さらば戦友よ
『かんぱ~い!』
みんなが盃を差し上げて言った。
もちろん俺も申し訳程度の声で言った。
右手が使えないから左手で盃を持っている。
左利きだから問題ないけど。
「黒薙様、お酌します」
すぐに空になった盃を見て左隣の席の黒永が徳利を持つ。
「もらおうかな」
「失礼します」
一言断りを入れて俺の盃に酒をなみなみと注いだ。
俺が左しか使えないのを見越して、黒永は左に座ったのだ。
ホントにできた従者だ。
劉備軍、黒薙軍の将士が集まった宴だ。
もちろん、益州制覇の宴だけど俺たちの帰還祝いも含めた宴だ。
ついでとはいえ、嬉しかった。
「雛斗、肩の調子はどうだ?」
料理をつまみながら酒をちびちび飲んでいると、愛紗が訊いてきた。
まだ酔った様子はない。
「まだ動かさない方がいいけど、近いうちに治るらしい」
「そうか、よかった……お前は私たちにとってなくてはならない存在になっているのだからな」
愛紗がホッとした笑みを浮かべた。
それに少なからずドキッとした。
女子のこういう笑みって見とれるよね。
「黒薙」
馬超が俺を呼んだ。
馬岱も隣にいる。
「私たちを助けてくれてありがとう。改めて礼を言いたい」
「いや、気にしないで。俺が好きでやったことだし」
「でも、なんで助けてくれたの?」
馬岱が首を傾げて訊いた。
「俺が好きでやった……て、言うと同じだからな。袖振り合うも多少の縁、て言うし……助けないと俺が嫌だったから」
「…………」
「お姉様、顔赤いよ。……でも、女がそう言われたら誰だって嬉しいよね」
「……なんだか知らないけど、だから気にしなくていいから」
急に馬超が顔赤くした。
なんだかよくわからなかったから触れないようにした。
「そんなことより黒薙さん。私たちのこと、真名で呼んでよ。助けてもらったし、桃香さまの仲間になったんだから」
「そうか、仲間になったんだ。じゃあ改めて自己紹介ね。黒薙、字は明蓮。真名は雛斗。雛斗、て呼んで。これからよろしくね」
「私は蒲公英だよ。ほら、お姉様も」
「へっ、あ、ああ! 私の真名は翠だ! よろしくな、雛斗」
まだ顔が赤いまま翠は言った。
「雛斗さん、肩は大丈夫ですか?」
朱里と雛里が訊いた。
さすがに朱里と雛里は酒は飲まないからお茶だ。
「ああ。近いうちに調練にも復帰できると思うよ」
「そうですか……よかったです」
雛里がホッとして言った。
朱里も安心して肩をおろしている。
「心配かけてゴメンね、二人共」
「謝らないでください。雛斗さん」
「朱里ちゃんの言う通りです。雛斗さんは私たちにとって、本当に大切な人なんですから」
「雛里ちゃん、それ告白みたいだよ」
「あ、あわわ……」
いつも通りの会話に自然に笑ってしまう。
こんな二人でも劉備軍の首脳なんだから……すごいよな。
「それでもありがと、心配してくれて」
「い、いえいえ!」
「気にしないでください!」
慌てると、あわわはわわ言うのは相変わらずだな。
「あ、白蓮と星。盃出して」
「ん? なんだいきなり」
「黒薙殿が酌をしてくれるのか?」
とか言いつつ二人共盃を差し出した。
それに持ってきた徳利を傾けた。
「む、黒薙殿。その徳利……」
「その赤い徳利……見たことあるぞ」
「白蓮、あの時の徳利だよ。星がお守りにくれた酒だよ」
まだ徐州にいた頃、星が白蓮を怒らせた時の酒だ。
俺が西涼に出発する際、星がお守りにとくれた酒だ。
「やっぱりそうか」
「黒薙殿、ここで開けるのか?」
「いいじゃん、白蓮も飲み直すって言ってたし。今ほど楽しく飲める場所はないと思うけど?」
「……それもそうか。なら、いただこう」
星が微笑みながら注いだ盃を持った。
白蓮も取った。
「では……黒薙殿の帰還を祝って」
「「「乾杯」」」
三人で盃を打った。
一気にあおる。
やっぱり良い酒だ。
「なんや、雛斗。良さげな酒持っとるやん」
霞が右隣の席から横槍入れてきた。
「霞、老酒飲んでるでしょ?」
「ええやん、一杯くらい飲ませてえな」
「はいはい」
と、霞の空いた盃に注いだ。
「ぐびっ……ええ酒やな」
「でしょ?」
