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その探偵助手、黒幕につき  作者: 上山流季
第一話「故意に落とす魔法」
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1-4・助手への対価

 やがて明崎さんは帰還した。

 即座に席を立って近付こうとすると、彼女は「わ、わっ!」と慌てた様子で手をかざしながら後ずさった。

 動きを止め、一歩下がる。

「す、すみません、もう、大丈夫です」

 うろうろと目を泳がせながら明崎さん。

 本当に大丈夫なのだろうか? もしや、俺を警戒している?

「現場に向かう……んでしたね。ええと、ここからだと電車で二駅くらいの距離だったと思います。お会計をして、駅まで歩きましょうか」

「その必要はないよ」

 俺は明崎さんをエスコートするため右手を差し出した。

「会計は済ませてあるし、店の前にはタクシーを呼んである。行こう。現場が待ってるよ」

「えっ!? あ、え!?」

 明崎さんは俺を通り過ぎ、慌ててテーブルを調べた。注文票はすでになく、レジでは金髪の店員が親指を立てている。

「お、おいくらでしたか?」

 財布を出そうと、明崎さんが座席上の鞄に手を伸ばした。咄嗟に距離を詰め、手を重ねる。

「きゃっ!?」

「お金なんていいよ。俺は君の助手だから」

 身長差から、意図せず耳元で囁いた形となった。声量は抑えたつもりだったが、驚いた明崎さんは「うきゃあああ!」と叫んで俺の手を払った。

「近い! 近いです! 黒繰(くろくる)さん!」

 顔を耳まで真っ赤にして、俺をぐいぐい押しのける。どうやら怒らせてしまったらしい。押されるまま数歩後ろに下がると、明崎さんは俺から距離を取り、心臓を押さえながら荒く呼吸した。

「大丈夫?」

「だい、だ、大丈夫ではないです……」

 声が震えている。おそらく、さっきからずっと大丈夫じゃない状態だ。タクシーを呼んでおいてよかった。電車より幾分かリラックスできるだろう。

「タクシー代は、私が払うので……」

「必要ないよ。アプリ内決済だから」

 なぜか気まずそうに目を伏せる明崎さん。タクシーに関しては勝手に呼んだ俺が支払って当然だ。彼女は学生、俺は社会人。明崎さんの金銭的負担をより軽くすることも、俺の助手としての役割である。

「出口まで歩ける?」

 明崎さんに寄り添おうと一歩踏み出すと「ストップ!」と強い調子で止められる。

「大丈夫です、歩けます。ちょっと、心臓がもたないので距離を取ってもらっていいですか?」

 意図がうまく掴めず「はあ」と曖昧に返す。

「タクシーも、隣に来られると困ります。黒繰さんは助手席にお願いします。ちょっと、クールダウンの時間をください」

 鞄を手に、よろよろと歩き出す。

 そんな明崎さんを完全スルーし、レジ前にいた店員が慌てて俺に駆け寄った。

「お兄さん! 押しが強すぎるです」

「え?」

「もうちょっと、こう、とにかくさっきのは強すぎです。あんな迫られたら彼女さんの心臓がもたないッス」

 喫茶店から出ていく明崎さんを目で追いながら「別に迫っているつもりはないんだけど」と弁明する。

「タクシーが待っているから行くね。コーヒー、ごちそうさま」

「待つです! さっきの調子を続けると流石にマズいとオレは思うんで! お兄さん!」

 無視して喫茶店を出る。タクシーの助手席に乗り込むと、運転手に出発を指示した。

「距離感に気を付けて! お兄さーーーん!」

 タクシーの背後、喫茶店の外で、先程の店員が俺に向かって手を振り続けていた。


 やがてタクシーは現場となったアパートの前に到着した。

 腕時計を確認すると、午後六時三十分。日は落ち、空の端から夜が街を覆い始める。

 横に長い長方形の建物だった。高さは約十二メートル、三階建て。平らな屋上にはフェンスが設けられている。各階に三部屋分ずつ、計九部屋分の扉が伺える。河渡の部屋が三階、管理人の部屋が一階にあるという話だったか。

