変動の予感
場は静まり返っていた。
卓に着いているのは黒永、霞、恋、ねねの傭兵軍団黒薙軍の仲間たちだ。
劉備軍に加わってから、劉備──桃香から「私たちの仲間でいる間はみんなのこと、真名で呼ぶんだよ」ということで、陳宮も音々音──ねねと呼ぶようになった。
それはみんなも同じで、みんな俺のことを雛斗、雛斗さん、雛斗殿、と呼ぶようになった。
ちなみに桃香のことは、さすがに真名で呼ぶことははばかられたので劉備殿、と呼ぶようにした。
北郷についても同じだ。
苗字を呼ぶことは未来の日本では当たり前だったから慣れない。
徐州入りの際も呼び捨ててしまい関羽──愛紗に斬られるかと思ったが、そんなことなかったのが不思議で訊いたら「そういえばそうだったな。あまりにも自然だったから気づかなかった」と、あとで怒られた。
怒られたのは久しぶりだ。
洛陽での仕事は黒永がいたから完璧でお咎めもなかったから。
「ウチは信用できへん。あの袁術や。使い捨ててポイッ、てことがあっても不思議じゃあらん」
やがて、霞が言った。
なんで袁術の名前が出たか、というと袁術の内通の使者が来たからだ。
──黒薙殿は劉備などという弱小勢力に留まるお方ではありますまい。我が袁術軍の攻撃と共に寝返りくだされば、悪いようにはいたしませんぞ──と、言われた。
返答は曖昧にしてその日は帰した。
それからは書簡で送られるようになった。
そのことをまず黒薙軍の仲間に話すために夜中に幕舎に集めたのだ。
ちなみに白蓮は正式に劉備軍に加わったため、ここにはいない。
「……恋も、そう思う」
「袁術ごときの下に付くなんてねねはイヤです!」
霞、恋、ねねは当然反対した。
「黒薙様。何をお考えでいらっしゃいますか?」
じっと考え込んでいた黒永が頭を上げた。
黒永は桃香に言われても俺のことを真名では呼ばなかった。
当たり前だ。
それに従えば、俺と黒永との決まり事を破ることになる。
「考えって、どういうことや?」
「黒薙様が返答をはっきりさせずにいる──これは、何かお考えがあってのことでしょう?」
「──こんな誘いは蹴ってしまいたいところなんだけどね」
ちょっと考えをまとめてから口を開いた。
「何か策に使える、と思って」
「ずばり、寝返りの寝返りですな!」
ねねが俺を指差して言った。
「ねねの言ったことが正解。寝返りを寝返りで逆利用したらどうか、て思った」
「寝返る、て嘘をつくっちゅうことか?」
「そう。寝返るふりをして、なんらかの形で劉備軍と俺たちに有利な情況に引き込んで、袁術軍を撃退する」
「……嘘はダメ」
恋が特に考えた様子もなく言った。
確かに、これはある意味卑怯だ。
寝返る、と嘘をついて勝つのだから。
「確かに、嘘をつく抵抗はある。でも、上手くいけばまったく損害なく勝つこともできる。袁術軍に付く、という考えは消えた。あとは利用するかしないか、の二択だ」
そう言うと、みんな考え込んでまた静けさが戻った。
「……やっぱり、嘘はダメ」
「捨てがたい策ですけど、ねねも恋殿に賛成です!」
「ウチもや。損害なく勝つゆうのは良い。せやけど、やっぱ正々堂々突っ込んで勝つっちゅう方がええ」
三人が寝返りの利用を反対した。
みんな黒永を見た。
「私は策として使うべきだと思いますが、抵抗があるのも事実です。それに袁術相手に手こずる黒薙軍、劉備軍ではないでしょう」
「──みんなそう言うと思ってたよ」
みんなの意見を聞き終えて、笑みを浮かべながらみんなを見回した。
「袁術に策など不要。この話は蹴って捨てる。ただ、明日の定期会議でこの話は公開する。それでいい?」
みんなが頷いた。
「じゃあ、これで話は終わりだ。夜遅くにゴメン」
「気にすんなや。雛斗が黒薙軍の大将なんや」
霞が笑って言った。
みんなも気にした様子はない。
「──ありがと。じゃあまた明日。おやすみ」
