定軍山の戦い2
「北郷殿も雛斗様と似たようなことを考えるのですね」
皮肉とも呆れとも取れる氷さんの言い様に俺は苦笑した。
氷さんはこちらに背中を向けて足音なく歩き進む。
俺や後ろにいる兵たちもついていくが氷さんのような無音な歩きはできない。
昼時だろうか、遠くに曹操軍のものとおぼしき白い煙が山越しに見える。
「しかし、本来なら控えるべきです」
「まあでも、蜀の中で目立たないといったら俺が一番目立たないと思うし」
「戦場では、ですがね。桃香殿と同じく大切なお身体なのですから。戦場では後方で鎮座して構えていてもらいたいのですが」
小声で話す氷さんは山を見返り見返り、険しい方の山を選んで進んだ。
追っ手の曹操軍は山慣れしていない。
追うとしても楽な道を通るはずで、だから険しい道を通る俺たちは見つかりにくいのだ。
そのぶん、普段デスクワークに励んでいる俺に道なき山登りはキツい。
曹操軍の補給線を乱す。
それを提案したのは朱里でも雛里でも詠でもない、俺だった。
曹操軍は大軍。
兵糧攻めに弱いことは明確だ。
だからこうして籠城に努めている。
そして天然の要塞に籠る俺たちの砦は堅牢だ。
今の今まで砦に到達してもほとんどなにもさせずに騎馬隊で蹴散らしてきた。
しかし、魏に兵糧に困った様子は見られない。
成都への急襲。
それが朱里や雛里たちがもっとも懸念していたことだった。
いくら敵の勢力圏内とはいえ、補給さえもてば今はがら空きの成都を攻め奪ることは大軍をもって難しいといえども成功する可能性がある。
だからといって補給線を絶ってしまえば一か八かの賭けに出て急襲に乗り出すかもしれない。
だからあえて、補給線を乱して兵糧に不安があると思わせる程度にして成都急襲を思い留めさせる。
まあ、ここまでは考えていなかったけど補給線を乱すのを提案して朱里たちが賛成してくれた。
そして今回の戦で目立たない武将と言ったら俺といつも雛斗の側にいる氷さんくらいのもの。
奇襲においては右に出る者はいない雛斗の動きを一番よく知っている氷さんについて、魏軍の補給線を乱す部隊を二つ編成した。
指揮できる人は多い方が良いということで、桃香や愛紗の反対を振り切って氷さんと部隊を率いている。
「やっぱりそうなのか? 警邏とかやってたりするのにな」
「戦と仕事と違いますので。──魏が私たちの探索部隊を放った気配があります。ここからは慎重に、尚且つ素早く乱します」
山の中腹の木々の下で休息を取りながら氷が小さく言う。
そんな気配は俺にはわからない。
けど用兵ではどう見ても雛斗の手解きを受けている氷さんの方が二枚も三枚も上手だし、それ以前に戦の場数と厳しさは氷さんたちの方がよっぽど踏んでいる。
氷さんの指示に従う他ない。
俺たちが木々に潜んでしばらくすると氷さんの言う通り、魏軍とおぼしき少数の部隊が一隊山間を縫って俺たちの山の麓を通過した。
「なんで探索部隊を出したってわかったんだ?」
「何人か魏軍の近くの山に間者を潜ませましたので。少数の部隊が何隊か山に潜り込ませたようです」
流石に雛斗の下で戦をしてきただけあって抜かりはなかった。
前の五胡の侵攻の際の南蛮の抑えでの指揮からまた変わった気がする。
小休止を取って今度は山間の道に向かった。
さっきは桟道だった。
崖に棚のようにして作った道で破壊しやすい。
「街道を破壊するのは手間がかかるので、輜重隊を直接攻撃して進行を遅らせます」
「だから部隊を攻撃しやすい山間にしたのか」
「桟道で軽く刺激して士気を下げてもよいのですが、こちらの方が逃げやすいですし」
「士気を下げる?」
「桟道を揺らされたら恐いでしょう?」
確かに恐い。
落ちるかもしれない、という恐怖に駆られるだろう。
「今回は乱すだけが目的ですから。手の込んだことはしなくてもよいので。素早く終えられるこちらの方が手っ取り早いです」
まるで雛斗みたいな頭をしている。
戦をしていればこういうことは自然にできるのかもしれない。
案外、翠でも思い付くかもしれない。
「さ、行きますよ。もうあと三里(約1.3km)というところでしょうか」
氷さんの言葉で口をつぐんだ。
やっぱり戦場の雰囲気は慣れない。
氷さんの表情が戦のそれに変わったから。
腰にある剣を確認してから俺は氷さんの指示を待った。
雛斗には幾段も劣るけど、これで少しでも魏に刺激を与えられたら。




