赤壁の戦い その二
「ご主人様、黄蓋殿が鞭打ちに処されたというのは本当ですか?」
関羽がただならぬ形相で陣中の兵を見回る一刀と劉備に詰め寄る。
夜の篝火に照る劉備の顔は曇っている。
どう返答したものかと迷っているのだろう。
軍議で話した通り、蜀の六万は船隊で対峙する呉軍の後方に陣取っていた。
こうすることで魏は対岸に進みにくくなる。
そうして膠着している間に魏の隙を見つける、という話だったのだが。
「あまり外部に漏れると戦意に関わるから、口には出さないでくれよ」
少し考えた一刀が小声で言う。
兵たちの噂を耳に挟んだのだが、どうやら本当らしい。
「なんて聞いた? 星」
「降伏すれば孫策殿を含め、我々も生きられると嘆息した黄蓋殿に激怒した周瑜殿が斬首を命じたところを、孫策殿が宥めたので鞭打ちにしたと」
「見たかの様な、正確な噂だなぁ。その通りだよ。動揺する兵を宥めてやってね」
「主。黄蓋殿が寝返るということはなかろうか。処罰したことを曹操に目を付けられない訳がありますまい」
「星の言う通りです。だいたい、魏に隙ができるのを待つと言ったのは周瑜殿ではありませんか。自ら隙を作って……周瑜殿はどういうつもりなのか」
「愛紗、愚痴なら兵のいないところで……」
一刀は苦笑いしているが、危機感が足りないのではないか。
「ところで、騎馬隊は湿地に慣れた?」
「無理ですな。泥濘を渡りたいのなら木の板なり、橋渡しが必要になります」
馬と兵を怠けさせぬよう毎日のように周囲を駆け回っているが、荊州は水路が張り巡らされ、馬が走るには少し窮屈だ。
「仕方ないか。機動力に欠けるけど、板を持つ工作兵も随軍させるしか」
「騎馬よりも水軍を慣らした方がよいと思われますが」
「そんな暇はなかろう、愛紗。今は戦時だぞ。水軍は呉に任せ、我らは陸で役に立つしかない」
「そういうことだ。雛斗も騎馬を万能にしたいって考えるだろうしな」
「ふふっ。主も雛斗のことを、よくお分かりになられた。しかし、雛斗はこんな時でも戻らぬというのか」
「まあ、雛斗にも考えがあるのだろう。ここで雛斗に想いを馳せ続けても、仕方がないぞ。星」
「やれやれ。愛紗にこのようなことを言われるとは。私も焼きが回ったか」
「どういうことだ!」
怒鳴るのに鼻で笑ってやると愛紗がキョトンとして、気付いて苦笑した。
と、誰かが駆け回るのが聴こえて見回す。
「と、桃香様ぁ! ご主人様ぁ!」
篝火の薄暗い中、諸葛亮と龐統が駆けてきた。
途端に、一刀の表情が険しくなった。
「朱里。ついに動いた?」
「はい! こちらも動きましょう」
「ご主人様?」
「桃香。これで勝てそうだ。愛紗、星。出撃準備だ。周瑜さんの策が、今かかった。聞きたいこともあるだろうけど、今は従って欲しい」
「は、はい」
「愛紗さんはここでご主人様たちと待機、星さんは翠さんたち騎馬隊と一緒に江陵までの道筋に向けて全速力で駆けてください。曹操を逃さないように」
「朱里ちゃんっ。風が」
言われて肌に意識を向けると気づいた。
北風がなくなり、南風になっている。