その言葉で解散した。
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「えっ!?」
「袁術さんから内通を!?」
星や雛里、黒薙軍以外の全員が驚いた。
五日毎に行う定期会議だ。
劉備軍、黒薙軍の将士が集まって配分された仕事の状況報告をし、そして今後の方針を決めるのだ。
「最初は使者が来て、それからは書簡が何度も。返事はしなかったんだけど、昨夜にお断りだと返事した」
「返事をしてしまったんですか!?」
朱里が声をあげた。
「策に使おう、と思ったこともあった。だが、俺たち黒薙軍はそんな卑怯な手を使って戦をしたくない」
「何を勝手に! せめて私たちに知らせてからにすれば良いだろう!」
愛紗が息を荒げて言った。
「愛紗だって嫌だろう? 寝返ると嘘をついて勝つこと」
「──それはそうだが」
「そういうことさ、俺たちが断ったのも。納得できないのならそれで良い。俺たち、黒薙軍は断って後悔しない」
「愛紗ちゃん。私も嘘は嫌だよ」
「だな。そんな卑怯な手を使って勝ったら、俺たちの評判が下がるかもしれないし」
「桃香様。ご主人様まで」
「諦めるが良い、愛紗。主たちはどうも黒薙殿に似ているらしい。もちろん、愛紗も含めてだが」
星がニヤリと笑いながら愛紗に言い、こちらに目をつむった。
ウインク、てやつだ。
それに俺も一瞬だけ頬を緩めた。
「──わかった。確かに雛斗は間違っていない」
愛紗がちょっと考えて納得して席に着いた。
「勝手に決めて悪いとは思う。そこは謝る」
「い、いや! 私も謀略には抵抗がある。謝る必要はない」
愛紗が慌てて言った。
「ありがと、愛紗。──話を変えるが、この誘いが来たということは袁術がここを近いうちに攻めてくると考えられないか?」
朱里と雛里の方を見た。
「雛斗さんの言う通りです。袁術さんがここを狙っていることは十分に考えられます」
「徐州は豊かなところですから。袁紹さんが動いたことに刺激されて動くのは、不思議はないかと思われます」
朱里と雛里が言った。
「袁術は一応袁紹と同じ、名門の者。袁紹に劣るとはいえ、やはり兵は多い。故に対処はよく考えなければなるまい」
「確かに、そうですね」
「隙を見せないようにしないと」
俺の言葉に朱里と雛里が考え込んだ。
「どういうことだ? 雛斗」
北郷が口を開いた。
「徐州を狙うのは、何も袁術だけではないでしょう。他の諸侯だって目を光らせているはず。そこに最初に袁術が攻めた。我々が撃退できても、それで傷を負った我々を諸侯が見逃すと思われるか?」
「つまり、隙がないということを見せつけないといけないってこと?」
「はい。理由は雛斗さんの言った通りです。いかに袁術さんを素早く、そして損害少なく勝てるか。それが重要な課題かと思われます」
朱里の言葉にみんな頷いた。
「じゃあ、すぐに袁術が来ても対応できるように軍備を整えておいた方が良いかな?」
「その方が良いでしょう。袁術さんが攻めてくるのに、いかに早く勝てるかが今後を決める重要な鍵ですから」
北郷の言葉に雛里が返す。
「では、まずは国境の城の防備を固めましょう」
「お願い、愛紗。朱里と雛里はここからでもすぐに兵隊さんを動かせるように、輜重隊の準備をお願い」
「「わかりました!」」
「我らはどうしましょう?」
俺は北郷を見て言った。
「愛紗たちの軍備の手伝いをお願いするよ」
「わかりました。愛紗の指示に従う、ということでよろしいですか?」
「うん。愛紗、雛斗の軍の動きも考えてあげて」
「わかりました」
「まだ袁術さんが攻めてきた訳じゃないけど、攻めてきてもすぐに倒せるようにしよう♪」
劉備の号令にみんなが返事した。
袁術との戦、楽しめるとは思えないけど、まあ盗賊と戦うよかましか。
とりあえず、俺は愛紗のあとをついていった。