変わらなきゃ
「今さら何を要求してくるのか。雛斗にしたことを忘れた訳ではないだろうに」
愛紗は憤りを隠そうとはしなかった。
まあ、そういう素直なところは可愛いと思う。
私的なことだけとも言えない。
呉が雛斗にしたことは、蜀に対して喧嘩を売っているのと同じことだ。
謁見の間には君主である桃香と北郷、軍師の朱里と雛里、軍事の総指揮者の愛紗にそれを手伝っていたウチ、張遼だけだ。
まだ昼にもなっていないため、他は国政や調練に明け暮れている。
「そうかっかすんなや、愛紗。気持ちはわかるけど、まだ何を言ってくるかわからんのやから」
呉から使者が来たのは、雛斗が出奔してから一月も経とうかというところだった。
その間、蜀と呉は小競り合いも起きず、連絡も取らなかった。
睨み合っていただけだ。
「朱里、雛里はどう思う?」
「今、我が蜀と呉は雛斗さんの件があって敵対状態となっています。宣戦布告の使者というのも、今までの呉の動きを見返せば首を傾げるところです」
「現在、こちらで捕虜となっている呉の武将さんもいませんし。となれば、同盟の申し込みしかないかと」
北郷が訊くのに二人が答える。
「呉は魏とも敵対してるし、二カ国を敵に回すのは避けたいってことか」
「ま、それはウチらもおんなじやけどな」
肩を竦める。
漢中での戦もあったし、蜀は魏とは断固敵対関係でいる。
呉でも小競り合いがあったようで、蜀ほどではないが関係はよくないらしい。
「私情を挟むようで悪いが、私は反対だ」
「せやから、まだ使者と対面してないっちゅうのに。あちらさんの要求聞いてから、会議の時に言えばええやろ」
ほんと、感情に素直なヤツなんやから。
思わずため息をついた。
いつも星に振り回される雛斗がため息をつきたくなるのが、今にするとよくわかる。
まあ、ウチも雛斗にため息つかせてんけど。
ウチはこのためにここに呼ばれていた。
愛紗の、いわゆる歯止めだ。
ウチや紫苑たちなどより、昔馴染の星に頼めばいいと思うけど、星は生憎と雛斗が鍛えていた奇襲に特化した騎馬隊の調練のために席を外していた。
あれは騎馬に精通した奴にしか、調練は務まらない。
騎兵は差し上げる槍の動きに、過敏に反応して全体が動く。
最初、雛斗の騎馬隊の鋭いとも言える機敏な動きに、星もウチも戸惑った。
にしても、愛紗は雛斗と結ばれるまでは、その感情に素直になれてなかった。
なのに雛斗がいない時は、こうやって大声で大好き宣言している。
それとも気付いとらんのか。
「呉からの、外交の使者をお連れしました」
兵が言った。
桃香が入るよう言うと、二人が入ってきた。
「お姉ちゃん……」
朱里がぼそりと呟いた。
目は少し鋭くなっている。
一人は肌が褐色の黒髪の美人さん。もう一人は薄い金髪が背中まである、十代半ばの少女だ。
「此度は拝謁をお許しいただき、恐悦至極に存じます。呉の周瑜です」
恭しく頭を下げる美人さんが名乗るのに驚いた。
周瑜といえば、孫呉の柱石として名高い軍師だ。
それが自ら使者として来るとは。
「同じく、呉の諸葛瑾です」
周瑜に続けて頭を下げた。
ああ、朱里の姉って呉にいたんやったな。
桃香なんかは驚いているが、他はそうでもない辺り大体が知っているらしい。
諸葛瑾は朱里を見たが、それだけで君主の方を見据えた。
「早速、要件を聞きたい」
驚いている桃香に代わって北郷が言う。
「要件の前に──まずは、夷陵のことも含めて二度も蜀の将・黒薙殿に失礼を犯してしまったことを、お詫び申し上げます。 我が君・孫策が黒薙殿を好いて、外交関係を悪化させてまで側に置きたいと願ったがために、このような事態に発展してしまいました」
二人が頭を拱手して頭を下げるのに、また驚いた。
今までの非礼を詫びている。
「しかし、周瑜さんがいて、なんで黒薙を捕らえることを許したんだ? そんなことしたら蜀との関係が悪化することは、わかるはずだろ」
北郷がもっともなことを訊いた。
周瑜くらいの頭の良さなら、そのくらいは考え付いて当たり前のはず。
「……恥ずかしながら孫策と同じく、黒薙に惚れてしまったのです」
少し言い澱んで、そんなことを言った。
しかし、本当のことらしく、周瑜は頬をほんのり赤くしている。
雛斗の出奔する前に、それは雛斗から聞いた。
それを確認しただけのことだ。
雛斗も罪作りな男だ。
北郷も桃香も魅了するものを持っている。
雛斗もそれに劣らない。
「ですから、このようなことをしてしまいました。重ね重ね、お詫び申し上げます」
