黄巾の乱
原野を進む。
五百人の兵が整然と行軍する。
黒薙の兵は、騎馬が十二騎──黒薙と黒永を除いて十騎と残り四百九十が歩兵。つまり、実質歩兵の軍だ。
本当は騎馬隊が好みなのだが、どうしても飼い葉と馬自体に金がかかる。馬の装備や飼育する場所も必要だ。それに、警備にも騎馬はそれほど必要ではない。街中では馬は危険だ。住民を蹄にかける。
だから警備部隊の軍は、必然と歩兵の軍になる。
騎馬十騎は旗本、伝令の役目でしかない。
「城の外に出るのは久しいですね。兵たちが生き生きとしています」
黒永が周囲の兵を見回しながら言った。緊張のある声には聞こえない。
警備の兵は、賊徒の集団とぶつかったことが何回かあった。ある時は、二百人の賊徒の集団に、当時、百人の警備部隊しか洛陽にいなかったために出動したこともあった。
結果、一兵も損じずに蹴散らした。それには黒永も伴った。人と人の殺し合いをつぶさに見てきた。だから慣れもする。
それは兵も同じで、相手が賊だとしても実戦は必要だ。練習しても、実戦で発揮できなければ意味はない。
「今までの調練の成果を感じたくて、うずうずしているんだろうね。鍛えに鍛えたから」
快晴の空を見上げながら返した。
公孫瓚たちと軍議をして、遊軍と決まった俺たちは北平付近の巡回が主な任務となった。
五百なら援兵として向かうにも、陽動にもちょうどいい。
劉備たちは義勇兵を募集してから出陣するから、少し後から戦線に加わるだろう。
馬の揺れ、行軍の足音、原野の土の臭い、涼しい風が心地がよかった。軍人だからかな。
そう考えると、思わず苦笑いした。戦争を肯定するわけではないが、こうして戦争に向かっているのだ。平和な日本で生まれた自分が。少し皮肉に思える。
「どうかされましたか?」
それに気付いた黒永が訊いた。
「俺は軍人なんだなって思っただけ」
黒永が少し考えて、意味がわかったのか黒永も笑った。
「伝令!」
兵の一人が駆けてきた。
「何事です?」
黒永が顔を引き締めて対応する。
「前方十里(約四キロ)先に敵軍! 約一千!」
「一千」
対峙したことのない人数に、流石に黒永が絶句した。
「黒薙様っ」
「そう慌てるな。兵の前だぞ。敵より俺たちの方が、人数が少ない。だったら策を使うのみ」
「策と言われましても」
「ここで逃げたら、集まってくる人も少なくなる。奴らを勢いづかせることになる」
黒永がさらに何か言おうとしたが、黒薙は手で遮った。
「奴らの様子は?」
「どうやら兵糧が尽きたようで。かなり行軍速度が遅く、倒れていく者もいました」
「──ならやりようはある。奴らの向かう方に先回りする! 急ぐぞ!」
『応っ!』
五百人が雄叫びを上げた。
* * * * *
もうそろそろ来るはずだった。
丘の後ろに隠れ、ひたすら獲物がかかるのを待った。
丘の前には兵糧や輜重を置き去りにした露骨な囮を仕掛けていた。それほど多くないが、火も焚いてあるから煙でよく見えるはずだ。兵糧といっても見せかけで、土を藁で包んだものだ。
やがて、地響きのような音が聞こえた。
丘の頂上の岩陰から覗くと、案の定敵が丘の真下に向かって我先にと駆けてくるのが見えた。
「魚がかかった。後は包丁で刻むだけだ」
冗談めかして言うと、兵たちから笑い声が聞こえた。
皆、緊張している。
なにせ自分たちの二倍の敵である。緊張しないわけがない。
黒永も顔がひきつっている。
だが、この戦は確実に勝てる。変な予感もない。
「俺が先頭に立つ。皆は俺の後に続け。容赦はするな。奴らはもとは民、しかし彼らが傷つける相手も民だ。手を緩めれば死ぬぞ。その剣で、槍で、奴らを切り捨て、民を救え」
『応っ』
気づかれぬよう、小さな声で返事した。
既に賊は、丘の真下のいくつかの物資に殺到して奪い合っている。
「全軍、突撃!」
『応っ!』
馬で丘から駆け降りる。後ろから兵がついてくる。
敵は騒ぎながら物資を取り合っている為に、多くはこちらに気づいていない。
そのまま、槍を片手に敵の群れに突っ込んだ。続けて兵もぶつかっていく。
逆落としの威力をまともに食らった敵は明らかに動揺している。それは兵がぶつかったところからすぐに全体に広がり、やがて脱走し始めた。
全員殺す必要はない。時をかけるし、追い散らすだけで充分だ。
「追うな! 黒永、間者に隊長格と思われる敵を追わせろ。本隊か輜重大隊のところ──重要なところへ向かうかもしれない」
「り、了解しました!」
黒永が咳き込みながら返事した。まず初戦は制した。しかも、二倍の敵だ。
噂くらいにはなるだろう。公孫瓚にも知らせを出した。
こうして名を上げていけば、誰かの目に止まるかもしれない。
次はどうするか、黒薙は既にそれを考えていた。




