拠点フェイズ7.朱里、雛里
何やら武器庫の裏が騒がしい。
「面白いことになっているぞ」
そう持ち込んできたのは星だ。
それに俺はため息で返した。
「ねえ、星。俺が今何をしてるか、わかる?」
「無論、仕事だ」
「じゃあ、面白いってだけで誘わないでね」
筆を再び進める。
庭の東屋で仕事を続けていた。
昼を過ぎた時間は、ご飯を食べた後で部屋にいると眠くなる。
そこで気分転換に筆と書簡を持ち出して、外で仕事をすることにした。
日照りの下にいると汗ばみそうな暑さだけど、屋根の日陰だと風もあり涼しい。
この東屋は俺のお気に入りの場所だ。
氷や星などとお茶を飲みに来たりする。
時にはこうして一人で軍略書を読んだり、昼寝をしたりとのんびり過ごしたりもする。
「つれないなぁ、ヒナちゃん」
「ヒナちゃんって言うな」
「可愛いではないか。ヒナちゃん」
「ちゃん付けはやめてよ」
いつも通りのやり取りを流しつつ、朱里たちに回すように紙端をとり、メモをしてから次の書簡を取る。
まったく、ちゃん付けは女の子っぽくてやだなんだから。
「──気が変わった」
「うん?」
筆を置いて、星が勝手に羽織っていた黒い上着を取り、側にいた侍女を呼ぶ。
軍事の頂点という立場と仕事上、あらゆる人に許可や意見を求める。
書簡をそうして回すために、近くに一人は侍女を置いていつでも書簡を届けられるようにしていた。
あまり侍女を置くのはあまり好まないし、なによりホントならこの役を氷がやっていたことがあるから気は進まない。
けど仕事の円滑化の為でもあるから仕方ない。
重要なものは自身で訊きに行くけど。
「少し離れるから、ここ頼むよ」
「御意」
「雛斗?」
黒い上着を羽織って立ち上がる俺に星も立ち上がる。
「武器庫に用事ができた。頼んでおいた馬上地上両用の槍が届いてるっていうから確認しに行くよ」
「それは私も望むところなのだが。わざわざ雛斗自身で確認するか?」
「俺自身が頼んだし、なにより気になるし」
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「あわわ……ま、まさかこれを口に……」
「雛里ちゃん! 口に出したらまた星さんが」
「今日は雛斗を連れてきたぞ」
「「きゃあぁぁぁあああ!!」」
鋭い金切り声に思わず耳を塞ぐ。
星は涼しい顔をして耳に手を当てている。
武器庫に赴くと星の言う通り、確かに裏が騒がしい。
星に誘われるままに裏を覗いてみると、朱里と雛里が何やら本を読んではわはわあわあわ言っていた。
「ひ、ひひひ雛斗さん!? なんでここに!?」
「頼んでおいた槍が武器庫に届けられたって書簡きたから、見に来たんだけど」
耳から手を離して言う。
「ああああ、あの! ここっこれは何でもなく!」
慌てて朱里が雛里と見ていた書物を背中に隠す。
二人とも顔真っ赤にしてるけど。
隠すような本なのか。
「二人なら大丈夫だと思うけど、こんなところにいて仕事は平気なの?」
「ヒナちゃんはお母さんみたいだな」
「ヒナちゃんっていうな。それにお母さんとかやめて」
せめて、お父さんかお兄さんにしてよ。
「じゃあ、お姉さん」
「じゃあ、じゃなくて。お姉さんじゃなくて」
「では、何がいいんだ?」
「まずは俺を男だとちゃんと認識してよ。いつも言ってるけどさ、今日こそ直してもらうよ」
霞もそうだけど、最近俺をホントに男と見ているのか怪しい。
それは男として悲しい。
「ヒナちゃんは可愛いのだから、仕方がなかろう? そんなに可愛いし、苛めたくなる」
「ヒナちゃんっていうな。可愛いも苛めるとかも」
「やれやれ、我が儘だな」
「我が儘でいいよ。俺は男だよ」
「雛里ちゃん。今のうちに」
俺と星でしょうもないこと言い合っている間に、朱里が言うのに雛里がこくこく頷く。
そう口に出しちゃってるからわかっちゃうんだけど。
でも二人はもういいよ。
今は星に女扱いをやめてもらうことを優先する。
「雛斗はちゃんとした男だ。それは私がよく知っている」
「だったらヒナちゃんとか可愛いとか言わないでよ」
「よいではないか。ヒナちゃんは愛称だ。可愛いのは本当のことだし、それを差し置いても雛斗が男だとわかっているぞ」
言いながら星がぐっと身体を寄せて、抱き付いてくる。
柔らかいものが胸板に押し付けられてどきっとした。
途端に身体が熱くなってきた。
「ちょっ。星、なにして」
「ほうら、ここがちょっと硬くなってきたぞ?」
「こんなとこでなにしてんのさ! それと朱里と雛里は見ないでいいよ!」
「朱里ちゃん! 見てるのがバレちゃったよ!」
武器庫の角に隠れて覗き見していた朱里たちが慌てるのがわかる。
朱里のせいじゃなくて、角から雛里のとんがり帽子が見えてバレバレなの!
