拠点フェイズ2.白蓮
「ばかやろー! 二度とくんなー!」
そんな怒鳴り声がちょうど横から耳に入って、少なからず驚いた。
「この声、白蓮だよね」
「おや、黒薙殿ではないか」
すると怒鳴り声がした店から星が出てきた。
「星、なんかしでかした?」
「何故だ?」
「あれ、白蓮の声でしょ?」
「いかにも」
「…………」
「なんだ、その目は。私のせいだと言いたげな目は」
「──ま、星になんの考えがあって怒らせたのか知らないけど」
「ほお、私に考えがあると?」
星が興味深げに笑みを浮かべた。
「なんとなく、ね」
「それは軍人の勘かな?」
「いや、たぶん違う。うーん──これまで見てきた俺の星の印象からかな」
「──ふむ。黒薙殿はやはり面白いことを言う」
ちょっと考える節を見せて星は微笑を浮かべた。
「何が面白いかわからないけど、白蓮に用があるんだ。悪いけど星に付き合えないよ」
「おやおや。私はただの呑んだくれか?」
「違うの? まあそんなことより。今、白蓮はお取り込み中?」
「──ふむ。黒薙殿なら大丈夫だろう」
またちょっと考えて、星は言った。
「なにが?」
「乙女の扱いを間違えたりしない、ということだよ」
「──あえて、返答しないよ」
「おや、残念」
とても残念そうには見えない。
「とにかくあとは頼んだ、黒薙殿。主だけでは少し心許ない」
そう言って星は通りを城に向かって去っていった。
「尻拭い、とかじゃないよね」
ちょっと心配しながら、店に入った。
「注げ! 北郷! 今日は呑んで呑んで呑みまくるからなっ!」
と、白蓮の声が聞こえた。
かなりお怒りのようだが。
白蓮の言う通り、北郷が白蓮の前に座っていた。
「──なにやってるのさ」
少し呆れながら白蓮の卓に行った。
「雛斗?」
北郷がこちらに振り返った。
「何故、北郷がここに?」
「いや、星に呼ばれたんだけど」
「星とはさっき会ったけど」
「星のことなんかいい! 早く注げ!」
白蓮が癇癪まがいに言った。
「けどこれは星が?」
「まあ、そうなんだけど」
「ふむ──ん?」
考えようとして、ふと卓の上の徳利が目に入った。
「この酒──」
けっこうよろしいお酒のはず。
なんでこの酒を前にして白蓮を怒らせるんだか。
「──俺も付き合わせてもらってもいい?」
「えっ」
北郷がきょとんとした。
「幸い、俺も仕事はあまりないし。酒が欲しいと思っていたところだ」
「──雛斗」
すると北郷が俺を連れ店の端に行った。
「なに?」
「白蓮を頼める? 俺より雛斗の方が白蓮と付き合い長いんだしさ」
小声で北郷は言った。
「──まあいいよ。お任せあれ」
「なに二人で話してるんだ?」
白蓮がいぶかしんで訊いた。
「じゃあ頼むよ」
「まあ、ぼちぼちね」
北郷は店を出て行った。
「あれ? 北郷は?」
「急用だとか。代わりと言ってはなんだけど、俺が付き合うよ」
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「なー。ひなとー」
「なに? 白蓮」
酔いが回ってきたらしく、白蓮の呂律が回らなくなってきた。
俺もちょっと顔が赤いようだけど、まあ、まだ大丈夫。
「私ってさー。無能なのかなー」
「ぐびっ……なんでさ?」
注がれた酒をぐいと呑み干す。
うーん、やっぱりいい酒だな。
白蓮が報酬くれたとはいえ、武器や兵糧とかの軍資金に回って、黒薙軍の仲間に平等に分配したら──たまにしかいいお酒なんて買えない。
「星には逃げられるしー、董卓の討伐軍じゃどうも影薄かったしー、袁紹には城を陥とされるしさー。そりゃ、桃香や曹操より私の方が優れてる、なんて思ったことないけどさぁ……」
「うん」
「で、逃げられた星に酒なんかおごってもらって、私の城が陥ちたのは天命だとか何とか言われちゃうと……さー」
たぶん、これが白蓮を怒らせたんだろうな。
星が言って。
「結局、お前に逃がしてもらって、こうやって桃香や北郷の世話になってるけど、だな。私にそこまでの価値があったのかなぁ……なーんて、思っちゃうわけなんだ。私も」
「うんうん」
「なー。ちゃーんと聞いてるかー? ひなとー」
「聞いてるって。ほら、酒。今日は呑みまくるんでしょ?」
俺の肩をぐらぐら揺らすけどさ、白蓮。
その話、もう四回目なんだけど。
「おー。えらいぞー、よしよしー」
酒注ぐ度に撫でてくるし。
恥ずかしかったけど、何回もやられると絡み酒、て感じが濃厚になってそうでもなくなった。
「じゃあ、なんで俺は白蓮を助けたと思う?」
「金」
「……否定できないけど、違うよ」
「否定してないー」
なんか言ってるけど無視して進めた。
「この乱世、いつ誰が死んでもおかしくない。白蓮だって、俺だってね。そうなったら仕方ないことだとわかってる。だけど俺は白蓮が死んだら、たぶん悲しい。劉備殿や北郷殿、愛紗や鈴々だって気にしてたみたいだし。だから、劉備軍は快く白蓮を受け入れてくれたんでしょ? 白蓮が生きててくれて、さ。それに、俺は白蓮が無能なんて思わないよ。他の奴が無能って言ったら殴ってやるよ」
「……ひなとー」
長々と話したら白蓮が俺を呼んだ。
「ん?」
「お前、やっぱりいいヤツだなぁー!」
「うわっ!? ちょ、白蓮っ!?」
白蓮がいきなり俺に抱き付いてきた。
ちょ、ま……や、柔らかいのが当たって……消え去れ、煩悩!
