拠点フェイズ3.恋、ねね
がちゃがちゃ
「誰?」
机について仕事をしていると不意に扉のノブが動いた。
朝起きて間もない時間だ。
今日は定期会議があるため、昨日のうちにまとめた資料に最後に目を通していた。
だいたいは愛紗から受けついだ軍事についてで、黒薙軍の報告はほとんどついでだ。
兵数が少なくなったのが大きい。
それに桃香たちも俺たちのことを仲間だと思っていてくれてやることにあまり口出ししない、というのもある。
「…………」
「……恋?」
がちゃがちゃという音が止み、少し返事を待ってもこなかったから訊いてみた。
「…………」
返事がないところを見るとやっぱりそうらしい。
恋は黒薙軍の武将ということで、会議には出ない。
黒永やねねや亞莎は内政に駆り出されているけど、武将はそれぞれの部隊の統括と定期的に回ってくる街や城の警備をするくらいだ。
とりあえず、席を立って扉の鍵を開けた。
扉を開くと案の定、恋が立っていた。
「どうしたの、恋? 遊びの相手なら後にしてくれると嬉しいんだけど」
「……仕事?」
やっぱり遊び相手が欲しかったらしい。
「会議があるから。その後だったら時間があるから」
「……わかった。待ってる」
と、恋が部屋に入り寝台に座った。
もちろん、俺の寝台なわけだけど……まさか俺の部屋で待つつもり?
「…………」
まあ、後で探すのも面倒だし良いかな。
「留守は頼むよ、恋。俺に用で誰か来たら会議に行った、て言えば良いから」
「……(コクッ)」
恋が頷くのを見てから机の資料を持って部屋を出た。
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がちゃ
「ゴメン、恋。ちょっと会議が長引いて」
急ぎ足で来た俺は言いながら自分の部屋の扉を開けた。
時刻は昼を少し過ぎていた。
なんか一刀が寝坊したらしく会議が遅めの始まりになってしまったのだ。
やっぱり愛紗に怒られていた。
「……………………」
「……?」
そのまま机に新たに渡された資料を整え始めて、恋の声がないのに振り返った。
「…………くー」
「……ふふっ」
その姿を見て思わず笑った。
恋は俺の寝台に丸くなって寝ていた。
傍にはセキトも一緒になって寝ている。
ああ、布団にセキトの毛が……まあ、いいか。
別にアレルギーないし。
それよりも恋はホントに穢れがない。
寝たい時に寝てるんだから。
俺だったら他人の部屋で、しかも他人の寝台で寝たりできない。
人の持つ欲望のままに、純粋にしたがって行動する……人間のあるべき姿なんじゃないか、て思ってしまう。
だってこんなに幸せそうに寝てるんだもん。
「…………………??」
恋が身動ぎしながら目をうっすらと開けた。
その表情にドキッとした。
「……………………」
ちゃき
「恋、どこから戟を出した!?」
どこからともなく戟を手に取った恋を見て、反射的に腰の剣に手をかけた。
でも剣じゃさすがに防げないから一秒も経たずに俺の部屋は真っ赤に染まるだろう。
「……雛斗」
ガシャッ
「戟をそうポイと投げるもんじゃない」
冷や汗を拭いながら傍の卓とセットの椅子に座った。
まったく、さすがは天下の猛将。
そんな恋は今目を擦っている。
「ごめんね、恋。起こしちゃったね」
「……大丈夫」
ホント? 目が半目だよ?
「眠かったの?」
「……雛斗の匂いがしたから」
「……へ?」
何を言ったのか一瞬わからなくて間抜けな声が漏れた。
「……雛斗の布団に座ったら、雛斗の匂いがした。それで寝転んだら、寝てた」
俺の匂いがしたからって……俺、そんなに臭うかな?
だったらショックだな。
「臭くなかった?」
「……(フルフル)」
すると恋が首を振った。
「……雛斗の匂い、嗅いでるとホッとしてドキドキする。だから、好き」
「…………」
なんだそりゃ?
はあ!?
て、はあ!?
待て待て俺、ちょっと落ち着こうか。
クールダウンだ。
俺の匂いがホッとして……ドキドキするって……。
それって……うぁぁ、恥ずかしい!
「…………」
ピトッ
「っ!?」
思わずビクッと震えてしまった。
考え込んでいたらいつの間にか俺の隣に恋がいた。
ちょっと屈んで俺の袖に鼻をくっつけている。
「な、何やってるの恋!?」
「……雛斗の匂いを嗅いでる」
なんでそんな恥ずかしいことを平然と言えるんだ!
恋は狼狽える俺など知らぬ顔で俺の袖の匂いを嗅いでいる。
……可愛い、て待て俺。
クールになれ、冷静になれ!
「そ、そんなことより! 遊びに行かないの、恋!」
「……行くの?」
「……へ?」
顔が赤いまま、また間抜けな声を出した。
「……恋は雛斗と一緒にいたい。場所は、どこでもいい」
「……え?」
れ、恋……そ、それって……?
恋は俺と一緒にいれればいい、てことは……そ、そういうこと?
う、うわぁぁあああ!?