「……雛斗、食べる?」
恋が箸で刺して小籠包を突き出してきた。
「あー……もらおうかな」
せっかくくれたのを無下にしたら悪い気がする。
ねね辺りからなんか言われそうだけど、今は詠となんか言い争いしてる。
「あーん」
「…………」
なんだ……デシャヴ。
「……いや、恋。みんないるし」
「あーん」
「…………」
「黒薙殿、女性がやってくれるのだからありがたくいただくのが礼儀というものだぞ」
「星に言われてもな……。あ、あーん」
ちょっと恥ずかしくなったけど、突き出された小籠包を噛んで箸から引き抜いた。
「……美味しい?」
「むぐむぐ……うん、美味しいよ」
みんなにじろじろ見られたからかなり恥ずかしい。
星、霞、にやにやすんな。
「……よかった」
嬉しそうに恋が微笑んだ。
ホント、女の子の微笑みってドキッてするから心臓に悪い。
「亞莎も飲んでる?」
見てられなくて話題をさっきから静かな亞莎にそらした。
「あ、ひゃい! いただいてます!」
こういうことに慣れていないのか、噛み噛みで亞莎が慌てて返事した。
なんかぼーっとしてたみたいだけども、大丈夫か?
「あーちゃん、なに雛斗に見とれてん」
霞がにやにやしながら亞莎に絡んだ。
「ひ、雛斗さまに見とれてたなんて……」
「違う言うんか?」
「あ、あう……」
なんか亞莎が赤くなって長い袖で顔を隠した。
そういう仕草も可愛いよな……って、何考えてんだよ俺。
「黒薙様」
不意に黒永が俺を呼んだ。
「ん?」
「できたそうです」
見ると黒永の後ろに黒薙部隊の兵士が腰を低くしていた。
「……そうか。じゃ、行こうか」
徳利を一つ持って黒永と騒がしい宴からちょっと抜けた。
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外は明かりが篝火だけで真っ暗だ。
調練するための練兵場に来た。
その端の方に歩く。
角に着くと、ちょっとした神社のような木でできた小屋があり、岩を削って作った何かが土の上に鎮座していた。
岩の前には岩を地面に埋め込んでできた台がある。
「……ついてきてるの、誰?」
「……わかってたのか」
さっきから後ろにあった気配が出てきた。
「……一刀か」
出てきたのは一刀だった。
黒永は気づいていなかったらしく、驚いている。
「宴抜け出して何してるのさ?」
「……丁度良い。こっちに来るといいよ」
「……??」
いぶかしみながら一刀は俺の隣に来た。
「これは?」
「……黒薙軍の兵士のために作った墓みたいなものだよ。漢中までの亡くなった黒薙軍兵士の」
そう言うと一刀の顔が真剣になった。
「特に俺の直属の部隊……洛陽で警備部隊をしてた頃からの五百人。もう百人くらいに減っちゃってな」
「雛斗の直属が?」
一刀が驚いて俺の顔をうかがった。
「漢中で俺が無理させすぎたからね。それで一気に削れたのさ。だからってわけじゃないけど、こうして俺たちの仲間に礼を言いたいんだ」
片膝をついて、岩に持ってきた酒を優しくかけた。
灰色の岩が、黒くなって篝火で橙色に鈍く光る。
「……俺たちも雛斗の軍には助けられたからな。祈ってあげないとな」
一刀が感慨深げに言った。
自然と視界が滲んだ。
それでも橙色の岩は見えている。
「ありがとな、お前ら……俺についてきてくれて。ここで先輩として俺たちや兵たちを見守ってくれな。ゆっくり休んでくれ……」
目を閉じて、手が濡れるのに構わず、かけ終えた岩を撫でた。
日の光を浴びたからか、まだほのかに温かい。
頬を涙が伝う。
鼻の奥がつーんとした。
黒永と一刀もじっと目をつむって黙祷していた。
今、黒薙軍は二万だったのが一万を切って八千程度に減ってしまった。
昔からの戦友がかなり減った。
直属はくせからなにまで知っていて、部下ではなく戦友という存在だった。
「……頑張んなきゃいけないよな、お前らを肩に乗せて」
兵士の命を肩に乗せるのが大将の役目だ。
でも俺の肩は思ったより軽く、戦友が背中を押してくれているようだった。
岩から離した手はまだ温もりを感じ、酒の香りが漂っていた。




