黒龍の志
「黒永! 間者を全て劉備軍の探索に当てろ! 曹操軍にはいい!」
駆けながら言い、黒永は間者の一人に指示した。
あれからずいぶん駆けた。
馬を潰さないよう、やや抑制しながら二千五百頭は駆け、今は宛辺りだ。
十人しかいない兵を全て斥候に当て、曹操軍と桃香たちの動きは読めてきた。
桃香は徐州を放棄した。
というより、曹操に開け渡したと言った方がいい。
敵は五十万、劉備軍は五万……何をしたって勝てない。
だから逃げた。
曹操なら悪政はしない、だからそうしたんだろう。
そして曹操はまだそれを読めていない。
わざわざ劉備軍の本城に夏候惇などの主力部隊を送っているのだ。
そして曹操本隊は三つにわかれて拠点を落としていっている。
読めているのなら、こんなのんびりな進軍はしないはずだ。
「恋……霞……ねね……みんな……!」
口にして唇を噛んだ。
五十万とまともに当たったらいかに猛将を当てようと、ひとたまりもない。
桃香たちならそんな愚行は犯さないはずだ……けど、追いついたら……。
背中に寒気が走った。
絶対に助ける……!
「発見しました! 長坂橋に向かっているようです!」
駆けながら黒永が報告した。
「長坂橋……? 荊州……いや、益州か!」
益州は最近、後継争いで荒れているという。
政の評判も良くない。
逃げる場所としてはもってこいだ。
「なら話は早い! 長坂橋なら遠くはない! 長坂橋に先に到着し、近くに伏せる! 二千五百頭の馬だ。混乱させることはできよう! 急ぐぞ!」
「「御意!」」
黒永と亞莎が返事した。
槍を差し上げ、方向転換した。
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数日して、山影に潜んだ。
馬には草鞋を履かせ、枚を噛ませた。
先程、劉備軍の本隊が橋を渡った。
そして二手にわかれたのであろう鈴々と恋、霞、ねね、意外にも北郷が橋にとどまり、一度夏候惇らの追撃部隊を跳ね返した。
その後、北郷とねねとお守りに霞が橋を渡り、鈴々と恋の待つ長坂橋に再び魏軍が攻めてきた。
ここで出ていっても良かったけど、どうやら鈴々と恋が大喝して敵を恐慌させているらしい。
ところどころ、怯えて逃げそうな兵が見える。
「……よし、行くか。黒永、亞莎。ちゃんと俺について来い」
「「御意」」
「……出撃する!」
黒鉄の腹を蹴り、十人と黒永、亞莎、そして二千五百頭の馬の先頭に立ち、夏候惇の部隊の側面に突っ込んだ。
もちろん、怯えが目立つところが隙だ。
突如現れた二千五百頭の馬の大群に、敵はさらに怯え、混乱は一気に増した。
突っ切るのは容易だった。
突っ切ってそのまま、長坂橋の前に駆け抜けた。
追撃など、人を乗せない馬に追い付けるはずがなかった。
「恋、鈴々! 無事か!?」
「雛斗お兄ちゃん!?」
「……雛斗」
恋はさすがに伏兵の俺たちを察していたようだ。
「すまない。留守にして」
「大丈夫なのだ! 雛斗お兄ちゃんはよくここがわかったのだ」
「鈴々の闘気、伏兵してるこっちまで感じたぞ?」
苦笑しながら言った。
あの橋の前に立った時の鈴々に勝てる気は全然しない。
「敵は大混乱だ。今のうちに」
「待ちなさい、黒薙!」
「……曹操か」
俺は後ろを振り返った。
「えっ……!?」
「華琳様っ!?」
夏候惇と夏候淵も驚いている。
本隊はまだ来ていないと思っていたのだろう。
「秋蘭、軍を下がらせろ! これ以上張飛を刺激しても何もならん。無駄な損害を増やすだけよ」
「しかし御身に何かあっては……!」
夏候淵が少し焦った様子で言った。
すると曹操が張飛を見た。
「何も無い。……でしょう? 張飛」
「……様子見なのだ」
「だそうよ。……下がらせろ、秋蘭」
夏候淵はすぐに部隊を下がらせた。
「……黒永、亞莎。馬に橋を渡らせろ。黒薙軍と合流して、すぐに騎馬隊を編制しろ」
「雛斗様は?」
「……少し、ここに残りたい。大丈夫だ。鈴々と恋と一緒にすぐに行く」
黒永と亞莎が頷いて、馬と共に橋を渡った。
「……何考えてるのだ?」
やがて鈴々が曹操に訊いた。
「何も。……ただあなたの誇り高さを愛おしいと思っただけよ」
「鈴々にその気は無いから、そんなこと言われても困るのだ」
そうだろうな。
鈴々は何も考えずに、純粋に戦っただけだ。
そんな鈴々は、本当に強い。
「ふふっ、そういう意味じゃないわよ」
「……??」
「張飛。劉備に伝えなさい。今回は逃がしてあげる。……更なる力をつけて私の前に立ちはだかりなさい。その時こそ決着の時。あなたの理想の力がどれほどのものか……楽しみにしていると。そう伝えなさい」
「……もう戦わないのか?」
「私たちは徐州を手に入れた。これ以上の戦果を望むべくも無いわ。……逃がしてあげる」
