側にいたくて
「……本当に私などでよかったのか?」
愛紗がチラチラこちらを見ながら言った。
昼前の快晴の街はいつも通り活気に満ちていた。
道行くと料理屋のおばちゃんや拉麺屋のおじちゃんなどが声をかけてくれる。
その笑顔にこちらも手を振りつつ街を練り歩いている。
隣に愛紗を連れて。
「嫌だった?」
「嫌なものか! あ、いや、雛斗が選ぶなら星でも氷でもよかったのではないのか?」
そんなことを言いつつ愛紗は俺の袖を摘まんでいる。
あの料理対決から数日経った。
俺はそこで一番を愛紗に選んだ。
「愛紗が料理の練習をしたのって、いつだったか俺が桃香様と氷の料理を食べてたのを見た時でしょ?」
「わかっていたのか」
愛紗はちょっと目を見開いて、すぐに苦笑いしながら肩を竦めた。
「一応ね。てことは、料理の食べ比べの発端は愛紗だよね?」
「ご主人様の方が先かわからないが、たぶんそうだ」
「それってつまり、愛紗が最初に俺のために料理を作りたい。そう思ったってことだよね?」
「雛斗のため、と考えてたのは皆同じだろう?」
「自惚れかもしれないけど、みんなそうして俺のことを想ってくれてるから、やっぱり順位なんて決めがたい。だから決めるとしたら最初に考えてくれた娘にしよう、て思ったんだ。たぶん、一刀様も同じことを考えてたと思うよ。──あ、でも、初めに考えたとか云々より、愛紗が一生懸命に作ってくれたってこともちゃんとわかって、それで」
途中から慌ててそう言って、ちょっと俯いた。
一生懸命俺のことを想って作ったことよりも、最初に考えてくれたことを決め手にしてるように思われたくなかった。
愛紗の想いが先立って、それでもその想いはみんなもおんなじだから。
それだから決めかねて、結局最初に考えてくれた愛紗に決めた。
「──そう下を向かないでくれ。雛斗が浅ましい考えで私を選ぶ訳がない。私はわかっている」
愛紗の優しげな声が聞こえて、袖を摘まむ手が俺の手に絡んだ。
どきっとして愛紗を見る。
やっぱり愛紗の表情も優しい微笑みだ。
「今私は嬉しいんだ。雛斗が私を選んでくれて、選んだ理由を話してくれて。そうして私に必死に伝えようとしてくれて」
「それは愛紗に疑われたくないのと、それと嫌われたくないから」
「疑うものか。それに、嫌われたくないのは人として当たり前のことだ」
愛紗が言って、絡めた手を俺の腕に回してもう片方の手でまた指に絡める。
「私だって、こうしてくっつくことで雛斗に嫌われないか不安になる。そして同時にこうしたくて、雛斗の温かさを感じてどきどきする」
愛紗の頬が見る間に赤く染まる。
何かに戸惑ったような、そんな表情をしている。
そんな表情だから俺も心臓の鼓動が早まる。
「嫌わないよ。逆に嬉しいよ。そうしたいって愛紗が言ってくれて」
絡んだ手を軽く握り返す。
愛紗も軽く力を込めてきた。
俺の手か愛紗の手かあるいは互いにか、軽く汗ばんできたように熱い。
「雛斗──」
「──お昼にしようか。お腹も空いてきたし」
声を軽く上ずらせて愛紗から顔をそらした。
今の俺の顔、たぶんすっごい赤い。
あんまりそんな顔は見せたくない。
「そうだな。何がいいか」
愛紗も店を探すように顔をそらした。
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「雛斗は洛陽の警備部隊だと聞くが」
茶碗を置いて愛紗が訊いた。
ある飯店に入って昼食を食べて食後のお茶を飲んでいた。
やっぱりその時もあーん、をやられて恥ずかしい思いをした。
愛紗も恥ずかしいならやめればいいのに。
