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私はおかしいのだろうか?毎日たくさんの人々が見舞い、父の傍らで泣き崩れる度に、自分が理解出来なくなった。
私はなんて冷たい人間なんだろう。
日に日に、点滴等で浮腫み、呼吸器でゼーゼーと息をさせられている父を見つめながら、私は何度、その呼吸器を取り払ってしまおうかと思った。こんな風に無理矢理生かされている父を、これ以上見ていたくなかった。そんな思いと同時に、どうせ死ぬならさっさと死んでくれたらいいのに、とも思っていた。
決して父を憎んだり嫌っていたわけではない。私にとって父は良き飲み友達であり、なんでも話せて、本音で語り合える、大切な人だった。
父の意識が失くなってから三日程経った頃だったか。母が病室を離れた隙に祖父母を含め親戚達が通夜や葬儀の段取り会議を始めた。しかも父を、父のベッドを取り囲んで、だ。
さっきまで客人達の前で、わぁわぁ泣いていたくせに、なんたる切り替え様か。
なんともいえない、酷で人間らしい光景だった。妹の
「お父さんはまだ生きているのに、おじいちゃんたちはなんでお葬式の話をしているの?」
という言葉が、すごく痛かった。それなのに私は
「お父さんはもうすぐ死ぬからだよ。」
と妹に話した。
あと何日だろう。
そんな思いの中、長女である私は自宅に戻り、祖父達に言われるがまま、通夜の準備に取り掛かった。なんとも不思議な感覚だった。
年末だった事も伴い、まるで正月に向けて大掃除でもしているかの様だった。
田舎のしきたりは本当に細かくややこしい上に、祖母が寺出身の為、益々難しかった。
普段使う事のない座敷には父のゴルフセットや、幾つもの季節外れのスーツ、パソコンなどが置きっぱなしで、それらを隠すかの様に片付けてゆく度、父のカケラが散ってゆく様に思えた。
いつの間にか、伯父が取り寄せた仏壇が組み立てられていた。
異常に美しかった。
この三日後、父の骨がメインのごとく並べられる事になる。
この装飾品達は、何物か。蓮の華、しかも造花が何の役に立つというのだ。
私の頭は、まだまだ疑問詞ばかりだった。
ただクルクルと廻る水色の綺麗な灯を眺めていた。