第14話 ――愛されすぎた少女に下る“終焉の裁き
――世界が微笑む理由を知らぬまま、少女は祝賀の光に包まれる。**
***
翌朝。
ナタリーは、まだ夜の名残りを引きずる宮殿の廊下を、ルチアと肩を並べて歩いていた。
前夜の晩餐会で現れた謎の女――ヴァネッサ。
彼女が残した含みのある言葉は、ナタリーの胸に薄氷のようなざわめきを落としていた。
「ナタリー、やっぱり顔色悪いわよ?」
ルチアが心配そうに覗き込む。
「わ、私は平気。そんなに弱くないもの……ただ、なんだか……」
言葉がうまく続かない。
胸の奥で、冷たい何かが“うずく”のだ。
理由はわからない。
ただ、ヴァネッサの声を思い出すたび、どこか遠い場所で誰かが泣いているような、そんな気がした。
その違和感を背中に貼りつけたまま、ナタリーは本日の大広間へ向かう。
今日は**「世界調和記念式典」**と呼ばれる、彼女のための式典らしい。
扉が開いた瞬間――光の奔流が押し寄せた。
「ナタリー様!」「今日もお美しい!」「あなたのおかげで世界は安寧しています!」
眩しいほどの歓声。
拍手。
花弁が舞い、どの顔も彼女を見るだけで幸福に頬をゆるませる。
――どうして、みんなこんなに私のことを…。
胸の奥に、またひとつ小さな波紋が広がった。
「ナタリー、気にしないで。あなたはただ、あなたのままでいればいいのよ」
ルチアがそっと耳元で囁く。
その声音は優しい……だが、その優しさすら“当たり前すぎる”ことが気になった。
(私、何か大切なことを……忘れてる?)
その疑念が浮かびあがった瞬間――
「……あら、今日も随分と祝福されているのね。
さすが《世界の寵児》……ナタリー・フォン・クローヴァ。」
大広間の奥、黒いドレスをまとった女が姿を現した。
ヴァネッサ。
その姿は昨夜と同じ冷たい美。
だが今日は、その口元にわずかに嗤う影があった。
「あなた、昨日の……」
「ええ。覚えていてくれて光栄だわ。もっとも、あなたが“何を”覚えていないかのほうに興味があるけれど。」
ヴァネッサの目が、ナタリーの胸の奥――“記憶の空洞”へ吸い込まれるように射抜く。
「ナタリー、離れなさい!」
ルチアが前に出る。
「――愛される理由を、いずれ知ることになる。
そしてあなたは、その理由をきっと憎むわ。」
氷の針が心臓に触れたように、ナタリーは息を呑む。
「……どういう意味……?」
「いずれわかることよ。
ただ――」
ヴァネッサは微笑む。冷たく、美しく、底知れず。
「あなたが笑えば世界が笑い、泣けば世界が滅ぶ。
そんな仕組みの中で“自由”なんてあると思う?」
ナタリーは言葉を失った。
胸のざわつきが、痛みに変わる。
式典のざわめきの奥に、ヴァネッサはひとり立っていた。
その微笑みは氷の刃より冷たい。
ナタリーは息を呑むしかできなかった。
「あなたが笑えば世界が笑い、泣けば世界が滅ぶ。
そんな仕組みの中で“自由”なんてあると思う?」
胸が締め付けられる。
ナタリーは震える声で問い返そうとした。
「どういう……いみ……?」
その瞬間だった。
時間が、一拍だけ止まった。
歓声も、光も、拍手も。
すべてが薄膜に覆われたように鈍くなる。
ただ、ヴァネッサだけが動いた。
ゆっくりと。
優雅で、舞踏の一歩のように。
「――愛されるだけの少女。あなたは、世界の玩具よ。」
ヴァネッサの指先がナタリーの肩にそっと触れた。
その触れ方はあまりに優しく、抱擁の始まりのようで――
しかし次の瞬間、彼女の指先は冷たい光を帯びて変化した。
刃。
黒い、質量のない、虚無でできたような短い刃。
誰も気づかない。
ルチアでさえ、まだ振り向いていない。
ヴァネッサは囁くように言った。
「――さよなら、ナタリー。」
刃がナタリーの胸元へ、音もなく沈んだ。
「……あっ……?」
温かいものが服の内側で広がる。
息が漏れ、足がふらつく。
ルチアが振り向いたときには、すでに遅かった。
「ナタリー!? ナタリー!!」
悲鳴すら、世界には届かない。
祝福は続き、拍手は鳴り、笑顔は咲き誇る。
――世界は“ナタリーの死”を認識しない。
ナタリーの体を抱え、ルチアは絶叫する。
ただひとり、ヴァネッサだけが静かに背を向けた。
「世界はすぐに気づくわ。
彼女がいないという“欠損”が、どれほど致命的かを。」
音もなく歩き去りながら、ヴァネッサは振り返らずに告げる。
「さあ――終焉の続き、始めましょう。」
ナタリーの視界はぼやけ、光が滲む。
祝福の大広間が、遠ざかる。
(……どうして……私……)
胸の奥を、微かな声が震わせた。
誰かの声。
忘れたはずの声。
“――ナタリー、死なないで。”
その声を最後に、彼女の意識は闇へ沈んだ。