 徒歩二分の距離に小さな公園が一つ、周辺はほぼ住宅地だ。帰宅時間帯のため、ちらほらと人通りがある。

 懐中電灯でも買ってくればよかった。屋上を見るのに、スマホのライト二台分では少々心もとない。

「あの……黒繰さん」

 振り返る。明崎さんは三歩後ろで申し訳なさそうに俯いていた。

「車内で考えていたことなんですけど、全部支払ってもらうと、困ります。気を遣ってしまいます」

「気を遣う必要はないよ。君は学生、俺は社会人だ。支払いは任せて」

「こ、困ります!」

 明崎さんが顔を上げる。怒っているような、焦っているような表情だ。

「そこまでの金銭的援助は求めてません! 私はただ、黒繰さんの負担にならない範囲で探偵のお手伝いをお願いしたいだけなんです。本当なら、私からお給料を出してもいいくらいなのに……」

 言わんとすることはわかる。が。

 俺は彼女に向き直る。

「負担には思ってないよ。給料も必要ない。俺はただ、君の力になりたいんだ」

「で、でもっ!」

 明崎さんは譲らない。

 ふむ……俺は考える。

 要するに、施されるばかりでは気分がよくないのだ。

 解決するには、俺から明崎さんに金以外の形での対価を要求しなければならない。助手としての見返り、メリットを。

 ……どうしよう、一つも思い浮かばない。

 そもそも、すでに手に入れている。明崎探偵の隣という、唯一無二の特等席を。

「君から俺に出せる、お金以外の対価ってなにかある?」

 自力で発想できないのだから仕方がない、なにか思いつくものがあるか、明崎さんに素直に聞いてみることにした。

 明崎さんは

「あるかないかで言えば……あります、けど……」

 と、言い淀むように両手を組んで俯いた。周囲が暗いため定かではないが、心なしか頬を赤く染め、恥ずかしそうに指をもじもじ動かしている。

「どんなこと?」

 膝を曲げ、目線の高さを合わせながら極力優しい声で尋ねた。

「その…………おか……し」

 聞き取ろうと耳をすませたところで、背後の気配に気が付いた。

「動くな! 両手を上げて女性から離れろ!」

 威圧を目的とした太い重低音。背後のアパートからだ。驚いて顔を上げる明崎さんを庇うように、声の主を振り返る。

 アパート横の階段、その出口から四十代前半ほどの男が猛然と駆けてきた。最低でも一八〇センチはある、がっしりと筋肉で覆われた肉体、くたびれたダークスーツ、よれたネクタイ、汚れた革靴。白髪交じりの黒髪を短く刈り込んだ強面(こわもて)系の顔立ち。

 威圧には慣れがある。反社会的勢力の人間か、あるいは、河渡の事件を追っている刑事だろう。おそらく後者、現場を調べ直していたに違いない。ピンチとチャンスは表裏一体。主導権を掴めるか?

「おい! アンタ! 彼女になに言わせようとした!」

 推定刑事は俺を鋭く睨み、無骨な人差し指を突き付けた。同時に、背後に隠れる明崎さんに「お嬢ちゃん、もう大丈夫。俺は警察官だ」と安心させるような強く優しい声色で告げる。

「アンタ、身分を証明するものは持ってるか? ここでなにしてた? あァ?」

 手のひらに拳を当て、バキバキと指を鳴らし始める。

 刑事は俺を不審者と勘違いしているらしい。明崎さんを怖がらせる真似はしていないはずだが……、いや、気付いていないだけなのか? 喫茶店員にも言われたではないか、押しが強すぎる、と。

