第17話 ──儚い余白、二人の街めぐり
王城の私室。
昨日までの騒動が嘘のように静かだ。
レオンが報告書をまとめている横で、ナタリーはもぞもぞとソファで寝返りをうった。
「……ねぇ、レオン。外、行ってきちゃダメ?」
「だぁめ。まだ記憶の混乱もあるんだし、護衛なしでの外出は禁止だって王様も――」
「じゃあ護衛つけるから! フィリア連れてくから!」
「フィリア? ……いや、あいつはお前が好きすぎて……いや違う、ああいうやつを同行させると余計ややこしい――」
ドアがノックもなしに開く。
「やあナタリー。脱走の相談なら乗るよ」
フィリアは涼しい顔で立っていた。
「脱走じゃないし! ちょっと散歩!」
「散歩ね。じゃあ私が護衛という名の相棒。ほらレオンくん、許可出して」
レオンは眉間を押さえた。
「……フィリア。お前、ナタリーには甘いよな絶対」
「私だって人並みに可愛い子には甘いさ。ロリコンの君とは違ってね」
「ふん、否定はしない。」
小さな掛け合いが室内に弾ける。
ナタリーはくすりと笑った。こういう、なんでもない時間が好きだ。
「レオン……お願い。部屋にこもってても気が変になりそうなの」
静かだが真剣な声。レオンは観念したように深く息を吐いた。
「……分かった。フィリア、全責任はお前が持て」
「もちろん。ナタリーひとり傷つけたら、私が私自身を呪うよ」
軽口を叩きながらも、その目は本気だった。
こうして、ナタリーの外出は許可された。
王城の町並み──儚い夢の散歩
城下町は、朝日で金色に光っていた。
パン屋の香り。子どもらの笑い声。市場を行き交う人々。
ナタリーに向けられる視線はあいかわらず優しい。まるで世界全体が彼女を祝福しているようだった。
「なんか……みんな優しすぎない?」
「ナタリーだもん。世界に愛される女だからね」
「え、そんな大げさな……」
ナタリーは照れたが、フィリアの視線は真っ直ぐだ。
普段はクールで軽い言動の多い彼女が、こうして素直に褒めるのは珍しい。
「ほら、寄り道しよう。あの店さ、前にナタリーが“好きな気がする”って言ってたお菓子あるよ」
「好きな“気がする”? 私そんなこと言った?」
「言ったよ。忘れてるだけ」
フィリアの言葉には何か含みがある。
だがナタリーは気づけない。
まだ“あの記憶”が蘇っていないから。
二人は店を巡り、笑い合い、道端でアイスを半分こした。
街を眺めるフィリアの横顔はどこか儚く、必死に幸せを噛みしめているようにも見えた。
「ナタリー。今が楽しい?」
「楽しいよ。すごく」
「なら……よかった」
その笑みは、まるで“これが最後”であることを知っているかのように寂しく見えた。
帰り道──薄い亀裂
日が傾き始めた頃、ふっと風が冷たくなる。
空気が歪むように揺れ、
路地の奥に黒い影が立った。
――ヴァネッサ。
まだ本格的な破綻は起きていない。
だが彼女の存在だけが、世界にかすかな“ノイズ”を生んでいた。
ナタリーは眉をひそめる。
「……誰、だろう。なんか……胸がざわつく……」
フィリアは咄嗟にナタリーの手を握り、前に出た。
「ナタリー、私の後ろに」
ヴァネッサはゆっくりと微笑む。
穏やかで、美しい笑み。
だが背後に、底なしの狂気が静かに渦巻いていた。
「ナタリー……もうすぐだよ」
その声を聞いた瞬間、ナタリーの胸がどくんと跳ねた。
微かな痛み。
喉の奥が焼けるような息苦しさ。
――記憶の破片が、ひとつ目を覚ます。
「わたし……知ってる……この声……」
ヴァネッサは消えるように姿を薄め、霧のように路地へ溶けていった。
フィリアはナタリーの肩を必死に支える。
「ナタリー! 大丈夫!? 意識飛ばさないで!」
ナタリーは震えながら、フィリアにしがみついた。
「……ごめん、なんか……見えた……でも……分かんない……」
「大丈夫。今は思い出さなくていい」
フィリアは震える手でナタリーの髪を撫でる。
「……この時間だけは、奪わせないから」
まるで、この散歩が“最後の穏やかな日”になると知っているかのように。




