第七話:神業と勘違い
エリスから差し出された長剣は、俺が想像していた以上にひどい状態だった。
ずっしりと重い。それは質の良い鋼が使われている証拠ではなく、バランスが完全に崩れているからだ。刃は至る所で欠け、もはやノコギリと言った方がいいほどだった。刀身には無数の傷が刻まれ、柄に巻かれた革は擦り切れて、中の木材が覗いている。
長年、満足な手入れもされずに酷使され続けた武器の、悲しい末路だった。普通の鍛冶屋なら、問答無用で溶解炉に放り込むだろう。
「……ひどい剣だな」
「……っ! 分かってるわよ、そんなこと!」
俺が思わず漏らした言葉に、エリスは顔を真っ赤にして俯いた。彼女なりに、この剣に愛着があるのだろう。その気持ちは、痛いほど分かった。俺も、パーティを追放されるまでは、仲間たちの武具を我が子のように思っていたからだ。
「いや、悪い意味で言ったんじゃない。この剣は……君によく使ってもらえて、幸せだっただろうな、と思っただけだ」
「え……?」
エリスが驚いたように顔を上げる。
俺たちのやり取りを、近くのテーブルにいた冒険者たちが、ニヤニヤしながら見物していた。
「おいおい、あの兄ちゃん、気休めにしかならねぇのにマジになっちまって」
「付与術師なんて、そんなもんだろ。剣の汚れを落として、ちょっと切れ味を良くしたように見せかけるのが関の山さ」
「あの赤毛の嬢ちゃんも、藁にもすがる思いなんだろうが、可哀想にな」
聞こえてくる嘲笑に、エリスは再び悔しそうに唇を噛んだ。
だが、俺は気にしなかった。王都では、もっと直接的な罵声を三年も浴びせられ続けてきたのだ。これくらいの陰口、そよ風のようなものだ。
(さて、と……やるか)
俺は剣をテーブルの上にそっと置くと、両手をその刀身の上にかざした。
まずは、この物理的な損傷を完全に修復する必要がある。
俺は意識を集中させ、魔力を練り上げた。
「――《修復の付与》」
俺の手のひらから、いつもの淡い土気色の光が溢れ出し、ボロボロの剣を優しく包み込む。
すると、ギルドの喧騒が一瞬、水を打ったように静かになった。
俺の光を見た冒険者たちが、息を呑む気配がする。
光の中で、奇跡が起きていた。
ノコギリのようだった刃が、まるで溶けた金属のように滑らかにつながっていく。無数にあった傷は、水面に落ちたインクが消えるように、すぅっと消滅していく。擦り切れていた柄の革も、まるで時間を巻き戻したかのように、真新しい状態へと復元されていった。
ほんの十数秒。光が収まった時、テーブルの上にあったのは、先ほどの鉄屑同然の剣ではなかった。
まるで名工が打ち下ろしたばかりのような、完璧な一振りの長剣が、そこにあった。
「な……」
「おい、今の……見たか……?」
「傷が……刃こぼれが、全部消えやがった……」
周りの冒険者たちが、信じられないものを見たという顔でざわめき始める。
目の前で見ていたエリスは、言葉を失い、大きく見開いた瞳で剣と俺の顔を交互に見比べていた。
「ま、待って……これ、本当に私の剣……?」
「ああ。まだ終わりじゃない。次は、切れ味を良くする」
俺はエリスの驚きを意に介さず、再び剣に手をかざした。
次は、刃を鋭くするための付与だ。
「――《鋭化の付与》」
今度は、先ほどよりも少しだけ強い光が、剣を包み込んだ。
俺にとって、それはいつも通りの手順だった。傷を直し、切れ味を良くする。勇者パーティにいた頃、来る日も来る日も繰り返してきた作業だ。
しかし、俺のスキルは、ただの《付与魔法》ではない。世界で唯一のユニークスキル、【神々の祝福】だ。
そのことに、俺自身はまだ気づいていなかった。
光が剣の内部に浸透していく。
ただの鉄と炭素の化合物だった刀身の分子構造が、魔力によって再構築され、神聖な気を帯びた未知の合金へと変質していく。
光が最高潮に達した瞬間、剣の刀身に、まるで天上の星座を写し取ったかのような、微かで美しい紋様がうっすらと浮かび上がった。
やがて光が消え去った時、ギルド内は完全な沈黙に支配されていた。
誰もが、テーブルの上の剣に釘付けになっていた。
先ほどまでの、ただの「綺麗な剣」ではない。それは、魔力と神聖なオーラを内包し、自ら淡い白銀の光を放っているようにさえ見えた。まるで、物語に登場する伝説の聖剣のようだ。
「うそ……」
エリスが、か細い声で呟いた。
彼女は震える手で、恐る恐る自分の剣へと手を伸ばす。
そして、その柄を握った瞬間、彼女はハッと目を見開いた。
「か、軽い……! それに、なんだか力が湧いてくるような……!」
当然だ。俺の【神々の祝福】には、持ち主の身体能力をわずかに向上させる効果もある。これも、俺自身はまだ知らないことだったが。
「おい……あの輝き、ただの鋼じゃねぇぞ……」
「まさか……ミスリル鋼か? いや、それ以上の輝きだ……」
「あの兄ちゃん、一体何者なんだ……? ただの付与術師じゃねぇ……!」
冒険者たちの囁き声が、俺の耳にも届く。
どうやら、少しやりすぎてしまったらしい。俺としては、いつも通りにやっただけなのだが、この街では、これほど質の良い付与術師がいなかったということだろうか。
エリスは、生まれ変わった愛剣をうっとりと眺めていたが、やがて何かを確かめるように、近くにあった頑丈な木のテーブルの脚に、剣先をそっと当てた。
斬るつもりはなかったのだろう。ただ、その切れ味を確かめようとしただけのはずだ。
しかし。
ス……ッ。
まるで熱したナイフでバターを切るかのように、何の抵抗もなく、剣先がテーブルの脚に吸い込まれていった。
エリス自身が一番驚いていた。彼女が慌てて剣を引くと、そこにはまるで鏡面のように滑らかな切り口が残されていた。
「「「…………」」」
ギルド内の全員が、完全に沈黙した。
その静寂を破ったのは、エリスの甲高い叫び声だった。
「な、な、な、なんなのよこれぇぇぇぇぇっ!?」
彼女は自分の剣とテーブルの脚を交互に見比べ、パニックに陥っている。
俺は、やれやれと首を振りながら、平然と告げた。
「とりあえず、これでゴブリンくらいなら問題なく斬れるはずだ。気をつけて行ってくるといい」
俺のあまりにものんびりとした口調に、エリスはハッと我に返った。
そして、先ほどまでの警戒心に満ちた態度から百八十度変わり、尊敬と、わずかな畏怖の念が入り混じったような瞳で、俺の前に駆け寄ってきた。
「あ、あなた、一体何者なの!? これ、本当に私の剣なの!? というか、ごめんなさい! 私、あなたに無礼な口を……!」
俺は、慌てふためく彼女の様子に苦笑しながら、ゆっくりと立ち上がった。
どうやらこの街は、俺が思っていた以上に、俺の力を必要としてくれるのかもしれない。
追放されたしがない付与術師の、辺境の街での新しい生活は、こうして、少しばかり派手な形で幕を開けたのだった。
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