第16話 儚き刻(とき)のプロムナード
ナタリーはベットから降り、フィリアの方を見た。
さきほど壁をぶち破って現れた侵入者とは思えないほど、彼女は静かで、淡々としていた。
「ねぇ……フィリアさんって、そんなに私のこと知ってるの?」
「知ってる。
……あなたが思ってるより、ずっと。」
その言葉にまた胸がざわめく。
レオンが口をはさむ。
「ナタリー閣下! この者を野放しにするなど危険すぎます!
そもそも私は閣下をひとりで歩かせるわけには──」
ナタリーはムッと頬をふくらませた。
「レオン、私にも散歩くらい自由があっていいと思わない?
ある日突然“閣下!”って言われても息が詰まるよ!」
「で、ですが……っ
ああ、しかし……その、私は……その……ナタリー閣下の、その……小柄なところが……」
「はいアウト。妙なこと言ったら拘束するからね。」
レオンは涙目でうなだれた。
「ぐぅ……フィリア殿……頼みますよ……閣下を……」
フィリアはレオンをまったく見ず、ひと言。
「問題ない。
あなたより、私はずっと彼女を見てきたから。」
レオンは何か言いかけたが、
フィリアの目に宿る“異様な深さ”に気圧され、口を閉じた。
ナタリーはそれに気づかず、ぱっと表情を明るくする。
「よし! じゃあ町を歩こう!
フィリア、案内してくれる?」
「……喜んで。」
《王城の街、ふたりで歩く》
城の大門を抜けると、
陽光に満ちた城下の街が広がっていた。
露店、噴水、石畳の通り。
色とりどりの花を売る店から、パンの香ばしい匂いが漂う。
ナタリーは目を輝かせた。
「わ……すごい!
こんなに賑やかなのに、私知らなかったんだ……」
フィリアは隣で無表情のまま、しかし声だけは柔らかくなる。
「あなたは“忙しすぎた”。
本来、こんな場所で笑っていていい人なのに。」
「え、えへ……なんか照れる……」
ナタリーは少し町を歩き、パン屋に立ち寄り、
焼きたての丸パンをひとつ買って囓る。
その姿を、フィリアは静かに見つめていた。
「……こんな顔、久しぶり。」
「え? どういう意味?」
「なんでもない。」
無表情なのに、ほんの少しだけ声が震えた。
ナタリーはパンを割り、フィリアに差し出した。
「はい、あーん」
「要らない。私は……」
「いいから! お礼!」
フィリアはしばらく見つめ、
諦めたように小さく口を開く。
ナタリーの指先に唇が触れた瞬間──
フィリアの肩が一瞬だけびく、と震えた。
「…………っ」
「どう? おいしい?」
「……ああ。
……ほんとうに……」
いつもより少しだけ、呼吸が早い。
ナタリーは首を傾げた。
ふたりはそのまま噴水の縁に腰掛け、
少しだけ、ゆっくりと時間が流れた。
人々のざわめき。
噴水の水音。
ナタリーの笑い声。
そしてフィリアが、はじめてわずかに表情を緩める瞬間。
「ねぇ、フィリア。
あなたが言ってた“友達”って……いつから?」
フィリアは一瞬言葉に詰まった。
見えない傷をそっと撫でるように。
「ずっと前。
……あなたが、忘れてしまうより前から。」
「私が……忘れた?」
「大丈夫。
思い出さなくていい。
今は……笑ってて。」
「……うん!」
ナタリーは無邪気に笑った。
その笑顔を見た瞬間、
フィリアの中で何かがひどく揺れた。
(……また……)
(……また、こうして……)
(……ほんの少しでいい……あと少しだけ……)
声にならない願いが胸の奥で軋む。
だがその微かな幸福は、あまりにも短い。
噴水の水が風に揺れる。
光が瞬き、空気がふっと冷たくなる。
まるで “嵐の前の静けさ” のように。
けれどこの瞬間だけは──
紛れもない“二人だけの午後”だった。




