。
「黒薙明蓮!」
と、いきなり俺の名前を呼ぶ大声が聞こえた。
最近、聞いた声だ。
「……黒薙将軍」
「──ここで待機していてくれ。見つかるなよ」
「はっ」
俺は傍の木立を離れ、山を下りた。
森を抜けると整然と並ぶ敵兵、百人ほどがいた。
その前に軍師らしき長い黒髪の女性と妙齢の強そうな女将軍に挟まれていた。
「──孫策」
「黒薙、会いたかったわ」
孫策はちょっと笑みを浮かべて言った。
「そこまで執心されるほどの人物だとは、俺は思わないがな」
「いいえ。私には分かるわ。私の勘が告げてるの。あなたは曹操と同じ英雄の一人。──あなたを味方につければ大きな戦力になる」
「それだけか?」
「もう一つあるけど、これ言ったら皆に呆れられちゃって」
可笑しそうに孫策が笑った。
「黒薙に惚れちゃった、て」
「……それはそうだろうな」
拍子抜けして、そしてやっぱり呆れた。
と言うか、俺に惚れたって……告白?
冗談──に、見えなくもないけど。
「まったく、我が主ながら情けない」
黒髪の女性がため息をつきたそうにして、やれやれと首を振った。
「だが黒薙。お前を孫呉の傘下に加えることが、孫呉にとって大きな利益であることに間違いはない。お前の用兵技術、知謀、魅力──それら全てを持ち合わせるお前はまさしく天下の名将。だからこの作戦を画策した」
「俺が来ないかもしれなかったのに?」
偵察に来るのが俺とは限らなかったはずだ。
「孫策が来ると五月蝿くてな」
「だって、そんな予感したんだもん」
「──それで?」
拗ねる孫策を無視して話を進める。
英雄独特の勘というやつだろうか。
「我ら孫呉に仕えよ、と申しておるのじゃ」
妙齢の女将軍が言った。
「孫策、言ったはずだ。もう俺は傭兵じゃない、蜀漢の一武将だと」
「──あなたの兵、あの山にいるのよね。根絶やしにしてやっても良いんだけど?」
孫策が目を細めて言った。
兵の命を人質にとるか……。
だけど、武人の性という奴を利用してやる。
これで生き残るか、死ぬかが決まる。
「俺を配下に加えたいんだったら、俺と一騎討ちをして勝ってみせろ」
「へえ──」
孫策がにやりと笑った。
「雪蓮、そんな要求は受けなくて良い。今、主導権は私たちが」
「そんなことどうでもいいわ。久しぶりにゾクゾクしてきちゃった」
孫策が剣を抜いて鋭く打ちかかってきた。
思わず鳥肌が立った。
こちらを貫くような殺気が身体を突き抜ける。
ヒュンッ
ガキィンッ
「くっ!」
剣を弾いて孫策の脇を抜けて振り返り、黒槍を構える。
「ちょっと雪蓮!」
「いいわ。受けてあげる、その挑戦」
孫策は黒髪の女性の言葉を無視して言った。
「あなたとは一度打ち合ってみたかったのよ」
「……俺と打ち合って後悔するぞ」
孫策を睨み付け、俺も笑う。
「策殿と同じような威圧を感じる。──あの者はやはり英雄ということか?」
女将軍が弓を構えた。
「ダメよ祭! これは黒薙と私の戦い!」
やっぱり孫策は武人。
俺の言葉を断れなかった。
これで奴らの目を俺に釘付けにできる。
君主が打ち合っているのだから、奴らも動くことはしないだろう。
翠が来るまで、俺は孫策と打ち合い続ける。
そうすれば今いる兵も助かる。
「いけないなぁ、孫策。いつも部隊指揮するから抑えてるというのに。──孫策のような武人が一騎討ちを受けてくれたら地の俺が出てしまうだろう……!」
それに孫策を前にして身体中の血が熱くなってくる。
武人の性だ、強い奴と向き合うと胸が高鳴り、身体が熱くなってくる。
「あなたから誘っておいて、何言ってるのよ。でも私は嬉しいわ。あなたの武人としての姿を見れて。いつものあなた、名将としての仮面を被ってるんだもの」
孫策が本当に嬉しそうに言った。
目的を忘れてる訳じゃない。
目的に沿ってるから戦うんだ。
「いくぞ、孫策!」
「望むところよ、黒薙!」
ヒュンッ
ヒュンッ
ガキィンッ
互いに踏み込み、剣と槍がぶつかり合い、位置を入れ換えた。
「っう。すごい振動だ……!」
力と力がぶつかり合ったために、槍が反動で振動している。
手にその反動が伝わってきてゾクゾクしてきた。
「ふふふっ。いいわ、黒薙。私も鳥肌立ってきちゃった」
孫策は終始笑みを絶やさない。
本当に楽しそうだった。
「孫策だって仮面被ってる。君主の仮面を。──ホントは暴れたくてたまらないというのに」
「似た者同士ね、私たち。やっぱり私のところに来なさい」
「生憎俺を好きでいてくれる仲間が蜀にはたくさんいる。諦めろ」
「だったら欲しいものは力づくで手に入れるわ!」
孫策が再び踏み込み、剣に力を込めた。
「はぁぁあ!」
