拠点フェイズ7.愛紗
ふと、目を覚ました。
いや、目を覚ましたのに理由はある。
まあこんなこと、みんなには言えないけど。
完全に目がさえて、寝台から上体を起こす。
まだ日が替わらないくらいか。
窓から差す月明かりが、まだ夜明けには早いことを知らせる。
……酒でも呑むか。
寝台から這い出て、寝間着の白い小袖の上に黒い和服──胴服を羽織る。
部屋の端に置いてある水瓶の隣の酒瓶を手に取り、部屋を出た。
廊下もやはり暗い。
小袖の帯に差した刀を手で確認して、薄い灯を頼りに城壁を目指した。
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「んくっ……はぁ」
弱い風と月明かりが妙に涼しい。
城壁の縁に座り、街を眺める。
そこかしこに、まだぽつぽつと明かりが見える。
火の明かりでもこんなに明るく見えるものか。
それでもちょっと眉を寄せて盃を傾ける。
「雛斗……?」
不意に俺を呼ぶ声が聞こえて肩が震えた。
「あ、愛紗?」
動揺する心を抑えつつ、聞き慣れた声に後ろを振り返る。
ゆったりとした寝間着を着た愛紗がこちらに歩いてきていた。
綺麗な黒髪がおろされていて、雰囲気が変わっている。
「どうしたのだ? こんな夜更けに」
「愛紗こそ」
「少し眠れなくてな。部屋から月を眺めていたら、庭から城壁に向かう雛斗が見えたものだからな」
愛紗が俺の隣に座る。
いつもと違う雰囲気にちょっとどぎまぎし始める。
「雛斗はなぜだ? お前は明日も仕事がある。早く寝た方が」
「だからお酒飲んでるじゃん」
「しかしまったく酔っていないように見えるが」
そうだけど。
理由を愛紗に、というかみんなに知られたくない。
「何かあったのか?」
「いや」
「嘘だな。それに、少し怯えているか?」
顔を覗き込んでくる愛紗に目を見開く。
心配そうに眉を下げている。
「なんで?」
「なんとなくだ。いつもは優しい背中が、さっき私が声をかけたとき震えたぞ」
愛紗が俺の背中に手を添えてくる。
思わず背中が引く。
「何があったのか教えてくれ。私は雛斗の力になりたい。雛斗が好きだから」
「……笑わないでね」
真剣に言ってくれる愛紗になら言ってもいい気がした。
それに、今は誰かの温もりが欲しい。
「笑うものか」
「なら言うけど。……ちょっと、怖い夢を見て」
でも少し躊躇しながら、ぼそぼそと言った。
「……それだけか?」
「う、うん。だから言いたくなかったんだよ」
こんなこと星や霞に言ったら絶対からかわれる。
「どんな夢だ? 雛斗のことだ、余程の夢を見たのだろう」
それにまた驚く。
そこで終わりかと思ったけど、夢の内容まで訊いてきた。
「……笑わないでね」
「信用できないのか?」
「そういう訳じゃないけど。……その、お化けの夢、なんだけど」
やっぱりくぐもった声で言う。
「お、お化け?」
流石に愛紗が面喰らった表情をする。
俺は昔からお化けや幽霊なんかが苦手だ。
単純にそれらが恐い。
なんでかは知らない、とにかく恐い。
「そうだよ。情けないけど」
「どんなお化けだ?」
「想像したくない、聞きたくない、見たくない。その話は終わりにして」
早口に言って徳利に直接口をつけて、お酒を飲み下す。
その話だけはしたくない。
夢にまた出るような気がするから。
愛紗はぽかんとしている。
「そ、そうか。……なら、私と一緒に寝ないか?」
「え」
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まさか雛斗にこんな可愛い一面があるとは。
「このことはみんなに、特に星と霞には絶対に言わないでね」
目の前の背中が言う。
黒い服は椅子にかけられていて、今は白い着心地の良さそうな服を着ている。
「ああ。大丈夫だ。誰にも言わない」
なにか心がくすぐられて笑みが浮かぶ。
あの後雛斗が顔を真っ赤にしたが、そんなことではいつまで経っても寝れないぞ、と指摘したら俯きながら折れた。
私の部屋に来て、寝台に誘うと私に背中を向けながら布団に入った。
耳まで真っ赤にして、寝台から落ちそうな端に寄りながら、背中を丸めている。
雛斗にも苦手なものがあるのが、なにか嬉しかった。
毅然とした雛斗だが、こんなにも人間らしい。
「お酒を飲んで落ち着けようとしたのに、こんなことになるなんて」
ぼそぼそと雛斗が言う。
私と同じ色のおろした髪は、やはりさらさらしていて私の鼻をくすぐる。
こんなにも人間らしくて、こんなにも可愛い。
「今度から酒に頼らないで、私に頼って欲しい。私は雛斗といられて嬉しいし、雛斗を落ち着ける自信がある」
「どこからそんな自信が湧くんだか」
「雛斗は私が好きなんだろう? 私に夢中にさせれば、夢のことなんてすっかり忘れられるさ」
「ホントかな」
そう言う雛斗の肩を寄せて、こちらに正面を向かせる。
ちょっと驚く、愛しい顔が目の前にある。
「背を向けないで欲しい。私を見ないと夢中にできないだろう?」
微笑んだまま、雛斗を胸に引き寄せる。
雛斗は何も抵抗せず、私の身体に密着する。
外にいたせいか、夢のせいか、少し冷えた身体だった。
「あ……はぁ」
胸元の雛斗が少し声を漏らしたが、すぐに安堵の息を吐いた。
寝間着が遮らない肌に雛斗の温かい息がかかってくすぐったい。
「大丈夫だ。私がいる」
「……なんか悔しい」
ようやくいつもの雛斗の声が聞こえた。
それに笑って、いつもは雛斗からする口づけを私からした。
少しお酒臭いが、やっぱり甘い味がした。
すぐに雛斗の身体が熱くなってくる。
顔を離すと、雛斗の頬は上気して目がとろんとしていた。
そんな惚けた表情も愛おしい。
「愛紗、いつもとなんか違うよ」
「いつもと違う雛斗が見られたからだ」
「幻滅したでしょ。お化けなんか怖がる龍なんて」
「龍じゃなくていい。雛斗は雛斗だ。お化けを怖がっていようと、先頭で敵に突っ込もうと。正しいと思うことをする雛斗が、私は愛している」
雛斗のぱっちりした目の、吸い込まれそうな黒い瞳を見つめる。
「……ずるいよ」
呆気にとられたような表情をしていた雛斗は、やがてぼそりと言って自分から身を寄せてきた。
もちろん私は雛斗の身体を抱いた。
体は鍛えてあり、芯の通ったがたいをしているが、今の可愛い雰囲気もあってか少し細い気がする。
しかし、それがもっと愛おしさを感じる。
守りたい、と思わせる。
それは雛斗も同じだと思う。
雛斗は私も星も桃香様もご主人様も、全部守ろうとしている。
毅然とし、先頭に立ち、その身を敵陣に投げ打つ黒龍。
本当の雛斗はこんなにも柔らかくて、可愛くて、優しい。
雛斗は仲間全てを守ろうとしている。
私はそんな雛斗を、私は包んでやりたかった。