「んー? 私はもう何もないからなー。お礼っていっても、このくらいしか出来ないしなー。うりうりー」
礼なら報酬もらったからいいよ!
身体くっつけない! 恥ずかしい!
「いや! いいよ、それは!」
身体熱くなってきた……恥ずかしいからだよ!
白蓮の体温のせいとか……ああ!
自分で言ってて恥ずかしい!
「そんなことより、ほらっ。酒! 酒!」
「えー。口移しで飲ませてくれないとやだぁー」
「くちっ……!?」
「ははは。冗談だよー」
と、俺が絶句したら白蓮が笑った。
「そ、そうか……はぁ」
「あれぇ? ひなとー。もしかして、ホントに口移しの方が良かったかー?」
「ちがっ……びっくりしただけだ!」
「そっかぁ……。ひなとなら、別に良かったんだけどなぁー」
「なっ……!?」
「ん? 期待した? 期待したっ!?」
「くっ……酔っ払いめ」
さっきのテンションの低さはなんだったんだよ。
今は霞や星みたいになってやがる。
「それよりひなとー。おさけまだー? 今日はガンガンのむんだからねー! あのバカしりゅー!」
心の中でため息をついて酒を注ごうとしたら、徳利の中身がないことに気付いた。
「カラだ。仕方ないね。店主~、酒~」
「これは黒薙様。いや、それは趙雲様が持ってきたもので……」
「酒家に酒持ち込むって、どういう」
「いえ、普段はそういうことはなされないんですが」
「──ああ、なるほどな」
なんだ。
俺の予想通りじゃないか。
「はい?」
「いや、こっちの話だ。まあ、あの呑んだくれは酒を御所望だ。適当でいい」
「へい」
「変なヤツだって事はよーく知ってたけどなぁ……。あんなに底意地が悪いなんて思わなかったんだからな……しりゅーのばかぁ……」
まったく、酔うとテンションの上げ下げが激しい奴だなぁ。
とりあえず。
ペシッ
「いたっ!? なにすんだよ、ひなとー!」
白蓮の頭を叩いた。
痛いって、軽くやったんだけど──まあ、酔ってるし。
誇張してるだけか。
白蓮の眼前に星の持ってきた徳利を突き出す。
「これ、星が持ってきたいい酒なんだ」
「しりゅーがー? ま、あいつはメンマと酒にはこだわりあるからなぁー」
「そんなことじゃないよ。普段、星は酒家に酒なんか持ち込まないらしい。じゃあ、なんで酒家に、しかもなかなかいい酒を持ってきたの?」
「…………」
白蓮が黙り込んだ。
「へい、お待ち」
「おう」
店主から徳利を受け取り、白蓮の盃に酒を注ぐ。
そして白蓮に突き出した。
白蓮は戸惑いながら酒を呑んだ。
さっきとは違い、静かに。
「……さっきの酒、すごく美味かったんだな」
「ふん。何を今更」
鼻で笑いながらも、俺は卓の上の赤い封の徳利を眺めた。
「そうだな。今更だな……勿体なかったかな?」
「また呑めるよ。そんな奴だよ、あいつは」
「ったくもぅ。もうちょっと分かりやすく言えよ、あのバカ。私は……無能なんだから」
そう言った白蓮をまた軽く叩いた。
「今度はなんだよ?」
「自分のこと、無能って言った。だから殴ったの」
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「むにゃ……星の、ばかぁ……」
「……ふっ」
俺は小さく鼻で笑った。
白蓮は俺の膝に頬を埋めて寝ていた。
普通逆だと思うけど。
「何か掛ける物でも……」
店主が遠慮がちに訊いた。
それを聞いて俺は黒の長袖の上着を脱いで白蓮に掛けた。
「いいよ」
「そうですか」
店主が微笑みながら厨房に去った。
遠慮がちに白蓮の髪を撫でた。
意外にサラサラしていた。
「白蓮は無能なんかじゃないよ」
「ん……っ」
そう小さく呟くと、白蓮が小さく動いた。
「あ、雛斗……」
「ゴメン、起こしたかな」
「……え……?」
