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12 それではまた今晩に

*********************************************


 影虎は矢口の札を確認する。他の掃除夫の札を眺め、矢口の札を取った。

(青い札が出席って事か?)

 茶、青、赤の三種類の札から青の札を取り出し、それを一番上にして札をかけ直した。

 周囲の見よう見まねで道具を用意し、吉江邸へと向かう。

 常はかけぬ眼鏡の所為で、何だか眉間がむず痒い。ついでに言えばぴっちりと後ろに撫で付けた髪のおかげで、額を撫でる風が不思議な心地だ。

 別に姿を変じる必要は無いが、この後高確率で襲撃が予測されている屋敷に面から忍ぶのだ。素顔のままは流石に躊躇われる。

 門番が鋭い視線を寄こす。それに萎縮した風を装い、影虎は小刻みにお辞儀を繰り返した。

「すんません、俺、矢口さんの代わりのもんなんですが」

 ご丁寧に声まで変えておく。

「……矢口はどうした?」

「急病っす。あ、俺は影山政虎って言います」

 どうぞご贔屓に、と手を差し出す。だが門番は手を取らず、仏頂面のまま門を開けた。

「おや、こりゃあ失礼しました」

 差し出した手を気まずそうに振りながら、影虎は門を潜った。

 門番は特に怪しんでいない。名を名乗ったのが効いたか。

 門番が玄関口の警備と話している。玄関口に立った男が手招きをした。

 それに会釈を返し、影虎は押し車を押してそちらに向かった。

 警備の男に見守られながら、影虎は中に足を踏み入れる。

「いやあ、何か緊張しますねえ」

 きょろきょろと辺りを見渡す。

「何でだ?」

「やっぱ初めてのお屋敷ですしねえ。それにこんなでっかい所は今まで勤めてきて初めてなもんで。警備の方に見守られながら掃除するのも初めてなもんで」

 慣れぬ素振りは緊張しているからだと言い訳をすると同時に、今までも仕事はこなしてきたのだと主張する。

「しかしほんと、でっかいお屋敷ですねえ。警備の方もこんなにいっぱい。吉江さんはおすごいんですねえ」

 警備が何か口を滑らさないかと軽口を叩く。

「黙って働け」

「おや、すんません。よく言われるんでさあ。お前は無駄口が多いってね」

 頭を掻き、影虎は口を噤んだ。

 はたきをかけながら、釘の甘い天井を探す。

 ぞうきんをかけながら、釘の甘い床板を探す。

 塵箱を清めながら、何かおかしな物が捨てられていないかを確認する。

(しかしさっすが俺)

 屋敷内は見取り図とほとんど相違ない。

「おい、お前ら捨てるもん無いか?」

 屋敷の東、襖を開くなり警備が声を張る。

 襖の奥には男が三人。

(ここが屋内の詰め所か)

 中にいた男が塵箱片手にこちらにやって来た。

「あれ、初めて見るな」

「あ、俺矢口さんの代わりでして。影山政虎って言います。多分次までには矢口さんの病気も治ってるだろうから、今日だけなんすけどよろしく」

 へらりと笑って手を差し出す。塵箱が渡された。

「いやあ、中々にお厳しい」

 笑いながら、塵箱の中身を押し車の中の袋に移動させた。

(玄関口に一人。ここに三人。あと何人だ?)

 詰め所の三人は、座卓の周囲に寝転び、各々に好きな時間を過ごしていた。これなら襲撃も容易い。

 警備に見張られながら、屋敷の北の奥に向かう。

 北の奥、襖の前には男がいた。これで五人目。

「見ない顔だな」

「ああ、俺矢口さんの代わりでして。影山政虎って言います。あっはは、この台詞もちょっと言い飽きましたねえ」

 襖に手をかけると、警備の男がそれを制した。

「おや、どうしたんですか?」

「……そこは、汚いからな」

「いやいや、汚い所を綺麗にするのが俺ら掃除夫のお仕事ですから」

 ご遠慮せず、と影虎は笑いながら襖を開ける。警備の男は慌てる。

「あら、女中さんですかい?」

「…………ああ」

 男の目が泳ぐ。嘘をつくならもっと堂々とつけば良いものを。

「ちわっす。俺矢口さんの代わりの影山政虎って言います。いやあ、今日だけってのが残念だなあ。せっかくこんなに綺麗なお女中さんがいる所なのに」

 牢の鍵はおそらくこの男が持っているのだろう。

 牢の鍵は簡単な作りだ。いざとなったら破壊して抜け出せるだろう。

 木格子の向こう、三人の少女がいた。一人はもちろん須桜だ。

 須桜は膝をかかえ俯いていた。膝で隠れて見えないが、おそらくは笑っている。似合わぬ眼鏡と髪形を笑っているのか。それとも変えた声音を笑っているのか。

「何か捨てるもん有りますか?」

 格子に手をかけて覗き込む。長い髪をした一番年長の少女は、無表情にこちらを見上げてきた。黒髪の少女は部屋の隅に座り込んだまま微動だにしない。

 二人とも特に健康状態に支障はなさそうだ。

「特に無いんでしたら俺はこれで」

 ちらりと須桜を窺う。須桜は影虎の背後の警備に視線を投げかけた。

 ふいに立ち上がると、その男目がけて須桜は何かを投げつけた。

 痛、と男は小さく呻く。その足元に、丸められた紙が転がった。

「死んじゃえ馬鹿」

 須桜は吐き捨てる。

 影虎はそれを拾い上げ、押し車の中の袋に投げ入れた。

「おや、痴情のもつれですか? ……っと、睨まないで下さいよ。また軽口が過ぎましたかね」

 ご勘弁を、と両手を挙げる。男は忌々しげに須桜を睨みつけた。ふんと鼻を鳴らして踵を返し、乱暴に襖を閉める。襖の前の警備が不審な顔をした。

「いやあ、別嬪さん揃いですね。俺もこんな所で働きてえや」

「うるせえぞ! 黙ってろ!」

「あいや、何べんもすんません」

 男は拳を固める。影虎は首を竦め、深くお辞儀をした。

「もう今日は良い。帰れ」

「いやあ、でもまだお部屋が残ってるんですが?」

 屋敷の西側の部屋を指差す。部屋の前には警備がいた。

「あそこは別に良いんだ! 良いから帰れ!」

「そんな怒らないで下さいよ。怖い怖い」

 となると、あの部屋は吉江の部屋か。

 男は顔を真っ赤にしている。鼻息荒く、影虎は玄関へと追い立てられた。

「……ねえ旦那ー。俺の家ね、両親が死んじまって、叔父と姉との三人暮らしなんすよ」

「……それが何だ」

「いやあ、まあつまり生活が苦しくってですねえ」

「強請ろうってのか?」

「……おや。強請られるような事情でもお有りで?」

 にやりと笑って見上げると、男はぐ、と言葉に詰まってあちらこちらに視線を彷徨わせた。

「何も強請ろうってわけじゃない。言ったでしょ? 俺もこんなところで働きてえやって。口きいてくれませんかね?」

 男の視線は定まらない。

「……俺じゃ、それは決められない。田中さんがいないと……」

「へえ。その田中さんってのは今どこに?」

「今日は、夜しかいない」

「なるほど」

 く、と影虎は喉の奥で笑った。


「……では、今日の晩にまた」



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