夢
ようやく涼州にたどり着いた。
涼州は今までの景色にはない、砂漠がある。
日本に風に乗ってやってくる黄砂はここから来る。
舗装された道があるから馬が足をとられることはない。
「…………」
「…………」
「…………」
俺たちは黙っていた。
許昌を出てから、俺は考え続けた。
英雄の宿命……天下争奪。
仲間の屍を踏み越えて取る、血にまみれた宝。
だからといって、桃香や曹操や孫策を軽蔑などしない。
むしろ、尊敬する。
それを知っていて叶えようとしている……。
だけど……俺にはできそうにない。
黒永、恋、霞、ねね、亞莎……みんな、大切な仲間だ。
この乱世……何が起きてもおかしくない。
そんな世界で死んだら、仕方ないとは思う。
でも……耐えられない。
誰が死んでも、俺は絶対に耐えられない。
泣いて、立ち上がれなくなる。
情けないとは思う。
けど、やっぱり俺は未来の人間なんだ。
甘ちゃんなんだ……。
だから、天下なんて目指せない。
でも、天下は英雄の宿命だ……そうでなくても志が決まってない。
俺は、何を目指したらいいんだ……?
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最近、黒薙様に元気がありません。
これから馬の選出を行うというのに、あの許昌の時から変わりません。
たぶん……曹操さんの言った英雄について、深く考え込んでおられるようです。
今も……前を向いていらっしゃいますが、ずっと考え込んでいます。
「黒永さま……雛斗様は何を考え込んでおられるのですか?」
亞莎が遠慮がちに訊いてきました。
少ししか旅を共にしてないですが、純粋で良い方だというのがすぐにわかりました。
黒薙様は見る目が違います。
「英雄、ということについてかと思われます」
「英雄、ですか……?」
「黒薙様は英雄を重く考えていらっしゃいます。何故かはわかりませんが……。これまで黒薙様は自分が英雄と呼ばれたことがありませんでしたから」
「……私は、雛斗様はずっと明るく前を照らしてくださる方だと思っていました。雛斗様も思い悩むことがあるのですね……」
亞莎が肩を落として黒薙様の背中を見ました。
黒薙様が考え込んでいるため、三人の中に対話はありません。
亞莎は何度か声をかけようとしたことはありましたが、黒薙様の背中から滲み出す覇気に呑まれて何も言えずにいます。
それは、私も同じです。
こんな覇気は、これまで私は見たことがありません。
「手伝うことは、できないんでしょうか……?」
「……今の黒薙様は他人の干渉を許しておられません。それは、黒薙様自身一人で考えなければならない、というお考えがあるからです。そこに、他人は干渉できません」
「黒永さまでも、ですか?」
「……残念ながら」
亞莎が見てわかるように落ち込みました。
やがて、牧場にたどり着きました。
黒薙様の前を馬が一頭駆け抜けました。
黒馬でした。
「…………」
と、黒薙様の表情が変わりました。
「……あの黒馬、いいな」
黒薙様の声を聞いて、私と亞莎はホッとしました。
久しぶりに声を聞いたような気がしました。
「できれば黒馬で揃えたいな……白蓮の白馬騎馬隊みたいな」
「二千五百頭は難しいですよ」
馬のことで、黒薙様は集中しはじめたようです。
少しでも気が晴れると良い、と半ば祈るような気持ちで商人の元へ行く黒薙様についていきました。
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交渉は上手くいった。
それは俺が黒薙だと知ったからだ。
天下の名将に買っていただけるのは恐悦至極……だと。
名将と呼ばれるのは結構だ。
まだ人の下についている。
でも英雄は人の上に立つのだ。
それは肩に重い……。
初老の商人が見せたい馬がいると言う。
興味があり、もちろんついていった。
馬屋にいたその馬は、見事な黒馬だった。
威圧というより、鋭利な感じのする馬だ。
「黒鉄と呼んでおります。自慢の駿馬です。黒薙様にお乗りいただきたいのです」
「良いのか? こんな立派な馬を」
「私には乗りこなせませんし、宝の持ち腐れです。黒薙様なら、譲って鼻が高いというもの」
「乗っても?」
「是非とも」
黒鉄に近づき、目を見た。
やはり鋭い……。
試走する場に出て、黒鉄に乗った。
いきなり黒鉄が棹立ちになって俺を振り落とそうとした。
試している、俺を。
俺はしがみついて、押さえ込もうとする。
棹立ちから戻ると、急におとなしくなった。
「なんと、黒鉄を……!」
商人が目を見開いている。
「おっちゃん! 黒鉄は元気にしてるか?」
と、不意にそんな気さくな声が聞こえた。
けど、そんなことより黒鉄と駆けたかった。
黒鉄の腹を蹴ると、一気に走り出した。
速い……!