「眠いんだったら寝てたら?」
「え……あ、ちょ……ひゃああああっ!!」
寝ぼけ眼だった白蓮が状況を把握して俺の膝から身を離した。
「きゃああっ!」
で、隣の椅子に足取られてこけた。
「……平気?」
「く、くくく、来るなっ!」
ゴンッ
「ひゃうっ!」
後退ったら机の角に頭ぶつけた。
「……痛ぅぅ」
「痛そ……いい感じの音したよ」
「大丈夫なわけ…あるかぁ……なんで私、お前の……そ、その……ひ……ひひ……ひ、ひざ……っ」
「膝枕?」
「言うな恥ずかしいっ!」
「なに言ってるのさ。さっきなんか……抱き付いてきて」
て、俺も恥ずかしくなってきたじゃんか!
「わーっ! わーーっ! わーーーっ!」
「しかも、く、口移しとか」
「ばかーっ! ばかばかばかばかーーーっ! 全部思い出しちゃったじゃないか。バカぁ……痛たたぁ……頭、痛ぁ……」
酔っ払った時の記憶あるのか。
でもそれはそれでめんどくさ。
「……とりあえず、水飲む?」
「あ、ああ。悪い……」
「ゆっくりね」
しゃがんだままの白蓮の肩を押さえて、水をゆっくり傾けた。
「…………ぶっ!」
「ぷはっ!? なにするのさっ!?」
いきなり俺の顔に水を吹き出した。
「お、お前こそ! な、何やってんだ雛斗っ!」
「なにが!」
「手だ、手……っ!」
「手って。気分悪そうだったから支えただけだよ!」
「う……そ、そういうことなら、だな」
「…………」
「…………」
お互い黙り込んでしまい、
「……帰るか」
「あ、ああ。そう……だな。そうしよう」
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「雛斗……やっぱり、恥ずかしいよ」
「うるせ。俺だって」
背中のか細い声に、俺も小さく反論した。
飲み過ぎた白蓮はまともに歩けず、俺が背負っていくことにした。
「でも、こんな子供みたいな事……」
「歩けない女の子を置き去りにしたら怒るでしょ」
「…………うぅ」
ちょっと反動をつけて背負い直した。
背中の……その、白蓮の体温が……ああ、消えよ煩悩!
「……なあ、雛斗」
「なに……」
たぶん、背中の白蓮は顔真っ赤にしてんだろうな……俺と同じく。
「私、重くないか?」
「平気」
「酒臭く……ないか?」
「お互い様でしょ」
「胸……当たってないか?」
「……考えないようにしてるんだから黙って」
「……すまない」
それからお互い黙って歩いた。
夕陽が街を照らし、いつもとは違う新鮮な光景を見つめながら。
うん、これなら背中の柔らかいのだって気にせず──て、この時点で気にしてんじゃん、俺。
「明日、星に謝ってみるよ」
不意に白蓮が言った。
「星なら気にしないんだろうけど。白蓮が気にするんだろうね」
「……そっか。雛斗は私と星、両方知ってるんだよな」
「白蓮の副将だったんだ。そりゃ知ってるよ」
黄巾の頃、俺は遊軍だったけど、白蓮と客将だった星とよく軍義で話した。
二人がどういう性格か……それくらい、俺はわかってるつもりだ。
「悪い酒を呑ませちゃったしな……改めてだよ」
「あの酒持ってってやったら? 星のこだわり、でしょ?」
「当たり前だよ。その時は雛斗、お前も呼んでやるからな」
「──そうだね。思えば賊討伐以外での初陣で初めて出来た戦友だし。楽しみにしてるよ」
戦友──友達だけど、そこには未来の世界の友達とは違う、なにかがある。
この乱世でしか出来ないなにかが。
「ちょっと寝ていいか? さすがに飲み過ぎた」
「お好きなように。風邪ひかないでよ」
「雛斗があったかいから……平気だよ。おやすみ」
「おやすみ」
肩から白蓮の腕がだらりと垂れた。
ふっと鼻で笑って、俺は城に向かって歩いた。
戦友を背負って。