でも、「雛斗にそうしてやりたいんだ」と赤くして言われたからやめてとは言えなかった。
「そうだけど」
俺も茶碗をことり、と置いた。
飯店のおばちゃんのご好意でくれた卓上には桃饅頭が小皿に乗っている。
「それは廬植殿に推挙されて?」
「うん。自分の力で立ちたい、て言ったんだけど。兵から立つには勿体ない、て強く言われて」
「その前は修行を積んでいたのか」
「まあね。廬植先生に軍学や政治を教わりながら山で修行した」
「その前はどうしていたのだ?」
「…………」
口を閉じた。
愛紗の目は真剣でちょっと鋭い。
「なんでそんなことを訊きたいの?」
「好きな人のことを知りたいことは変か?」
その言葉には偽りはないだろう。
けど、違う。
誰かから、星か氷から聞いたのか。
最近は俺が元いた世界のことは氷とも星とも話してないけど──あ。
「──聞いてたの? あの時」
「あの時、とは?」
「朱里と雛里のお菓子、クッキーを出された時。俺が言った言葉、聞いてたね?」
「…………」
途端に愛紗は黙って俯いてしまった。
「懐かしい。そう雛斗が呟いたのが私は聞こえた」
やっぱり、と俺は息を吐いた。
あの時のは誰も聞いてない、と思ってたんだけど。
「雛斗の後ろに星と霞と同じく後ろにいたからな」
「なるほどね。霞は聞いてた?」
「霞は雛斗の髪を弄るのに夢中で聞いていなかったようだが。星は知っているのか?」
「うん。ちょっと前に話した。槍を直しに行く時に」
桃饅頭を一つ摘まんで食べる。
甘いあんが口に広がる。
「もう勘づいてると思うけど。俺は一刀様と同じところから来た」
「雛斗が、ご主人様と同じところから? では、雛斗も天の御遣い?」
愛紗が驚く。
「いや。俺は一刀様がこの世界に来るより、恐らく少し前に来た。黄巾の乱よりだいぶ前に来たから」
「そうか。しかし、何故黙っている? 水臭いではないか」
「これは星にも話したことだけど。もし俺が一刀様と同じところから来た、て公開したら魏と呉に漏れてしまうかもしれない。伝わってしまったら一刀様か俺、どちらがホントの天の御遣いか。それで離間の計をかけられる可能性がある。いくら管輅の占い以前に来たと説明しようとも、俺が一刀様と同じ天から来たことには変わりないから」
「──そういうことか」
愛紗が俯いた。
「知らぬところで、私たちは雛斗に助けられているんだな。私は余計なことを訊いてしまった、すまない」
「謝らないでよ。もし俺のホントの素性を誰にも知られず死ぬことになったら、やっぱり悲しいと思う。だから、いいんだよ」
「──そうか。なら、少し得をしたかもしれん。雛斗の素性を知る人間になれた」
愛紗がホッとしたような表情をして微笑んだ。
やっぱりその表情にどぎまぎする。
「わかってると思うけど」
「他の皆には他言無用、か?」
こくり、と頷いた。
それに愛紗はちょっとため息をついた。
「雛斗がそう言うなら言わないでおこう。無理はしないでくれ、雛斗。仕事なら私も一緒にやる。最近のご主人様と桃香様は私が見ていなくてもよくやってくださる。私にも余裕はできた」
「でも」
「やらせてくれ。雛斗の疲れた顔──も、またどきっとするが」
それは言わないでいいと思う。
「だが、いつまでも疲れた顔を見ていたくない。だから」
「──あとで桃香様と一刀様のとこに行こ」
また桃饅頭を一つ摘まんだ。
「え」
「…………」
愛紗から顔をそらして桃饅頭を口に放りこんだ。
「──ありがとう」
愛紗が優しい微笑みを浮かべた。
「お礼を言うのはこっちの方だよ」
ぼそり、と言ったけど愛紗には聞こえていたらしく満足げに桃饅頭を一つ食べた。