「……??」
いきなり頭を抱え込んだ俺に恋は首を傾げた。
「……よ、よーし。まずは落ち着こう。て、ことで恋。昼御飯にでも行こうか」
まずは頭を冷やそう。
冷静に考えるのはそれからだよね。
散歩してれば考えもまとまるかもだし。
「……ご飯」
恋は嬉しそうに言いながら頷いた。
───────────────────────
「……あのさ、恋」
ちょっと、いやかなり緊張しながら恋を呼んだ。
「……??」
「な、なんで腕組むのかな?」
左腕に抱きついた恋にちょっと噛みながら訊いた。
街に来ていた。
昼ちょっと過ぎで俺たちみたいに昼御飯を済ませていない人もいるようで、街は活気に溢れていた。
そんななか、自分で言うのはあれだけど顔の売れた俺と恋が一緒に、しかも腕組んで歩いていたら往来の人は当然こちらを見るわけで……うぁ、恥ずかしい。
「……嫌?」
「……い、嫌じゃないけど」
そんな上目遣いで言われて断れるか!
「……嫌なら離れる」
「嫌じゃないから! 大丈夫!」
「……よかった」
ホッとした笑みを浮かべて恋は腕の締めを強くした。
れ、恋……一応女の子なんだから、その……む、胸は……ああ!
去れ! 煩悩!
「……雛斗、あそこが肉まんが美味しい」
恋が片手を解いて指差した。
左利きの俺の左腕に絡む恋だけど、たぶん俺の右肩を気にしてだと思う。
傷は治ったけど、そういう気遣いは嬉しい。
「じゃあ、あそこにしようか……」
腕を解いたことで柔らかいものがちょっと離れてホッとした。
ただ、顔は熱い。
恋の手引きにつられて店に入った。
中年の男店主は俺と恋を見て目を丸くしたけど、すぐににやにやした。
くっ……恥ずかし過ぎてやばい。
それを気遣ってか、店主は端っこの席を案内してくれた。
はあ、やっとこの公開処刑から解き放たれ……て、恋。
なんで俺の隣に座るの?
俺の正面でいいでしょ?
「……ここがいい」
俺の視線を察してか、恋はそう言って俺の隣の席に座った。
公開処刑続行。
店の外の奴、じろじろ見るな!
「……恋、何頼む?」
心の中でため息をついた。
まだ顔が赤いだろうけど、諦めて恋に訊いた。
もちろん、腕を組んだままだ。
「……肉まん」
「じゃあ俺もそうしようかな」
「……一緒」
また恋が嬉しそうに微笑んだ。
うぐっ……不意打ちはキツい。
注文してちょっとしてから大量の肉まんが運ばれてきた。
うん、恋には適量だろう。
恋がお得意様だから慣れてるんだろう。
最近、俺も恋のことがようやくわかってきた。
「冷めないうちに食べようか。いただきます」
ようやく腕を組むのに慣れて顔が冷めてきた。
「……いただきます」
そう言ってからさっそく肉まんを掴んでかぶりついた。
それからはいつも通りに肉まんが消費されていく。
俺も恋が消費する傍ら、肉まんを食べた。
恋が選んだ店だけあって、美味しい。
「…………もくっ、あむ、もむもむもむもむ」
一心に肉まんを食べていく恋を見ると、やっぱり頬が緩んでしまう。
「………………………………??」
恋が首を傾げて俺を見た。
「どうしたの? 恋」
「……食べる?」
恋が片手に持った肉まんを突き出してきた。
……いい加減慣れてきたな、このやり取り。
「……いただくよ」
すると恋は肉まんを食べやすいように半分にした。
「あーん」
「あ、あーん……はむ」
やっぱり慣れないな、これ。
恥ずかしくて。
半分にしてくれたから丁度良く口に入った。
「むぐむぐ……うん、美味しいよ」
「……よかった」
だからさ、そう微笑まれるとこっちはドキッてするんだけど!
俺の胸の内がもやもやしたまま恋が肉まんを食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさま」
店待ちの人を考えてすぐに店を出た。
当然のように恋は俺の腕に絡み付いた。
「…………」
「…………」
城に向かって歩く俺と恋は、何故か黙ってしまった。
なんでだろう、なんか話せない。
さっきは話せてたのに。
だからと言って別に気まずいわけじゃなくて……喋らなくてもいい、て感じで。
いつの間にか俺は腕を組んでいることを忘れている。
「……ねえ、恋」
そういえば考えてたことを訊かないと。
「……??」
「恋はさ、俺のこと……どう思う?」
また恥ずかしくてちょっと赤くなった。
今、一番訊きたいことだ。
恋が積極的に俺にくっつくのは、なんかあってのことだろう……たぶん。
「……わからない」
「え?」
「……雛斗と一緒にいると、変な感じがする。胸のところ、きゅうってする……これがなにかわからない。恋、なにかおかしいの?」
「…………」
俺とおんなじだ、恋に対する感情と。
たぶん、そういうことなんだろう。
俺がそう思ってるから。
けど俺がそうだからって、それを恋にそうだと押し付ける。
それは違うと思う。
「……ゴメンね。俺にはわからない。他の人に訊いてみて」
だから俺はこう答えた。
間違ってないよな、と自身に言い聞かせて。
偽ってるだけだと、わかっていながら。




