帰るところ
丘の陰に隠れて、しばらく待った。
行軍の足音が聞こえた。
丘の木々に隠れ、敵の斥候をやり過ごした。
斥候の兵士は丘の上など見向きもせずに素通りし、ちょっと先に行ってすぐに戻って行った。
「俺たちの兵では許されない愚行だね」
「これまで愚行は犯したことはございません」
「まあ、たまには斥候の調練をしてみてもいいかな」
呑気にそんな話をしていられるのも、敵が思った以上に腑抜けだったからだ。
兵たちはさすがに黙っているが、緊張すらしていないようだ。
兵も敵の強さを斥候などで把握できるようになっている。
「見えました。三里(約1.3キロ)、というところでしょうか」
黒永の見る方を見ると、確かに陣形を組んだ軍団が丘に向けて行軍していた。
陣形と言っても体裁だけで、見るからに隙だらけだ。
丘の真下に来たら霞たち一万五千が丘の陰からいきなり現れ、頂上に移動した俺たち五千が動揺する敵に逆落としの奇襲をかけ、そこに霞たちが総攻撃をかける。
楽に勝てるはずだ。
少しずつ、敵が丘に近づいてくる。
やがて真下に達したら、敵の陣が揺れた。
霞たちが突然、丘の陰から現れたからだ。
それを見て黒槍を上げた。
「敵の横っ腹どついてやれ! 全軍、突撃ぃい!」
「うぉぉぉぉーーーーーっ!」
木々から走り抜け、坂を駆け降りる。
敵陣に目を凝らす。
敵陣のど真ん中辺りが兵の層が薄い。
「敵の隙に我らの勝利への道筋あり! 黒薙の奇襲、篤と見よ!」
迷わずそこに駆け、突っ込む。
また敵が大きく動揺した。
俺の奇襲に合わせてすぐに総攻撃をかけたのだろう。
間断ない攻撃だ。
槍で敵兵を玉のように突き上げる。
横に振れば敵兵が崩れ、方々に飛ぶ。
敵兵は及び腰で下がるだけだ。
霞と恋も先頭で暴れているだろう。
鉦の音が響いた。
敵の退却の鉦だ。
敵兵は慌てふためきながら逃げていく。
退却とは言えない退却だった。
「雛斗! どないする?」
霞と恋の部隊が合流してきた。
「あれだと体制を立て直しようもないだろう。すぐに劉備軍に加勢する」
「応っ!」
「……(コクッ)」
陣形を整えて、すぐに劉備軍の方へ向かった。
伝令放って進むと、袁術軍に勝利した、との報告を持って伝令が戻ってきた。
「さすが劉備軍やな。いや、袁術が腑抜けだっただけか」
「とにかく城で劉備軍に合流しよう。そう命令も来ている」
徐州の脅威が去ったとは言え、諸侯が動くかもしれないから急いだ。
城に戻ると、すぐに劉備軍が合流してきた。
「さすが黒薙殿。数で勝る敵をこうも素早く倒すとは」
星が駆けてきて言った。
「いや、星たちの方が凄いじゃないか。袁術とは言え、兵は多かっただろう」
「いや、実は──」
袁術軍を発見したら昼飯を食っていて、斥候すら放っていなかったらしい。
それで発見次第、速攻で撃破した、と。
「──呆れた」
「だろう? まったく、私たちも舐められたものだな」
星が肩をすくめて見せた。
星が俺たちに袁術戦を聞かせている間に、劉備軍の将士も集まっていた。
「袁術と孔伷の軍は素早く撃退できた。これで隙のなさは見せつけられたかな?」
北郷が朱里に訊いた。
「充分だと思います。諸侯も隙のない軍には手を出しにくいはずですから、内政に費やす時間もできます」
「この機会に袁術と孔伷の土地を併呑しないのか?」
続けて愛紗が訊いた。
「袁術は無理だ。もしかしたら孔伷もな」
「そう考えるのが妥当でしょう」
「どういうことだ?」
雛里が俺に賛同するのに愛紗が首をひねった。
「袁術と孔伷の土地は隣り合わせだ。そして、袁術から独立したくてたまらない奴がいる」
「……孫策やな」
霞の答えに皆がはっとした。
「孫策がわざわざ空いた袁術の土地を見過ごすとは思えない。目の敵にしているだろうしな。袁術が負け、しかも隣り合わせにあった孔伷の土地もおまけでついてくるんだから尚更だろう」
「それで孫策が袁術、孔伷の領土を併呑する、か──黒薙殿の頭はどうなっているんだ?」
星がため息をつきながら言った。
「まったくや。朱里や雛里に劣らぬ頭持ってんのとちゃうか?」
「内政はできないよ」
「内政以外は完璧じゃん。その雛斗が俺たちに属してくれることは心強い限りだ」
北郷が頷きながら言った。
「──まあ、とにかく。今は土地のことを考えず、内政に取り組むべきだと考えます」
照れ隠しに早口に言った。
霞や星にからかう間を無くすように。
「朱里と雛里は?」
「雛斗さんに賛成です」
「私もです」
軍師二人から賛同をもらい、北郷は頷いた。
「じゃあ、これからは内政に力を注ごう」
「徐州をもっと豊かなところにできるようにね♪」
北郷と桃香の言葉にみんな頷いた。
とても臣下の形には見えなかった。
仲間とか、同志とか、そんな感じがした。
「なぁに見とるんや?」
霞が隣から訊いてきた。
「ん? こういうの、いいなって思っただけだよ」
「せやな。楽しそうやもんな」
「しかし、黒薙様」
後ろに控えていた黒永が声をあげた。
「私は黒薙様の軍が、心地良いです」
「ここにいるからだよ」
クイッ、クイッ。
袖を恋に引っ張られた。
「ん? どうしたの? 恋」
「……雛斗の側、温かい。恋、雛斗の側にいたい」
「せやな。雛斗の側におると心地ええな」
「ねねは恋殿のお側が一番良いです!」
そうだろうね、ねねは。
「……ありがと、みんな」
みんなにそんなこと言われて恥ずかしくないはずがなく、頭を伏せて言った。
「雛斗。また赤くなっとる!」
「なに!? 黒薙殿、お顔を拝借」
「拝借すんな!」
「ヒナちゃん、かわええなぁ♪」
「星! 霞! 来るな!」
「……漫才は置いといて、城に戻ろう」
北郷はそんな殺生なことを言って、みんなと一緒に城へ戻っていった。