第九話:森の奥と異様な気配
俺とエリスは、街を出て西の森へと向かう道を急いでいた。
ギルドを出た後、俺はまず宿屋に戻って必要な装備を整えた。と言っても、俺は戦闘職ではない。持っているのは付与術師のローブと、予備の魔力回復薬、そして何より、追放される際にカインたちから返してもらった自分の冒険者登録証だけだ。
エリスは、生まれ変わった剣を鞘に収め、その剣を何度も撫でながら、興奮を隠せない様子だった。
「ねぇ、アルスさん! あの剣、本当にすごいわ! 持つだけで、なんだか力が湧いてくるみたい!」
「ああ。だが、決して無理はするなよ。剣は直せても、君の命は直せないんだからな」
「分かってるわ! でも、無謀な依頼はもうしない。これからは、あなたに修理をお願いできるんだもの!」
無邪気に笑うエリスを見ていると、俺の心も少しだけ和らいだ。この少女は、カインたちのような傲慢さとは無縁で、ただひたすらに前向きで、素直だ。この街で、最初に心を許せる仲間ができたことが、何よりも嬉しかった。
一時間ほど歩くと、街道は途切れ、鬱蒼とした西の森の入り口にたどり着いた。
木々が密集し、昼間だというのに薄暗い。湿った土の匂いと、腐葉土の独特な匂いが鼻を突く。いかにも魔物が潜んでいそうな、不気味な雰囲気だ。
「ここからは注意深く行きましょう。ゴブリンシャーマンがいるとなると、罠を仕掛けている可能性があります」
「ええ! 私が前衛を務めるわ。アルスさんは私の後ろにいて」
エリスは剣を抜き、慎重に森の中へと足を踏み入れた。
生まれ変わった剣は、薄暗い森の中でも、わずかに白銀の光を放っている。その光が、まるで進むべき道を照らしてくれているようだった。
森の奥へ進むにつれて、ゴブリンたちの痕跡が目につき始めた。
折れた枝、奇妙なシンボルが描かれた石、そして、生臭い獣のような臭い。
エリスは、Eランク冒険者とは思えないほど勘が鋭い。彼女の視線は常に周囲を警戒しており、俺が指摘する前に、いくつかの簡単なトラップ――足元のワイヤーや、木に吊るされた岩など――を見抜いて避けていった。
「すごいな、エリス。君、戦闘経験は豊富なのか?」
「ふふん! この街の周りなんて、ゴブリンやコボルトの巣だもの! お金がなくてまともな依頼が受けられない分、自力で薬草を採ったり、素材を集めたりしてるから、その辺の経験値だけは無駄に高いのよ!」
謙遜ではなく、誇らしげにそう言うエリスに、俺は感心した。やはり彼女は才能を持っている。あとは、それを伸ばすための環境と、そして、良質な武具だけだ。その武具の面は、俺が補ってやれる。
さらに三十分ほど進んだ頃、エリスがピタリと足を止めた。
「静かだわ……。アルスさん、何か感じる?」
「ああ……」
静かすぎる。それまで聞こえていた虫の音や鳥のさえずりが、完全に消え失せていた。まるで、この空間だけが周囲の世界から切り離されたかのようだ。
そして、その静寂の中に、異質な音が混ざり始めた。
――トントン、トントン……。
不規則で、しかし一定のリズムを刻む、硬いものが地面を叩くような音。
「あの音……あそこよ!」
エリスは剣を構え、音のする方、森のさらに奥へと視線を向けた。
そこは、大きな岩がいくつも転がる、小さな窪地だった。窪地の真ん中に、朽ちた大木の根元があり、その周辺に十数匹のゴブリンが集まっているのが見えた。
そして、そのゴブリンたちの中心で、例の音が鳴っていた。
そこにいたのは、他のゴブリンよりも一回り大きな、ボロボロの毛皮を纏った異形の存在――ゴブリンシャーマンだった。
シャーマンは、背丈ほどの杖を地面に打ち付けながら、甲高い奇声を発している。その奇声に合わせて、周りのゴブリンたちは何か儀式のような踊りを踊り、やがて、その異様な光景は収まった。
「あれがゴブリンシャーマン……! 噂には聞いていたけど、想像以上に気持ち悪いわね」
エリスが小声で呟く。
シャーマンの周りにいるゴブリンはざっと見て十五匹。Eランクのソロ冒険者が挑むには、あまりにも多すぎる数だ。
「エリス、無理はするな。こちらから仕掛けずに、一度戻って増援を呼ぶという手も――」
「だめよ、アルスさん!」
俺の提案を、エリスは毅然とした口調で遮った。
「増援を呼んでいたら、シャーマンに逃げられるかもしれない。それに、逃げたらまた他の冒険者に先を越されちゃう! 大丈夫、私にはこの剣がある! それに、あなたもいるんでしょう?」
そう言って、エリスは振り返り、俺に力強い笑顔を向けた。
その顔には、先ほどのギルドで見せたような、迷いや不安の色は一切なかった。あるのは、獲物を前にした狩人のような、確かな自信だけだ。
「この剣は、あのゴブリンたちのボロボロの武器とは比べ物にならない。それに、シャーマンさえ倒せば、残りのゴブリンは統率を失って逃げ出すはず! 作戦はシンプルよ。一気にシャーマンを叩く!」
「……分かった。しかし、絶対に囲まれるな。俺は後方から、君の剣の付与が解けないよう、魔力を送ることに集中する」
「サンキュー、アルスさん!」
エリスは俺の言葉に力強く頷くと、低く身構えた。
そして次の瞬間、彼女はまるで弾丸のように飛び出した。
「突っ込むわよ! 覚悟しなさい、ゴブリンども!」
エリスの叫び声が、一瞬の静寂を打ち破った。
彼女が手に握る白銀の剣が、太陽の光をわずかに取り込み、淡く輝いている。
ゴブリンシャーマンが、異変に気づいたかのように、再び杖を地面に叩きつけ、甲高い奇声を上げた。
俺とエリスの、辺境の街での初めての共闘が、今、始まろうとしていた。
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