英雄
「馬……ですか?」
呂蒙……亞莎がオウム返しに訊いた。
曹操の本拠地である許昌へ向かっていた。
呂蒙と会った次の日の明朝。
行ってみるとすでに呂蒙が小さな荷物を持って待っていた。
(「決めたか?」
「は、はひ! 黒薙様に一生ついていきます!」
「ふふ……そんなに堅くならなくていい。これからは呂蒙、お前も俺たち黒薙軍の仲間だ」
「仲間……」
「臣下という形は表面上のものだ。ここの従者の黒永は別として、呂布も張遼も陳宮も皆、仲間と認識している。敬語なんて使わなくてもいいし」
「こ、これは癖のようなものでして……」
「なら変えずとも良いよ。ただ、真名は預けてもらうよ。俺たち黒薙軍は全員、皆に真名を預けている。黒永は別だけどな」
「はあ……」
「改めて自己紹介する。俺は黒薙、字は明蓮。真名は雛斗だ」
「あっ……呂蒙、字は子明です! 真名は亞莎です!」
「亞莎、お前の真名、俺が預かる。俺の真名も亞莎に預ける。その力、俺に貸してくれ」
「……はい!」)
「霞と恋の部隊は騎馬は豊富だ。だから俺は必然的に大体歩兵を率いているんだけど」
「それで騎馬を増強するために」
「涼州へ行く、というわけさ」
なるほど、と亞莎は呟いた。
北にしなかったのは何故か、については訊かれなかった。
袁紹のことぐらい、頭に入っているのだろう。
「しかし、何故汝南へ? わざわざ南に遠回りを」
「これから曹操の軍を見学するように、孫策の軍も見に行ったから。俺が俺だって気付かれたけど」
「え!? 大丈夫だったんですか!?」
「孫策はまた会おう、としか言わなかったなぁ。武人の考え方だと思うけど」
「?」
「自惚れかもしれないけど、俺と手合わせをしたい……ということかな。たぶん」
「……英雄同士のやりとりとは、わからないです」
「英雄? 俺が? 冗談は程々にね」
「冗談なんか言いません。私は雛斗様が英雄だと信じています」
「…………」
真剣に言う亞莎に何も言えずに、前に視線を戻して馬の鬣を撫でた。
単純に恥ずかしいだけだ。
亞莎、ちょっと恋に似てるな。
純粋なんだ。
だからからかうとかじゃなくて、本気で真剣にこんなことを言えるのだ。
こんなところ霞か星に見つかったら、からかわれること間違いなし。
霞を連れてこなくてよかった。
それから数日後、許昌に入った。
同じように宿を先に見つけ、さっそく軍を見に行った。
が、運悪く宮城の練兵場での調練でとても拝めそうになかった。
「どうしたものか……」
こんな時、ヘリコプターがあったら見れるのにな。
きっと北郷ならそう思うだろう。
「黒薙様、さすがに諦めましょう」
「無理にでも見たい。だって曹操軍だよ? 戦場以外じゃ二度と拝めないかもしれない」
「雛斗様……捕まったら元も子もありませんよ」
亞莎までこう言う始末。
むう、孫策軍と同じく一番楽しみにしてたというのに。
「そんなにお望みなら見せてやっても構わんぞ、黒薙」
「「っ!?」」
「…………」
いきなり背後からかかった声に二人は驚き、黒永は反射的に袖に手を伸ばした。
俺は特に驚くことなく、後ろを振り向いた。
「……虎牢関以来だな、夏候惇?」
いたのは夏候惇だった。
前と違い、片目に眼帯をつけている。
「俺を覚えているとはね」
「ふん。貴様が覚えておけ、と言ったのだろう?」
「そうだったな」
ニッと笑ってやった。
隣の黒永は袖に手を突っ込んだまま低く腰を構え、亞莎はおろおろしていた。
「で、ホントに見せてくれるのかな?」
「そんなわけあるまい。曹操様がお呼びだ。ついてこい、黒薙」
「…………」
咄嗟に曹操の意図を考えようとしたけど、今は止めた。
今は行くか行くまいかをすぐに言わなければならない。
無言で頷いてから、それを認めて歩き出す夏候惇の後ろをついていく。
黒永は警戒心を解かないまま俺の斜め前を行き、亞莎は不安のせいで俺の後ろをとぼとぼとついてくる。
が、しっかりと警戒はしている。
亞莎は今こそ軍師のように見えるが、実際は武勇に能力があるらしい。
元は武官を目指していたのだから、そんな感じはしていた。
軍師にしては身のこなしは柔らかだった。
馬の扱いもなかなかだった。
宮城に入り、曹操のいる部屋へ通された。
部屋の入り口からすでに覇気が漏れるのが見えるようだ。
ぐっ、と腹に力を入れてから部屋に入った。
すぐに曹操が中央にいるのが目に入った。
「久しぶり、とでも言うのかしらね。黒薙?」
こちらを試すように笑みを浮かべる曹操。
ここは普段通りに行くしかない。
黒永や恋や霞と話すように。
ちょっと肩の力を抜いて、俺も頬を上げた。
「黄巾の頃よりもっと前の、洛陽の練兵場にて。見たのは俺が一方的だった、と思うがな」
「貴様……華琳様になんて無礼な言葉遣いを!」
「黙りなさい、春蘭。これは私と黒薙だけ……英雄同士の対話よ」
英雄……曹操までそんなことを言う。
軍事にしか頭にない俺が、なんで英雄なんだか……。
「あぅ……華琳様ぁ……」
情けない声を出す夏候惇に苦笑した。
ちょっとは力が抜けたかな?