「……信じて良いのか?」
「我が魂に賭けて」
「……わかったのだ。じゃあ鈴々は退却するのま。追ってきても良いけど、大怪我してもしらないのだ」
「ふふっ……あなたの背後。川の向こうから葉擦れの音が聞こえるのを、私が気付かないとでも思っているのかしら?」
橋という制限された条件下では伏兵は伏せるだろう、とは思っていた。
「お喋りはお終い。退きなさい、張飛」
「わかったのだ。……じゃあね、曹操お姉ちゃん」
「……恋! 退け!」
鈴々が走り去ったのを見て、恋に言った。
「……雛斗は?」
「大丈夫だ。すぐに行く」
「…………」
「約束だ」
「……(コクッ)」
恋が俺に一回振り返り、橋を渡った。
「さて。……黒薙。何か用かしら?」
曹操が訊いた。
俺を呼び止めたのは、俺が何か訊きたいことがあると知ってのことか……。
「……単刀直入に訊く」
黒鉄から降り、首筋を叩いて先を促した。
黒鉄は一回、俺に頬擦りしてから橋に走った。
「英雄とはなんだ?」
「……愚問ね、黒薙」
曹操は鼻で笑った。
次に、周りの景色が消え、また曹操の姿しか見えなくなった。
「英雄とは、己が壮大なる夢に突き進む、天に選ばれた存在のことを言う」
「……俺を英雄と呼んだ理由はなんだ?」
「あなたの黒い瞳……真っ直ぐだった。そして私と同じような覇気を感じた。ただそれだけ」
そして、ふっと景色が戻った。
曹操は笑みを浮かべている。
「……これ以上の返答を望むかしら?」
「……曹操孟徳!」
黒槍を地面に刺し、膝をついた。
「礼を言う! 志が定まった!」
「……次の時に、私に志を示してみせよ」
それを聞いて、刺した槍を横に弾いて立ち上がって曹操に背を向けながら槍を掴んだ。
「……また、次に」
そしてゆっくりと、長坂橋を渡った。
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「雛斗っ!」
「うわぁ!?」
ドサッ
「し、霞っ!?」
俺は顔を真っ赤にした。
なんでかって、霞が俺に跳んで抱き付いてきたからだ。
柔らかな感触が俺の胸に……うああ!
去れっ! 煩悩!
「雛斗が来たって聞いて……そん次に長坂橋で曹操軍を迎え打ったって聞いて……そしたら曹操んところ残ったって聞いて……ほんま、心配したんやぞ?」
「…………」
まだ顔が赤いまま、霞の頭を撫でた。
「雛斗はウチらの大将なんやぞ? それが兵を十人だけで攻めるってどういうことや? ……雛斗がいなくなったら、ウチ……どないすればええねん……」
「……ゴメン」
撫でながら謝った。
霞がそこまで思っててくれたことが、嬉しかった。
霞を抱き抱えつつ立ち上がった。
霞の肩を優しく掴む。
「今度は勝手に危険なことしない。みんなと話し合って決める。……これで良い?」
俯く霞の顔を覗き込む。
ビシッ
「あいたっ!」
すると額にデコピンされた。
「乙女の泣き顔覗き込むんやない。心配りに欠けるやつやな」
「ゴメン……」
「……まあええ。約束やからな。ウソついたら殴るからな?」
「……さっきのじゃ済まないね。約束するよ」
言ったら霞がまだ目の端に涙があるまま笑った。
一瞬、見入って顔をそらした。
可愛い……と、不覚にも思ってしまった。
「……北郷たちはどうした?」
顔から熱がひくのをちょっと待ってから霞に訊いた。
「鈴々と一緒に益州の城に向かっとる。もう劉備軍は城に入っとるし、大丈夫や」
「そうか。なら俺たちもすぐに向かおう。ああ、その前に亞莎を紹介しておこう」
「黒薙様、曹操軍に新たな動きが」
「……ちょっとゴメン」
曹操から退いたあと、すぐに送った間者が早くも情報を得たらしい。
「曹操軍が西涼を攻めたようです」
「……予測が当たったか」
舌打ちしたいのを抑えた。
霞たちに向く。
「西涼の馬騰軍が曹操の攻撃を受けている。これを助けたい」
「西涼やて? なんか恩でも受けたん?」
「馬超と顔見知りになってね。だから」
「なんとも浅はかな理由ですなー」
ねねに言われたくない。
「せやけど、大将の雛斗が言うんやったらウチは従うだけや」
「……(コクッ)」
「ねねは恋殿についていきますぞ!」
「雛斗様のおっしゃる通りに」
「黒薙様。あなたの軍なんです。方針はあなたの好きな通りにして良いんです」
「……ありがと。……騎馬隊の編制は?」
「できております」
「劉備軍に伝令を出せ。黒薙軍は西涼の馬騰軍の援軍に出向く、と」
伝令の兵が復唱して駆け去った。
「すぐに向かうぞ。敵は曹操軍……甘くない。急ぐぞ!」
「「御意!」」
「ほいきた!」
「……(コクッ)」
「任せるのです!」
黒薙軍全員が頷き、兵糧をとってから出立した。
目指すは西涼……間に合えばいいけど。