ヒュンッヒュンッ
ガキィンッガキンッ
「ふっ!」
ドッ
横からきた初撃を一歩退きながらいなし、返す剣を槍の柄で受け止めて体当たりした。
「っ!?」
「ええいっ!」
ヒュンッ
ガキンッ
予想してなかった攻撃に孫策は一瞬目を見開いたけど、横から薙ぐ槍に反射的に反応して剣で受け流しつつ着地して剣を構えた。
「雪蓮!」
「──流石ね、黒薙」
「武器だけじゃなく、体も使う。俺はその場の状況に合わせて戦う。俺にとっては一騎討ちも戦と同じだ」
孫策と同じように俺もにやりと笑う。
「雪蓮、もう止めなさい! 主導権は私たちが握っているのよ! 黒薙の兵を捕らえればこちらの勝ちよ!」
「もう諦めい」
「しかし!」
「武人同士の真剣勝負に他は首を突っ込むべきではない」
黒髪の女性に女将軍が言った。
「なら、これはどう!?」
ヒュンッヒュンッビュッ
ガキィンッガキィンッ
ギギギィンッ
「くっ!」
孫策は下から斬り上げ、返す剣で斬り下げ、さらにそのまま腰溜めした突きを繰り出してきた。
斬り上げを横から薙いで軌道をそらし、斬り下げも返す槍で弾き、突きは槍を地面に突き刺して剣の軌道を俺から無理矢理そらした。
「あはっ! そう避けちゃうんだ!」
孫策は一度退いて剣を構え直した。
「仕方ないわね。山に潜む兵を捕らえなさい」
「はっ」
黒髪の女性が部隊に命令し、兵が俺を少し遠ざけて背後の山に駆ける。
「バーカ」
ザッ
ヒュンッ
ズビシュッ
「ぐわっ!」
「ぎゃあ!」
「黒薙!?」
槍を地面から引き抜き、飛び出し兵を斬り払った。
孫策が声を上げる。
「やらせない。──俺の許可無しに山に入ったらただじゃおかない」
槍を孫策に突きつけ、睨む。
「この黒龍黒薙! 背後の兵のため、蜀で待つ友たちのため! この黒槍で敵を貫き! 友を守る!」
「……ちょっと飲まれちゃったじゃない。ますます惚れちゃったわ」
孫策はちょっとぼー、とした顔をしたけどすぐに笑みを浮かべた。
「兵は動かさないでね。黒薙が飛んでいっちゃうから」
孫策が剣を握り直して、足に力を入れる。
孫策の部隊の兵たちは怯えたようにざわめく。
俺も右手を槍に添え、狙いを定める。
と、遠くから馬蹄の響きが耳に入ってきた。
槍を下ろした。
「なに?」
孫策もすぐに気づいて構えを解く。
「馬の牙門旗! 馬超の騎馬隊だと思われます!」
「なに!? いくらなんでも早すぎるではないか!」
兵の報告を聞き、女将軍が驚く。
「──黒薙ね」
黒髪の女性がちょっと考えてこちらを見た。
「一人、優秀な将校を益州に送った。俺の自慢の愛馬でな」
「なるほど。それで山に籠ってた訳ね」
「雛斗!」
「雛斗さん!」
遠くの馬群から二騎、翠と蒲公英が先行して俺の元に駆けてきた。
遅れて黒鉄を連れた王平が他の馬に乗ってやってくる。
「翠、蒲公英。心配かけてゴメン」
「無事なら何よりだ。それより──よくも雛斗を危険にさらしてくれたな、孫呉!」
馬から降りて翠が孫策を睨み付ける。
蒲公英も見たことがないくらい怒っているようだ。
「私は黒薙が欲しかった、それだけよ。そのためにこの作戦を画策した。失敗しちゃったけど、後悔はしてないわ。黒薙の心、少し分かった気がするから」
睨み付ける翠をものともせず、孫策は部隊に歩いていく。
「孫策」
それを俺が呼び止めた。
孫策が振り返る。
「最初に会っていたなら、仕えることを考えたかもしれないな」
「……ちょっと嬉しい、かな」
ふっ、と孫策が笑った。
「私たちは退くわ。またね、黒薙」
「ま、待て!」
孫策の部隊が動くのを翠が止めようとする。
既に騎馬隊が側に控えている。
「翠、今は孫策とことを構えるべきじゃないよ」
「けど!」
「俺は大丈夫だよ。孫策と打ち合ったけど、なんの怪我もない。……ちょっとお腹は減ってるけどね」
苦笑いして言った。
兵糧が切れちゃったからね
「雛斗さん、本当に大丈夫?」
蒲公英も馬を降りて駆け寄ってくる。
翠と蒲公英の頭をぽんっ、と叩いた。
「ホントに大丈夫。ありがとね、心配してくれて」
「当たり前だろ。雛斗は──私たちを助けてくれた、私の大切な人なんだ。もし……ヒック」
翠が言葉の途中で肩を震わせて嗚咽を漏らした。
その姿に一瞬目を奪われたけど、すぐに肩を抱いた。
震えを止められるよう、ちょっと腕に力を込める。
翠の顔が俺の真横にある。
「ありがと。俺をそこまで想ってくれて。──俺は幸せ者だよ」
「ヒック……雛斗……」
翠の声が耳元に聞こえる。
肩に翠が目を押し付けるのが分かった。
「戻ろう。俺たちの家に」
俺の服が真っ黒で良かった。
涙が染み込んでも分かりにくいから。




