罰
「けじめをつけさせて欲しい」
会議の席で雛斗が言った。
一座はしんと静まっている。
朝の会議だ。
その会議も終わり、主が解散を宣言しようとしたところに雛斗が立ち上がったのだ。
「けじめ、とはどういうことだ?」
私の隣に座る愛紗が眉をひそめる。
「私は皆の忠告も聞かずに孫策と会い、捕虜にされました。その間に蜀は魏と辛い戦を続けていたというのに、私は呉に捕まったまま、大事な戦に参戦できませんでした。二度まで皆に迷惑をかけてしまった私は、皆に詫びなければ示しがつきません」
普段、兵や敵の前でしか話さない口調で雛斗は長い言葉を切った。
いつもは隣でなだめる氷は、まだ傷が癒えていないために会議に出席していない。
「確かに一度ならまだしも、我らの言葉を無視して、二度も孫策と接触したのは看過できんな。その二度目はまんまと呉の捕虜となった」
桔梗は以前から気にかかっていたようだ。
私としては雛斗に罰を与えるのは本意ではないが、軍規に従わなければならない雛斗の行動が無視できないのも仕方ない。
「しかし、まだ続く可能性もあった魏との戦を、雛斗は使者となって魏を撤退させることに成功した。流すはずの血を抑えることができた」
「星の言うことはもっともだと、私は思う。それに、呉に捕らえられたとはいえ、こうしてちゃんと戻ってきているではないか。漢中の戦に参加できなかったのは、呉のせいではないか」
私が言うのに愛紗も憮然として言う。
ちらりと雛斗を窺う。
雛斗は長卓の奥に座る桃香様と主に向けて静かに歩く。
途中、私の後ろを通ったが顔を向けることはなかった。
「星と愛紗がそう言ってくれるのはありがたい。されど、元から敵と会うこと事態、感心できたことではありません。私は甘え過ぎたのです」
辿り着いた雛斗は片膝をついて、頭を下げた。
「桃香様、北郷様。どうか、私に罰をお与えください」
流石に場は緊張で固まった。
桃香様と主も表情が堅い。
しかし、決めるのはこのお二方だ。
「──雛斗は蜀にとって、もうなくてはならない存在だ。今は分けているとはいえ、軍事は愛紗と並んで上に立ってるし。だから、そう簡単に雛斗の罰を決めることはできない」
しばらくして主がとつとつと喋り出した。
「少し、時間が欲しい。じっくり考えて、雛斗やみんなが納得する罰を決めたい」
「……私から、異論はありません」
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「さて、みんなどう思う?」
主が一座を見回す。
雛斗の将来が決まるかもしれないこととあって、場は重い。
それでも雛斗がここにいないだけで、空気は多少和らいでいる。
今朝の会議の夜のことだ。
皆、早めに仕事を切り上げ、雛斗と氷以外の全員で雛斗の処罰を決めようと桃香様と主が今朝のように会議に集めたのだ。
雛斗は処罰を待つ期間として、今は自ら進んで牢で謹慎している。
そのことは亞莎から氷に話したらしいが、「雛斗様の決めたことです」と言って、止めることはなかったという。
しかし、表情は暗いものだっただろう。
「私は雛斗さんを送り出した身として、罰を与えたくないんだけど……」
遠慮がちに桃香様が口を開く。
私だけでなく皆が驚く。
それは初耳だった。
「それはどういうことですか? 桃香様」
「う、うん。雛斗さんが二度目に孫策さんと会う時、私に許可を求めてきたの。もちろん、ちゃんとどういう状況で話すかとか聞いたんだけど。私、許可しちゃって……」
愛紗の問いに桃香様の表情が曇る。
流石に雛斗も、無許可で二度も孫策に会おうと思ってはいなかったらしい。
皆に話すことはなかったとはいえ、君主である桃香様には話を通していたのか。
隣の主もそれは聞いていたようで頷いている。
なぜ、雛斗はそれを言わなかったのか。
わかる気がする。