すごい……こんな馬がいるのか!
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しばらく走って、商人の元へ戻った。
「商人! すごい! こんな馬は滅多に見れるものじゃない!」
興奮しながら言うのに商人は微笑んだ。
隣にいる少女は唖然としている。
「馬超様。黒鉄はよい主に出逢いました」
馬超という名前に聞き覚えがあった。
「馬超……錦馬超か?」
黒鉄から降りながら訊いた。
「なんだ、あたしのこと知ってるのか?」
「麗しく、義に篤い西涼の姫……とかなんだか。旅人が言ってたのを聞いたな」
「そ、それは言い過ぎだな……」
頬を赤くしながらむず痒そうな顔をした。
「噂と言えど、民たちにそれだけ言わせるということは、あながち間違っちゃいないってことだ。謙遜するなよ」
「あ、ありがと。……ところで、黒鉄を乗りこなすなんて、あんたすごいな!」
馬超は 黒鉄の鬣を撫でながら言った。
黒鉄は嬉しそうに耳を震わせた。
「俺には過ぎた名馬だな。乗ってみて、ホントにすごい馬だってもっとわかった」
「黒鉄は乗せる相手を選ぶ。あんたは選ばれたんだよ。そういうあんたは誰なんだ?」
「俺の名は黒薙、字は明蓮。徐州の劉備軍の客将をしている」
俺の名前を聞いた馬超が目を見開いた。
「く、黒薙!? あの、黒龍黒薙!?」
「……その呼び名は止めてくれ。というか、西涼まで噂が?」
ちょっと恥ずかしくなって頬をかいた。
「関羽と並んで伝説扱いだ。軍の先頭に立ち、敵を必ず混乱させる神出鬼没の黒き傭兵。その黒塗りの槍は義理を貫く忠義の神髄。……って」
「うぁ……ますます恥ずかしい……」
手持ちぶさたに右腰の剣をいじる。
「それにしても、なんであんたが西涼に?」
「……馬を買いに来たんだ」
熱を冷ますように頭を振ってから言った。
「騎馬隊の増強のためにな」
「わざわざこんなところまでか? 徐州からなら北平の方が近いじゃないか」
「袁紹が曹操とぶつかっていてね。とても入れる雰囲気じゃないよ」
許昌を出てちょっとしたら間者が曹操と袁紹の激突の報告がきた。
許昌に兵が少ない、と思っていたけどやっぱり北に集結させてたらしい。
「そっか。いよいよあの大勢力が」
「まあ、その次に備えての騎馬隊なんだけどね」
「ふうん……」
馬超はあまり気にした様子はないけど、西涼だって無関係じゃない。
北の袁紹が片付いたら、恐らく次は徐州か西涼だ。
曹操の大軍だったら、同時攻略もあり得なくない。
孫策は考えられない。
荊州、揚州を押さえていて大きいし、南の荊州を攻めたらその側面である徐州からの攻撃が脅威となる。
「なあ、馬超」
「なんだ?」
「……英雄、て……なんだ?」
「はぁ?」
「…………」
ふと、思い出して訊いてみた。
このままずっと俺だけで考えたって、たぶん答えはでない。
「そんなこと言われたってな。……わかるわけないだろ」
「……じゃあ、英雄は何を目指すんだ?」
「何を? うーん。……夢だろ、やっぱり」
「夢?」
「誰だって自分の夢を叶えるために努力してんだろ? それは英雄だって同じじゃないのか?」
「……夢」
……夢か。
なるほど、的は射ている。
曹操、孫策、桃香……みんな自身の夢のために戦っている。
「黒薙様!」
黒永が新しい黒馬で駆け走ってきた。
「なんだ?」
「曹操軍が袁紹軍を撃破! 袁紹軍は滅亡! 次いで劉備軍を大軍で攻め寄せました!」
「なに!?」
思わず絶句した。
馬超も驚いている。
「いくらなんでも早すぎる! 黒永、馬の用意は!?」
「馬具も揃え、問題ありません!」
「よし! すぐに出るぞ! 馬超、警告しておく! もしかしたら曹操が西涼にも来るかもしれない!」
「えっ!?」
黒鉄を引いて跳び乗った。
「俺の予測だけどな! ここで会ったのも何かの縁。一応、言っておく! 急ぎ故、さらば!」
馬超の返事を待たずに腹を蹴った。
黒永もついてくる。
馬を飼育するのが得手の者が志願してきたので、それに二千五百頭の誘導を任せて進んだ。
くっ……よりにもよって俺が留守の時に!
曹操……まさか、これを狙ったか?
恋、霞、ねね……無理はしないでくれよ!




