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第三話:王都の夜と神官の涙

酒場の扉が背後で閉まると、先ほどまでの喧騒が嘘のように遠ざかり、俺は王都の夜の静寂に一人取り残された。

 まだ宵の口だというのに、大通りから一本外れた裏路地はひどく薄暗い。冷たい夜風が頬を撫で、祝勝会で飲んだエールの酔いなど、一瞬で吹き飛んでしまった。


(用済み、か……)


 カインの吐き捨てた言葉が、頭の中で何度も反響する。

 三年間、俺はこのパーティのために全てを捧げてきたつもりだった。

 朝は誰よりも早く起きて、全員分の装備を入念に点検し、付与魔法をかけ直す。戦闘中は、片時も仲間から目を離さず、武具の消耗を瞬時に見抜いては修復と強化の魔法を飛ばし続けた。夜は、翌日の戦闘に備えて、傷んだ武具の完全修復に魔力を注ぎ込む。

 そんな毎日だった。

 自分の剣を振るう暇も、魔法の訓練をする時間も惜しんで、ただひたすらにパーティの土台を支え続けてきた。


 ゴードンの盾が、トロールの剛腕を受けて砕け散りそうになった時、咄嗟に《堅牢の付与》を三重がけして防いだことがあった。手柄は、怯んだトロールの首を刎ねたカインのものになった。

 リリアの杖が、高位魔術の連続使用で魔力過多を起こし、暴発しかけたことがあった。俺が《魔力循環の付与》で杖の魔力経路を安定させなければ、彼女自身が魔法に呑み込まれていただろう。その功績は、彼女が放った派手な魔法の威力によって、かき消された。


.

 俺の魔法は、地味だ。

 カインの聖剣のように輝きもしなければ、リリアの炎のように敵を焼き尽くすこともない。

 だが、その地味な光がなければ、彼らの派手な手柄など、決してありえなかったはずだ。

 その事実を、彼らは理解しようともしなかった。いや、あるいは、薄々気づいていたからこそ、俺の存在が疎ましかったのかもしれない。自分たちの輝きが、俺という地味な土台の上に成り立っているという事実から、目を背けたかったのだろう。


「……くだらない」


 誰に言うでもなく、乾いた声が漏れた。

 今さら何を考えても、もう遅い。俺は捨てられたのだ。使い古され、これ以上の価値がないと判断された道具のように。

 俺は当てもなく、石畳の上を歩き続けた。

 見慣れた王都の夜景が、今はまるで知らない街のように冷たく、よそよそしく感じられる。豪奢な貴族の屋敷も、活気あふれる商店街も、今の俺には何の意味もなさない。

 俺の居場所は、もうこの街のどこにもないのだ。


(これから、どうすればいい……)


 付与術師は、戦闘パーティに所属してこそ真価を発揮する職業だ。ソロで冒険者稼業を続けるのは難しい。かといって、今さら他のパーティに拾ってもらえるだろうか。『光の剣閃』をクビになった付与術師など、何か問題があったに違いないと敬遠されるのが関の山だろう。

 いっそ、冒険者を辞めてしまうか。どこか静かな田舎町で、鍛冶屋の手伝いでもしながら暮らすのもいいかもしれない。俺の《修復の付与》なら、農具の修理などで日銭くらいは稼げるだろう。

 そんな考えが頭をよぎった、その時だった。


「アルス!」


 背後から、息を切らした、聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、そこに立っていたのは神官のセナだった。肩で息をしながら、その美しい顔を悲痛に歪めている。


「……セナ。どうしてここに。祝勝会の途中だろう」

「そんなもの、どうでもいいです! あなたを一人で行かせるなんて、私……!」


 彼女は俺のそばまで駆け寄ると、目にいっぱいの涙を溜めて、深く頭を下げた。


「ごめんなさい……! 私、何も言えなかった。カインたちの決定を、止めることができなかった……。本当に、ごめんなさい……!」


 彼女の震える声が、俺の凍りついた心をわずかに溶かしていく。

 そうだ。彼女は悪くない。このパーティで、唯一俺を気遣ってくれたのはセナだけだった。彼女が板挟みになって苦しんでいたことくらい、俺にだって分かっている。


「顔を上げてくれ、セナ。君が謝ることじゃない」

「でも……!」

「これは、カインが決めたことだ。君一人が反対したところで、何も変わらなかったさ」


 俺は努めて穏やかな声で言った。

 セナはそれでも顔を上げず、ぽつり、ぽつりと嗚咽交じりに言葉を続けた。


「あなたの魔法は、地味なんかじゃありません……。誰よりも尊くて、温かい、光の魔法です。それなのに、みんなは……」

「……もういいんだ、セナ」


 俺は彼女の言葉を遮った。これ以上、彼女にそんな顔をさせたくなかった。


「君のその言葉だけで、俺は救われたよ。三年間、このパーティにいた意味があったと思える。……ありがとう」


 俺がそう言うと、セナはようやく顔を上げた。その頬を、大粒の涙が伝っていた。

 俺は懐からなけなしの綺麗なハンカチを取り出し、彼女の目元をそっと拭う。


「俺のことはもういい。君こそ、これから大丈夫なのか? 俺がいなくなれば、武具の消耗はこれまでとは比べ物にならなくなる。君の回復魔法の負担も、きっと増えるぞ」


 それは、ただの忠告のつもりだった。だが、セナはハッとしたように目を見開くと、力なく首を振った。


「分かりません……。正直、アルスがいないパーティで、これからどうやって戦っていけばいいのか……」

「……カインたちなら、何とかするだろうさ。新しい魔術師も入ったことだしな」


 口ではそう言いながら、俺には彼らの未来が、ぼんやりと見えているような気がした。

 祝福を失った武具は、驚くほど脆い。それを、彼らはすぐにでも思い知ることになるだろう。


 しばしの沈黙が、俺たちの間に流れた。

 やがて、俺は意を決して口を開いた。


「セナ。俺は、この街を出ていこうと思う」

「えっ……!?」


 彼女が息を呑むのが分かった。


「もう、ここには俺の居場所はないからな。どこか、遠い街へ行くよ」

「そんな……! どこへ行くというのですか……?」

「さあな。まだ決めてない。風の吹くまま、気の向くままにさ」


 俺は無理に笑ってみせた。

 セナは何かを言いかけたが、やがて悲しげに瞳を伏せると、静かに頷いた。彼女も、それが俺にとって最善の道だと理解してくれたのだろう。


「……お元気で、アルス。あなたの旅路に、女神様の御加護がありますように」

「ああ。君も、達者でな」


 それが、俺たちの最後の会話だった。

 名残惜しそうに何度も振り返るセナの姿が見えなくなるまで、俺はその場で見送った。


 再び一人になった俺は、もう迷わなかった。

 絶望も、怒りも、今はもうない。ただ、空っぽになった心に、不思議なほどの静けさが満ちていた。

 俺は踵を返し、巨大な王都の正門へと向かって、ゆっくりと歩き出した。

 東の空が、わずかに白み始めていた。新しい、俺だけの朝が、もうすぐ始まろうとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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