「あの時、私もあなたの部隊を見ていたわ。たった五百の警備部隊が、千にも勝る兵だというのも頷ける練度だった」
「……天下の英雄、曹操にほめられるとはね」
ちょっと頭をかいた。
けど、次には目を細めた。
「で、こんな一客将でしかない、戦しかできない野蛮な輩に何か用かな?」
「……それはこちらの台詞だわ。あなたこそ、何故敵国である我が領土に入った?」
曹操も目を細めた。
互いの視線がぶつかり合って、火花を散らしているようだ。
まわりの音は聞こえない。
いるのは英雄曹操のみ……そんな空間にいるような気がした。
「……馬を買いにいく途中だ」
「……買い物?」
「ああ」
「なるほど、騎馬を揃えたいのね。けど、敵であるあなたを私が通すと思う?」
曹操の目が、俺を貫いた。
一瞬、指一本動けない金縛りにあったような感覚がした。
奥歯を一瞬だけ強く噛み締めた。
「買い物に行くだけの俺を通さない、とでも言うのか?」
今度は俺が曹操を見据えた。
身体のまわりに力を込めるように、曹操の目を見つめた。
また、あの空間に入った。
「……いいでしょう。魏はあなたの買い物に干渉しないことを約束しましょう」
ふっ、と空間が元に戻った。
いきなり灯りがついて、視界が明るくなった感じだ。
「華琳様!?」
「……その言葉、信じていいんだな?」
「もちろん。騎馬を揃えたあなたと相容れる日を楽しみにしてるわ」
「……礼を言う」
「下がっていいわ」
最初やらなかった拝礼を最後にやって、出口に歩いた。
ふと、思い付いた。
「一つ、訊いてもいいか?」
「なにかしら?」
「……俺は、英雄か?」
「……正々堂々とした、天命による勝負。それを楽しみにしてるわ、英雄黒薙」
「……」
無言で再び歩きはじめ、部屋を出た。
途中、夏候惇に睨まれたが頭に入らなかった。
───────────────────────
「……はあ。まったく、久しぶりだわ」
黒薙が去るのを見届けてから息をついた。
春蘭と秋蘭が近寄る。
「誰も華琳様と黒薙の対話に、口も挟めませんでした。まさに英雄同士の対話」
「ええ。あんな意志の強い視線……初めて見たわ。けど、まだ定まってないわね」
「意志が定まってない?」
「何故、黒薙ほどの者が客将に甘んじているのか。……それはおそらく、黒薙の意志が定まっていないから」
「天下は?」
「見てないわね。というより、何も見ていないのかもしれないわ」
「……華琳様、なんの話をしているのかさっぱりなのですが?」
「……黒薙は華琳様のお目に叶う英雄だ、ということだ。姉者」
───────────────────────
英雄か……この世に英雄が三人いる。
曹操、孫策、劉備。
三人は天下を目指している。
そこに、俺が入るのか……?
じゃあ、英雄の俺は天下を目指さないといけないのか……?
亞莎に言われたときは、特にそんなことは考えなかった。
だけど、本当の英雄曹操にそれを言われたら話は別だ。
夕陽が山に落ちかけた頃、宿に戻って庭に出た。
黒永と亞莎はなにかしら感じたのか、無言で俺を見送った。
庭の桃の木の傍にあるベンチらしいものに座り、桃の花を眺める。
淡い色の桃の花びらと、射し込む夕陽の光線。
桃園……妙に釈然としない俺を慰めるようだ。
天下を目指す……それは屍の山を自ら作って、登ることだ。
敵を殺し、民を犠牲にして、そして……仲間を踏み越えて。
「俺は……何を目指したらいいんだ……?」
小さく呟き、手元に落ちた綺麗な花びらを力なく見下ろした。
口に含み、歯をたてるとよくわからない味が一瞬だけして、無味になった。
今の俺は、無味なのだろう。
なんの志も持たない、無味乾燥な英雄。
しばらく花びらを舌の上で転がし、やはり味がないということを確かめ、それを飲み込んだ。




