拠点フェイズ3.黒永
「……へ?」
思わず間抜けな声が出た。
横にいる黒永は俯いている。
時刻は昼直前。
俺自身の部屋で机についていた。
今は黒薙軍の徴兵計画を練っているところだ。
黒薙軍の兵士が八千まで減ってしまった。
これでは劉備軍の戦力としては心許ない。
せめて元の二万まで戻したい。
そんな真面目に考え続けていたところに、黒永が来て言ったのだ。
「ですから……お食事でもいかがですか、と……」
黒永が俯いたまま言った。
俯いていても耳が真っ赤だから今の黒永の顔色は容易にわかった。
黒永は従者だ。
だから大抵俺の意向に素直に従う。
自分から意見を言うなんてほとんどない。
軍事以外ならなおさらだ。
食事に誘うなんてもっての他。
「……熱でもあるの?」
席から立ち上がって一応、黒永のおでこに右手を触れる。
右肩が治って、ようやく調練にも顔を出せるようになった。
まだ本調子ではないにしろ槍を振り回し、医者に針治療を受ければ元に戻るだろう。
「ひゃっ!?」
いきなり触れたからか、黒永が可愛い声を上げて後ずさった。
見慣れない姿に俺も驚いた。
「ご、ゴメン……」
黒永もこういう声出すんだ……待て俺、なに考えてる。
「い、いえ! 私こそ変な声を出してしまい……」
黒永が真っ赤になって、また俯いた。
やばい……可愛い。
待て、俺。冷静になれ雛斗。
そもそもなんで黒永が俺を食事に誘うの?
劉備軍の客将になって俺は軍事で黒永が内政で仕事をするようになってから、一緒にいる機会も減ってきている。
全く対立した仕事なのだから仕方ない。
だから食事もばらばらでとっている。
ここ最近、黒永と食事をしたのはいつだったか。
その黒永がなんで?
「……まあ熱はないとして、どうしたのさ黒永? お前が俺を何かに誘うなんて珍しい」
「……私が誘うのは、やはりおかしいでしょうか?」
さっきとは打って変わって不安げな顔を上げた。
「……いや、誘われようかな」
女の子のお誘いを断るとろくなことなさそうだし。
不安げな黒永の表情に……ちょっとドキッてしたし。
「あ……ありがとうございます!」
途端にぱぁっと明るい表情になった。
不安げな表情もいいけど、笑った表情もいいよな。
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「あっ、雛斗お兄ちゃんなのだ!」
「…………」
黒永がちょっと眉をひそめた。
仕事を切りのいいところで止めて、いつも黒永が来ているという飯店に来た。
そこには鈴々と恋、ねねがいた。
「鈴々。恋とねねもいるのか」
「雛斗お兄ちゃんと黒永もご飯なのか?」
「そうだよ」
「……雛斗も食べる?」
恋が饅頭を見せてくる。
相変わらずよく食うね、二人共。
ねねも恋と同じものを食べていた。
「今日は黒永と食べるからいいよ。いつもありがとね」
自然な仕草で席に座っている恋の頭を撫でる。
「…………♪」
「……黒薙様、何かご所望の食事はございませんか?」
なんだろう、黒永がちょっと怒ってるような気がする。
「ああ……そうだね。拉麺を食べたいな」
「拉麺はここにはないです」
ねねが饅頭を飲み込んでから言った。
こういうところは行儀正しいな。
さすが恋の保護者。
「では、他をあたりましょう。失礼します、皆様」
「悪いね、また今度誘ってね」
「……(コクッ)」
恋が頷くのを見てから飯店を後にした。
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「なんや、雛斗と黒永やないか。珍しいやん」
「…………」
黒永が何か言いたげだけど、結局黙っている。
拉麺の出店を見つけたら霞がいた。
「昼飯か?」
「そ。いいところ探してるんだけどね」
「ここの拉麺、美味いで。一緒に食わん?」
「……いや、今日は拉麺って気分じゃないから」
ちょっと考えてから言った。
さっきと言ってること違うけど気にしない。
「そか、残念やなあ。美味いのに」
「また今度誘ってね」
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「……黒永」