「まあ、それはもういいとして」
「許してくださるのですか?」
北郷が進めるのに諸葛瑾が訊く。
「許す訳ないだろ。黒薙は、というか蜀にいる人材は民も含めて国の宝だ」
雛斗が北郷を認めているのが、なんとなくわかった気がした。
人を大事にしているのだ。
それは、傭兵時代の雛斗もそうだった。
ウチらを、兵を、家族のように接していた。
自身の身を呈してでも守ろうとしていた。
「だけど、話はこれだけじゃないだろ? 要件を話してくれないと」
「恐れ入ります──単刀直入に言います。呉と同盟を結ぶことを、お願い申し上げます」
雛里の言う通り、同盟の使者として来た。
ただ、雛斗のことを詫びに来ただけじゃなかった。
しかし、要求ではなくお願いに来ているのには少し驚いた。
呉の態度が、手のひらを返したようだ。
「理由を聞いてもいいかな?」
北郷に遠慮していた桃香が訊く。
「大国の魏に、呉単体で対抗できるなど思わないからです。南は、もちろん蜀も含めた地は豊かですが、北も豊かで特に人口が多いです。国力には差があり過ぎます。それに対抗するには蜀呉で同盟して対抗するしかないのです」
諸葛瑾が答えた。
北は代々都があり、そのために人は多かった。
魏は、北には敵もこれといっていないため、冀州なんかは屯田を盛んに行っているらしいし、国力には大きな差がある。
自分たちの都合だけで、勝手な。
愛紗はそんな顔をしていた。
ウチも雛斗を捕えた呉には、少なからずの怒りはあるけど。
そこまで自分を失っていない。
呉との同盟は、これから魏に対抗する上では必須だ。
何と言っても、蜀は三国の中では国力は一番劣っている。
単体では魏に対抗できないのは同じである。
しかし、自分からうんと手を出せるかというと、無理だと思う。
そんな手は握れないと。
愛紗はなおさらだろう。
「……軍師さんたちの意見を聞きたいな」
躊躇うかと思っていた桃香が、口を開いた。
「私は同盟した方がよいと思います」
「雛里ちゃんに賛成です。漁夫の利という言葉もあります。蜀呉で争っても、魏しか得しません。逆に同盟して堅固な守りを確立すべきです」
愛紗は苦虫を噛み潰したような顔をした。
しかし、軍師たちの言う事は正しい。
「……軍師さんたちも言う通り、私も同盟には賛成です。けど、雛斗さんの件についてのお詫びを、なにか請求してもいいですか?」
それに蜀側のみんなは桃香を振り向いた。
素直に受け入れるかと思っていた。
確かに雛斗の件については、ただ詫びを入れるだけでは足りないと思う。
雛斗は能力においても人柄においても、蜀の宝とも言うべき存在だった。
平和主義の桃香は、相手に対して波風立たせることはしないと思っていた。
「それは物理的に、ということでよろしいですか?」
「誠心誠意、その態度を示せるというなら、なんでもいいです」
今までの姿からは考えられない、毅然とした態度に蜀側は唖然とするばかりだ。
「──江陵。ここは襄陽から攻めてくると考えられる、魏に対しての重要な前線拠点です。それは、もちろん敵対していたら蜀相手でも同じです。荊州を、共同戦線として頂けたらと思います」
「それは、呉の領地である荊州を自由に移動させて頂けるということですか?」
周瑜に朱里が訊く。
「大雑把に言えば、そういうことです。しかし、文官は無理ではないかと。完全に支配権を移すと荊州の民が混乱します。そこまではできないので、せめて軍事だけでも荊州の支配権は蜀の影響も良しとしようと。完全支配は、呉の領土は荊州より以東、蜀の領土は荊州より以西、荊州は呉と蜀の両方。ただし、民政をいきなり蜀に与えては民が混乱するため、軍のみの常駐を可能とする」
少し、複雑になりそうだ。
荊州を蜀呉で混在した領地にしようということか。
「蜀呉の、魏に対する共同戦線を確立できますね。蜀の領土となるわけではないので、国力が増えるわけではないですが」
「そう考えると思います。そこで、荊州より南端・交州の支配権をお譲りしようと思います」
雛里に諸葛瑾が答えた。
それにはみんな驚いた。
領土をこちらにあげようと言うのだ。
「交州はまだ占領したばかりで、支配権が確立しておりません。蜀が支配しても、あまり問題にはならないと思います。交州は南端故に内政は難しいでしょうが」
「黒薙は一州に収まる男ではない……私と孫策様は少なくともそう考えております。この詫びで御容赦頂けぬでしょうか」
桃香がちらりと朱里の方を見ると、朱里が小さく頷いた。
「わかりました。呉との同盟は私たちも望むところです」