進んで罰を受けようという雛斗なら言わないのも頷けるが、それよりも自ら犯した過ちと決めてかかっている。
雛斗らしいといえば雛斗らしい。
「なるほど、道理で桃香様の様子がよろしくなかった訳ですね」
愛紗が少しほっとしたようだ。
「じゃあ、雛斗さんを罰する必要なんてないよね? 雛斗さんは呉に騙されて捕まったんだし」
「たんぽぽさんの言う通りです。今朝、星さんが仰ったこともあります。魏への和議の使者としての働き、それは高い評価に価するものと思います。話の様子を雛斗さんから聞いたところ、曹操さんはまだ攻めの姿勢を崩さないつもりだったようですし」
今朝の私が話したことを雛里が持ち出す。
あれは雛斗を助けようと、咄嗟に口から出たことだった。
「そのことから考えて、罰するどころさ雛斗の働きを表彰するべきだと思うわ。捕虜になっても雛斗は呉に組することなく、こっちに戻ってきた訳だし」
詠も雛斗を罰しようとは思っていないらしい。
今、ここにいることで、雛斗の忠誠は証明されている。
呉との密談については、疑う必要はない。
「しかし、雛斗が肯(がえ)んずるだろうか?」
「どういうことだよ?」
桔梗の言い様に翠がムッとする。
「雛斗は罰を受ける覚悟で桃香様と御館様に願い出たのだからな。雛斗は漢中の戦に参戦できなかったことを、ひどく気にしていることだろうしな」
確かに、雛斗はそういうことにとても神経質だ。
雛斗はなにより仲間を大事にする。
きっと、自分は遠くからのうのうと戦を見ていた、とでも思っているだろう。
「でも……」
「桃香様。そもそも雛斗が孫策に会うことを、何故許可などしたのですか? 余程のことがなければ、許可など出さないでしょうに」
不意に焔耶が言い澱む桃香様に訊いた。
確かに、一度目は避けようがなかったと思う。
翠から話を聞いたが、呉の荊州中部の不穏な動きに、奇襲で隠れるのが得意な雛斗が進んで偵察に赴いて、それで罠にかかったのだ。
雛斗が行くのは妥当な判断だと思うし、偵察に率いた兵を半数失ったとはいえ、普通なら全滅していただろう。
それを半数に抑えた雛斗の功績は、やはり目を見張るものがある。
しかし、二度目は別だ。
ただ単に孫策に会いに行ったというのだ。
それを桃香様が許されるのは、許せるような内容だったのではないのか。
「う、うん。氷さんと司馬徽さんの私塾に行くのはみんなの聞いた通り、ほんとのこと。その後、武器をお互い持たずに孫策さんと二人きりで話すって約束だったの」
「二人きり?」
愛紗が首を傾げる。
それもそうだ。
呉が雛斗を捕らえようと考えるなら、孫策一人で、とは考えないはずだ。
しかも武器を持たずして、だ。
武器を持たない戦いでは、槍と格闘攻撃を織り混ぜる雛斗に一日の長はある。
「うん。長江付近で。雛斗さんが言ってたのは、それを孫策さんから直筆の書簡でお願いされたらしいんだけど」
それではまるで孫策が雛斗に気がある、というような言い方だ。
そんな気配を桃香様は感じたのか、まだ引け目を感じているのか、小さく頷いた。
「たぶん、なんだけど。孫策さんは雛斗さんに少なからず好意を持ってると思うの」
「曹操も雛斗を気に留めてるようだし、孫策が雛斗を多少気にしても仕方ないと思うけどな。こうして二度も雛斗を捕らえようとしてるところを見ると、雛斗にご執心なのもあながち間違いじゃないと思う」
桃香様の言葉に主が続けていく。
聞く限りでは孫策は雛斗を捕らえるつもりはなく、ただ雛斗と会いたいがために書簡を送ってきたようだ。
しかし、実際に雛斗は呉に捕らえられた。
「一度、雛斗さんに詳しい話を訊いた方が良いのではないでしょうか?」
「桃香様の話を聞くと、不明瞭な点が出てきました。それを明らかにすべきかと」
朱里と雛里が言う。
雛斗と孫策──二人だけの話し合いに、何があったのか。
それが今の不明な点だろう。
孫策までが雛斗を、と考えると、妙にもやもやしたものが私の胸に現れていた。