「お、お気になさらず! 後学のために見ているだけですから!」
朱里と後ろから雛里がまだ顔を真っ赤にしながら隠れるのを諦めて出てくる。
後学ってなによ!
仮にそういうことだとしても、まだ二人には早い!
「だそうだ、雛斗。ここは一つ、大人の交わりというのを見せてやろうではないか」
星が俺の顎を手でくいっと顔に向けさせられる。
唾を飲み、無言で手を振り上げる。
ピンッ。
「きゃうっ!」
「まったく。俺は仕事があるんだよ。そんなことしてる暇ないし、見せるとかしないから」
星のおでこにデコピンする。
そんな強くしてないはずだけど、星はちょっと痛がってる。
というか、飲まれるところだった……まだ胸がどきどきしてるよ。
「それは時間のある、誰もいない夜ならいいと?」
目敏(めざと)い。
「とにかく。女扱いはやめてよね」
「否定してないです」
雛里もやめてよ。
俺だって、星と二人きりになりたいんだから。
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「はぁ……」
ホッと息を吐いて、仕事机に冷めた湯呑みをことり。
ようやく仕事を終えて侍女に書簡を運んでもらったところだ。
外は既に暗く、夕食も食べ終えてしまっている。
九時くらいかな。
「さて、寝るまでまだちょっと時間あるし。月見酒でもしようかな」
仕事終わりの楽しみ、と部屋の隅に置いてある水瓶の脇の徳利と盃を取る。
おじさんみたいだけど気にしない。
俺はぐびぐび飲むんじゃなくて、月や街を見ながらゆっくり飲むのが好きだ。
お団子があるといいんだけど、夕食を作った後の調理師を働かせるのも悪いし、我慢しよ。
ちょっと足取りを弾ませながら、扉に向かう。
夜に来る、というような催促を星がしてたけど女扱いのこともあるし、無視して少し苛めてみることにした。
たまにはいいだろうさ。
星とイチャイチャしたいっちゃしたいけど。
そう思いつつ、扉を開く。
「はわわぁぁぁあああ!」
「あわわぁぁぁあああ!」
耳をつんざく高い叫び声。
両手に徳利と盃持ってて耳塞げない、本日二回目の耳きーん。
「……何事?」
頭を振って耳鳴りを振り払う。
いや、そんなんじゃとれないけど。
聞き覚えのある慌て方、俺の腰くらいの背の少女が二人。
朱里と雛里がお互いに抱き合いながら涙目でこちらを見上げていた。
「ひ、ひひひひ!」
「雛里ちゃん! 何を言おうとしてるかさっぱりわからないよ!」
俺の真名を呼ぼうとしてるのかな。
というか、そんなに驚かなくても。
「他に迷惑かかるし、とりあえず中に入ってよ」
あんまりうるさいと、寝てるかもしれない恋が部屋から出てきて無言で斬りつけてくるかもしれない。
最近はそんなことないけど。
一先ず、朱里と雛里を部屋に入れる。
「朱里ちゃん。なんとか雛斗さんの部屋に入れたね」
雛里が騒ぐからだよ。
あと、小言筒抜けだよ。
「はい、水でも飲んで落ち着いて」
寝台に座ってごにょごにょ密会しているところに水の入った椀を二人に渡す。
お茶だと眠れなくなると思ったから、ただの水にした。
「あ、すいませんっ」
「あ、ありがとうございます。んくっ、んくっ」
二人して両手で椀を包んで傾ける。
こういう仕草とか子供っぽい。
でも、言ったら面倒なことになると思うから口にはしない。
「で、二人は何しに来たの? 流民の徴兵の相談なら明日って書き置きしたと思うんだけど」
寝台の朱里たちと向かい合って、卓の備え付けの椅子に座る。
書き置きというか、メモだけど。
「お仕事、お好きなんですね」
朱里がじと目で言う。
皮肉かな。
「責任だよ。これでも上に立つ人間だしね。それは置いといて、俺になにか用事?」
追撃を避けるように早口に訊く。
「え、えと。夜なら来てもよいと言ってましたから……はぅ」
雛里が赤くなって帽子を深く被る。
武器庫の時のことを言ってるのかな。
「星さんとか来てませんよね?」
「いないよ。来ないうちに逃げて苛めてやろうと思ってたところだよ」
朱里に徳利を見せる。
「いつも私たちと同じ苛められる立場ですのに」
「たまにはね。で、星が来る前に朱里たちが来た」
「私も苛めるんですか……?」
雛里が上目遣いで訊いてくる。
帽子をぐしゃりとしながら頭を撫でる。
「まさか。仕事をこんなに早くやってきたんでしょ」
「えへ。そうなんです。あの本を読むだけためになんて」
「朱里ちゃん! それは言わなくていいよ!」
あの本、結局なにかわからないけど、なんの本なんだろ。
「と、とにかく! 今夜は雛斗さんとゆっくり過ごしたいです」
朱里と一緒に雛里もこくこく頷く。
自然と頬も上がる。
「お互いに仕事で忙しくてそんな時間ないしね。たまにはいいかもね」
そう言って椅子から立って扉の鍵を閉める。
星が来るかもしれないし。
今夜は朱里たちとゆっくりするのもいいかもしれない。