御遣いじゃなくていい
「廬植先生。お久しぶりです」
「おお、雛斗か! 見ない間に立派になった」
初老の男が別れた時と変わらない姿で笑みを浮かべた。
廬植先生の私塾の門前だ。
晴耕雨読を好んでいて、本家は山にあるらしいけど門下生の授業のために普段はここで寝泊まりしている。
黄巾の頃は討伐軍の指揮官に抜擢されたけど、賄賂の拒絶が原因で言いがかりをつけられてやむなく辞した。
その後の官軍は黄巾賊に苦戦を強いられたけど。
「廬植先生はお変わりがないようでホッとしました」
「お主から返事がなくて最初は心配したが、徐州の劉備の下にいると噂を聞いてこちらもホッとした。劉備ならそなたも共に歩めることだろう」
「益州で仕事に追われていますがね」
「そなたの軍才では仕方なかろう。それより、そちらのお嬢さんはどちら様かな?」
不意に廬植先生の目が星に向いた。
「私の名は趙雲、字は子竜と申す者。劉備様の将を務めています」
「おお、そなたが趙雲殿か。お噂は聞き及んでいる。関羽殿、張飛殿たちに並んで五虎大将の一人と」
「恐縮です」
星も淑やかなところあるんだね。
そう思っているのがバレたのか、星が肘で小突いてきた。
「ところで雛斗。そなた、何故私のところに?」
「実は黒槍が折れてしまいまして。それで鍛冶屋に直してもらおうと」
「ふむ、なるほど。しかし残念ながら鍛冶屋は高齢でもう仕事をしていない」
「なんと」
「まあ、行くだけ行ってみるが良い。もしかしたら引き受けてくれるかもしれぬ。そなたの名将ぶりは全土に及んでおるからの」
「……そうですね、一度訪ねてみます」
「そうしてみるが良い。ところで雛斗、あのことはもうお仲間には話したかな?」
「あのこと?」
「そなたが天から来た、と言うことだよ」
「っ!?」
それを聞いて俺も驚いたが、それよりも星が驚いていた。
「雛斗、それはどういうことだ!?」
「せ、星。それは……」
どう説明したものか、と言い淀んでいたら廬植先生が笑った。
「そうか、その様子だとまだ誰にも話していないな。趙雲殿、雛斗はそなたたちが仰ぐ天の御遣いと恐らく同じところから来た男だ」
「この世界の人間ではない、と言うことですか!?」
「うむ」
それを聞いて星が俺を見た。
何故言ってくれなかったのか、とその目は言っていた。
このことは廬植先生と氷だけが知っていることだ。
「──俺は、たぶん管輅の占いの前にこの世界に来た。黄巾の乱が起こるだいぶ前だったから」
「では、天の御遣いではない?」
「だけど、そんなことを言ったからって天から来たことには変わりはない。星や桃香たちと初めて会ったあの時、一刀を見て俺と同じところから来たと確信した」
「しかし何故、その後も内緒にしていたのだ?」
「さっきも言った通り、天から来たことには変わりはない。天の御遣いが二人いることになったら?」
「……どちらが本物の天の御遣いか、と疑問が出てくる」
「それを曹操や孫策が指摘しない訳がない。本物の天の御遣いはどっちだ、て言われて離間の計をかけられかねない」
「だから黙っていたのか……」
「……余計なことを口走ってしもうたか」
廬植先生が罰の悪そうな表情をした。
「──いえ、良いのです。それを知ったとて、星の態度は変わらない──でしょ?」
「雛斗──」
「星は俺がどの世界の人間でも、俺のことを好きでいてくれる?」
「……もちろんだ。雛斗は雛斗。私の夫足り得る男だろう?」
「お、夫って……」
「ほっほっほっ。これは飛んだ組み合わせだ」
赤くなる俺と笑みを浮かべる星を見て、廬植先生が愉快そうに笑った。
星だけじゃなく、蜀軍のみんなも気にしないはずだ。
「星には全部話すよ。俺の名前は黒薙雛斗。明蓮と言う字は廬植先生からいただいた。この世界に来て姓を黒、名を薙、字を明蓮、真名を雛斗とした。それはこれからも変わらない。よろしく、星」
「ああ。よろしく頼む、雛斗」
星が手を差し出してきた。
俺も笑みを浮かべてその手をとった。
今、俺はこの乱世に来て良かったと思っている。
よそ者の俺を、こんなにも思ってくれる仲間がいるから。