ちょっと考えて呼んだ
街を歩き続けて店を何個回っただろう。
行く先々でみんなと会う。
誰かと会うと黒永はなんか怒る。
「……なんでしょう?」
ちょっと落ち込んだ様子で返事した。
表情は出さないけど、声でわかる。
「久し振りに、黒永の料理を食いたいな」
「……時間をとってしまいますが」
黒永が驚いたけど、すぐに言った。
「いいよ。どこの飯店だって客待たせるんだから、変わらないよ」
「では、城の厨房へ」
「今日は外で食べたいな。庭で食べようか」
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厨房から料理を運ぶのを手伝おうと申し出たけど、
「今日は黒薙様の従者でいさせてください……」
って言われたから止めた。
黒永も気にしてるんだな、一緒にいれないこと。
庭に設けられた東屋にある卓について庭を眺めていると、侍女に手伝ってもらいながら黒永が料理を運んできた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いいよ。ありがとね、みんなも」
「い、いえ! お気になさらず!」
侍女に言ったら慌てて城に戻っていった。
「…………」
黒永がまたちょっと怒ってるような気がする。
なんか今日は黒永の機嫌が悪い。
「さて、食べようか。温かいうちにさ」
「……そうですね」
俺が言うとちょっと肩をすくめて黒永も頷いた。
「じゃ、いただきます」
「どうぞ、召し上がってください」
さっそく大皿に入った麻婆豆腐を器に盛る。
中国ではこうして大皿で料理を出してそれぞれの器に盛る。
また、食事の主催者が客に空になる皿に盛ってやるのだそうだ。
今回は主催者とか別にないから、そんなことないけど。
「むぐむぐ……うん、久し振りだな。黒永の料理」
黒永の料理を最後に食べたのは洛陽にいた頃だ。
黒永は家事炊事全般をそつなくこなす。
料理は豪華でなく、それでもそこらの飯店に負けない素朴な料理をつくる。
「…………」
黒永は料理に手をつけず、ちらちらと俺の様子を窺っている。
「……うん、美味しいよ黒永」
「……ありがとうございます」
ホッとしてようやく笑みを浮かべた。
あっという間に食事は進み、すぐに食べ終えた。
そしたら侍女が来て食器を運んでいった。
遠くから様子を窺っていたらしい。
黒永も運ぼうとしたけど、断られた。
ごゆっくり、とだけ言って侍女たちは行った。
「……ありがと。俺の我が儘なんか聞いてくれて」
「……私も、嬉しかったです」
立ち尽くして侍女を見送っていた黒永が遠慮がちに俺の隣に座った。
「黒薙様が、私の料理を所望していただけて……」
黒永の頬に赤みがさした。
思わず目をそらした。
「……でも、なんで今日は俺を誘ってくれたの?」
「……黒薙様と離れていた時間は、私は苦しかったです。仕事に苦しさをまぎらわそうにも、こと足りません。私は、黒薙様と常に一緒にいたいのです……」
俯きながら黒永は言った。
「…………」
まずい……嬉しい。
女の子にこんなこと言われて、嬉しくないはずかない。
遠慮がちに黒永の肩を抱いた。
黒永がびくっと震えた。
不安げに黒永が上目遣いで見上げてくる。
「……仕方ない、ていうのはわかってるよね。劉備軍は今、大事な時。曹操と孫策に並ぶために力を早急につけなきゃいけない。そのためには俺と黒永も働かなきゃいけない。常に一緒にいる、なんてのは難しい……」
「…………」
「でも、これだけは覚えといて。……俺も黒永と一緒にいたい、てこと」
「……黒薙、様?」
顔を見られないように顔をそらしつつ、黒永の肩をさらに寄せた。
黒永の華奢な身体が俺の胸に寄り添う。
「……俺にとっての黒永は、従者以上に大切な存在なんだから」
「……あ、ありがとうございます」
黒永が笑みを浮かべて、俺の背中に腕をまわした。
黒永の身体が温かい。
俺の身体は冷たくないだろうか……それがちょっと気になったけど、黒永は気にした風でもなく腕の締めを強めた。
その軽い締め付けと身体のぬくもりは俺の心を不思議と優しく包んでくれた。




