14 さようならおやすみなさい
*********************************************
門番は先程の男と入れ替わっている。交替したのだろう。
前を通り過ぎる。だが視線が追ってくる気配はしない。
(とんだ木偶だ)
影虎は帯に潜めた太針を、肩越しに男に投げつけた。
身を翻し、片手で男の口を塞ぐ。男の胸元に刺さった針を、もう片方の手で深く押し込んだ。
男の懐を探り、財布と門扉の鍵を取り出す。鍵を開け、門の内に男の身体を引きずり込んだ。
刺さった針を抜き、帯に戻す。代わりに取り出した小刀で、傷の上から男の身体を斬りつけた。針の痕跡を消す為だ。一強盗は針を用いはしないだろう。
(さて、と)
屋内の詰め所は東。
座敷牢は北。
吉江の部屋は西。
(どっから行くかね)
詰め所内には三人。
座敷牢の前に一人。
吉江の部屋の前には一人。
東・北・西と周るのが一番打倒か。いや、東の詰め所には警備が三人。流石に全員を無音の内に手にかけるのは難しい。
大声を出されてしまえば、他の警備にも知れてしまう。知れて、外へ逃げられると困った事になる。
(だったら、西側から行くか)
吉江の部屋の警備を先に始末し、牢へ、詰め所へ行き、最後に吉江の元へ。
(……よし)
影虎は小刀の鞘を払った。鞘を帯に差し、玄関前で事切れている男の身体を跨ぐ。足音を潜め西へ向かった。
部屋の前の男が、驚愕に目を見開く。声をあげられる前に一気に距離を詰めた。
吉江に気付かれる訳にはいかない。男の口に、先程奪った財布を詰め、手で押さえ込む。小刀を心臓へと埋め込んだ。
男の身体が傾ぐ。倒れぬように支え、床に転がす。
口中と懐から財布を取り出し、自らの懐に仕舞った。
小刀に着いた血を袖で拭い、北の牢へ向かう。
男の目が影虎の姿を知覚した。口が開く。
(間に合わない)
影虎は小刀を投げた。胸に刺さる。
「……侵入者だ!」
抜いた。男は事切れる。
詰め所の空気がざわめくのを感じた。
「くそ……。根性は褒めてやるよ」
懐から牢の鍵を取り出し、襖を開く。
声音を変えて声を荒げた。
「壱班のガサ入れだ! てめえら逃げろ!」
鍵を牢の内に放り投げる。須桜が頷いた。
詰め所の襖が開かれる。一人は北へ、残りは玄関口へと向かった。
(任せたぜ須桜)
影虎は二人の男の背を追った。
*********************************************
「え、え……どうしよう……どうしよう……!」
「大丈夫、落ち着いて」
震えながらあちこちに動き回る琴に柔らかな声音を投げかけ、須桜は鍵を拾った。木格子の隙間から手を伸ばし、鍵を開けた。
「今なら逃げれる。行きましょう」
じっと座ったままの桐子に手を伸ばす。
「……私は、良いよ」
「でも……!」
「旦那は、家族みたいなものだから」
桐子はにこりと笑った。初めて見る、表情らしい表情だった。
「……家族とは性交しないでしょう?」
「うん。だから『みたいな』」
足音がこちらに近づいてくる。
「ろくでもない人って分かってて、それでも、私は伸ばされたあの手を取った。手を取るって決めたのは私」
だから、と桐子は微笑む。
「ここにいる。一緒にいて、壱班の盾になってあげる」
「……分かった」
桐子の瞳には決意が見えた。何を言ってもきっと無駄だ。
桐子さん、と頼りない声で呼ぶ琴の腕を引く。
逡巡の末、琴は桐子にぺこりと頭を下げ、須桜に従った。
男がこちらに走り寄ってくる。須桜の背を琴はぎゅっと握った。
「ごめん離して。目を閉じてて」
黒器の使用はできない。琴にばれるわけにはいかない。
須桜は髪の結紐を解いた。
「逃がさねえからな! お、お前らだけ逃がすとか、絶対、逃がさねえからな!」
男は泡を飛ばしながらこちらに手を伸ばす。
「もらった!」
「あげないわよ」
男の足を払う。均衡を崩した男の背に回り、首に結紐を絡めた。
「あたしはあの子のものだもの。身も心も、命も魂も、全部全部ね」
男を背負うようにして紐を引き絞る。男は紐から逃れようともがく。
やがて、男は動かなくなった。
呆然としている琴の手を引き、玄関へと向かう。
だがその前に一つ、しておかなくてはいけない。
(影虎はどこ)
須桜は指笛を鳴らした。名を呼びたいが呼べない。