 誤解だ、怖がらせる意図は欠片もない。むしろ真逆だ。

 あらゆる危険から明崎さんを守ること、それは助手としての役割のひとつなのだから。

 俺は努めて冷静に「どうやら、誤解があるようです」と答えた。

「ここで起きたコンクリブロック落下事件はご存知ですか?」

「! そいつァどういう意味だ! なにか知ってンのか!」

「俺たちはその事件の調査に来ました、探偵と、助手です」

「なァ!?」

 意外な答えだったようで、刑事は目を白黒させながら俺たち二人を見比べた。

「探偵時の経費について話し合っていたところです。すべてを俺が負担すると、明崎さんは不満なようで……そこで、金銭以外の形での対価について議論を」

「いや、その『金以外の対価』が問題なンだろうが! お前が! この嬢ちゃんに暗になにを求めてるかが問題だっつってンの!」

 ちょっとなにを言っているのかよくわからない。

 『金以外の対価』を俺自身まったく思いつかないからこそ、明崎さんに思いつくものはあるか尋ねている途中だったのだが。

 この男はなにが対価だと思っているんだ?

 刑事の扱いに困っていると、見かねた明崎さんが「あの!」と大きな声で言った。

「お、お菓子作り、です!」

「は……!?」

「お菓子作りが趣味、なんです! く、黒繰さんさえ良ければ、助手のお礼に、クッキーとか、マフィンとか……! そういう提案をしようと、ですね……!」

 相当な勇気を振り絞った告白らしく、明崎さんは顔を真っ赤に小さく震えていた。いじらしくって可愛らしい。なにがそんなに恥ずかしいのだろう。たかがお菓子作りだというのに。

 明崎さんに向け優しく微笑む。

「クッキー、焼いてくれるの?」

「も……もし、それでよければ」

「十分な対価だと思うよ」

 明崎さんは赤い顔のまま嬉しそうに笑う。

「で……では! 助手のお礼はお菓子ということで! 余裕があれば、紅茶もつけます……!」

 実にささやか。これが女子大生にできる精一杯の物質的なお返し。いいじゃないか、『ごんぎつね』みたいで。

「お……お菓子、作り……」

 刑事が口を半開きに呆然と呟く。あれだけ凄んで見せた覇気は欠片も残っていなかった。

「誤解は解けましたか、刑事さん? そういえば、もしかして俺に言うべきことがあるんじゃないでしょうか?」

「うッ!」

 刑事は心底嫌そうに顔をしかめたが、居住まいを正し、思いのほか素直に頭を下げた。

「……俺の勘違いだった。申し訳ない」

「次に、警察手帳を拝見できますか?」

「生き生きしてンなァオイ!」

 彼はスーツの内ポケットから黒皮の手帳を取り出し、姓名と所属がきちんと見えるように提示した。

 士道(しどう)あらた、警部補。

 己の非を認め、こうして謝罪ができる点は評価してやってもいい。

 あとは、吠える相手を間違えないことだ。

士道(しどう)さん、ですね。私は明崎(あきさき)(あかり)、一応、探偵です」

「助手の黒繰(くろくる)朔夜(さくや)です」

 ごく普通の自己紹介だったと思うのだが、士道は舌打ちして手帳をしまった。

黒繰(くろくる)、ね……」

 含みのある言い方に、俺は善意から「今のうちに尻尾を振っておいたほうがいいんじゃないですか?」と尋ねた。

「馬鹿野郎。俺ァ権力には屈しねェ」

「公権力側の人間からそのセリフを聞くのは久しぶりです」

「初めてじゃねェのかよ!」

 士道は腕を組み、明崎さんを見下ろした。

「嬢ちゃんも嬢ちゃんだ。黒繰の人間を探偵助手に、ねェ。ある意味では有用なンだろうが、探偵としての評判が落ちるぜ」

 明崎さんは目をぱちくりさせて俺と士道を交互に見た。

「どういう意味ですか?」

 背筋が凍り付いた。

 この女子大生、俺が黒繰の人間だときちんと理解しないまま助手にしていたのか。おかしいと思った。しかし合点がいった。だから彼女はこの俺、黒繰(くろくる)朔夜(さくや)に向かって金銭の心配をしたのだ。

「まさか、嬢ちゃん、なにも知らずに黒繰を助手にしたのか?」

 士道が焦ったように言った。

「不動産経営や都市開発を中心に金融・インフラ・観光にまで手を伸ばす金持ち一族――黒繰(くろくる)グループだよ」

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