どん、と床を踏み鳴らす音がした。
西だ。
「ちょっと待ってて。すぐ戻る」
力づけるようにぐっと肩に手をやり、琴の目を覗き込む。
揺れていた視線が須桜に定まった。すぐに戻る、ともう一度繰り返す。琴はこくりと頷いた。
西へと駆ける。
吉江の部屋の前に影虎は立っていた。
「吉江の殺害は不可。吉江の生存を望んでいる子がいる。吉江の庇護を求めている子がいる。由月様からの指令は組織の壊滅・少女の保護。吉江が死ねばその子の保護は不可能。指令に背く事になる」
早口に述べる。小刀の血を拭い、影虎は頷いた。
「生かしたまま、かつ、今後こんな事しねえようにさせるってこったな」
「お願い」
「任せろ。得意分野だ」
影虎と軽く拳を合わせ、須桜は琴の元へと舞い戻った。
琴はしゃくりをあげながら泣いていた。頬を涙がつたう。
「お父さん……お母さん……」
「大丈夫。帰れるわ」
琴の手を力強く握り、須桜は玄関を目指した。
*********************************************
生かしながらも殺す、となると、顔を覚えられるわけにはいかない。
影虎は眼帯と覆面で素顔を隠し、吉江の部屋の襖を開けた。
「な、何だ。いったいどうしたんだ? 壱班だと?」
慌てふためく吉江が、影虎の姿を見てぎょっと目を瞠る。
「何だお前は、何者だ」
「それは内緒」
声音を変じ、口の前で人差指を立ててみせる。
「こ、殺したのか」
右手の小刀からは血が滴っている。
「私も殺すのか」
吉江は後ずさる。足がもつれて転んだ。
「ま、待て。何が目的だ。金か? 金ならいっぱい有るぞ」
「別に金は欲しくねえなあ。有っても困らんけどさ」
「じゃあ何だ。何が欲しい。私なら、私なら何でも与えてやれる。何が欲しいんだ?」
「絶対の支配者」
は、と吉江は大口を開く。
そして笑った。
「……は、はは……っ。な、何だそんなものか。なら、私の所に来ると良い。何でも与えてやれる。何一つ不自由はさせない」
「残念。あんたじゃ役者不足だ」
吉江の前にしゃがみ込み、にこりと笑う。
「さてここに一本の針が有ります」
影虎は帯に潜めた細い針を取り出し、吉江の眼前で振ってみせた。
「俺はいったいこれをどうするでしょうか? 一、目に刺しちゃう。二、指先の爪と肉の間に刺しちゃう。三、先っちょに刺しちゃう」
どれでしょう? と首を傾げる。
吉江は息を呑み後ずさる。それを追う。壁に当たり、逃げ場が無いと悟ると吉江は手で影虎を制した。
「待て。ま、待ってくれ、頼む。私がいったい何をした? 何故、何故こんな事を……」
「それも内緒」
伸ばされた吉江の指を掴んで曲げた。吉江が叫ぶ。割れた悲鳴がうるさい。掌で口を覆った。
が、痛みに垂れた涎に手を汚され、影虎は眉を潜める。すぐに手を除け、吉江の着物で掌を拭った。
「あ、ああ、あ、助けてくれ、助けてくれ、何でもする」
「何でも?」
「ああ、何でもしてやる。だから頼む」
「ちなみに俺嘘つきは嫌いだから」
影虎は針を吉江の唇に刺した。
「逆らったら飲ましちゃうぜ?」
吉江は口を押さえ、小刻みに何度も頷いた。針を帯に戻し、脂汗の浮いた吉江の頭を撫でてやる。
「良い子でしゅねー。じゃ、俺からの命令は二つ。一、今日の事は他言しない事。二、牢の少女の庇護は続ける事」
「た、た、他言」
「そ。誰にもなーんにも言わない事。何も、だぜ?」
壊れた傀儡のように、吉江は何度も何度も頷いた。
「もし破っちゃったりした時はさ、……そうなあ……」
影虎は小刀を吉江の首に突きつけた。
吉江の視線が刃を追った。刃先が皮膚に食い込む。
「……死んだ方がマシなんて、思いたくねえよな?」
笑いながら、刃に着いた血を吉江の頬で殊更にゆっくりと拭う。
荒い呼吸を繰り返していた吉江の体が、ふいに弛緩した。
股間が濡れている。
「んじゃ、そういう事なんで。朝までオヤスミナサイ」
小刀の柄で吉江の側頭部を打った。ぐるりと吉江の目が白目を向く。
どさりと倒れ伏した吉江の懐から財布を抜き出した。
これで自分の仕事は終わりだ。吉江の涎が付着した手をとりあえず洗いたい。
じわじわと畳を濡らす吉江の尿を見やり、影虎は踵を返した。
*********************************************




