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第1章:実験の失敗と転生の瞬間

 15世紀、トスカーナの片隅、薄暗い屋根裏部屋で、俺――レオナルド・ダ・ヴィンチは、またしても奇妙な実験に手を出していた。

 紙束、インク壺、鋸屑、金属片、鉱石の欠片……混沌を極める室内。外では雨が降り、時折閃く稲光が細い窓越しに俺を嘲笑しているようだ。

 テーブル上には木枠に歯車やレンズを組み込んだ得体の知れない装置が鎮座する。その中央に据えた特異な結晶「理性の水晶」は、先日変わり者の錬金術師から高価で譲り受けた代物で、これを使えば「人間の知性の極み」を覗ける……なんて夢想していたのだが。


 「さて、動くかな?」

 歯車を微妙にずらし、光を結晶に集中させる。外で雷が鳴れば、天の電気がこの導線(細い金線)を伝い、結晶が何かしら特別な反応をする、はずだった。

 実際、そんな壮大な理論はなく、ほぼ勘と勢いでやっている。だが俺は天才だ。天才は大抵どうにかする。


 雷鳴が近づくと、結晶が虹色に怪しく光り出し、歯車がカタカタ揺れる。

 「おいおい、何か起こりそうだな……」

 すると閃光が部屋を満たし、結晶の奥で影が踊ったように見える。

 嫌な予感がして制御ハンドルを回そうとした矢先、ドン!という衝撃音。俺は目がくらみ、耳鳴りがして、全身がふわっと宙に浮いたような感覚に襲われた。


 その瞬間、意識がプツリと途切れる。

 「おいおい……これで俺が死んだら、後世の者がきっと笑うぞ……」


 再び目を開けた時、俺は床に這いつくばっていた。

 しかし、その床は俺の工房のざらざらした板張りではなく、妙に滑らかで、埃一つ感じられぬ。清らかすぎる。貴族の宮殿か?いや、これほど均質な材質はそうそうお目にかかれない。

 首をもたげれば、白い壁、天井には揺らめかぬ眩い光……蝋燭も油灯も見当たらない。まるで太陽を閉じ込めたような光源。魔術か?錬金術師どころの話じゃないぞ。ここはどこの国だ?


 立ち上がる。身体が妙に軽い。俺は手を見下ろし……うわ!細く白い指先が目に入った。これは……貴族の令嬢の手か? こんな柔肌、俺のゴツい職人肌じゃあり得ん!

 慌てて壁に掛けられた鏡を見ると、そこには黒髪の娘が映っていた。長い髪、艶やかな肌、見たことのない布の衣装を纏い、目は若い娘の澄んだ瞳。どうやら俺は女になってしまったようだ。

 「はぁ!? なんだこりゃ……今度は俺が令嬢に化けたか? 新手の悪夢か?」


 周りを見回す。

 並んでいる陶器のような器がある。背後には水を溜める仕掛けが見える。これは……まさか、便壺か? しかし、どれも実用を越えて美術品のように整然と並び、奇妙な高さと形状を持っている。こんな豪華な「用足し場」など、俺は知らない。どこの王侯が作ったのか、無駄に洗練されすぎている。


 「これが貴族の秘かな嗜みか? 豪華すぎるだろ。用足しの場をこれほどまで神聖化するなんて……どんな変態趣味だ?」


 首をひねる間もなく、外から声が聞こえる。若者たちの声だ。女も男も入り混じり、俺には異国語に聞こえるが、なぜか意味が分かる。不思議だ……この身体に染み付いた言語感覚なのか?

 「カオリ、まだ来てないの?」

 「もうすぐ朝の集いが始まるよー」

 カオリ……俺のことか? どうやらこの身体には「カオリ」という名が付いているらしい。


 扉をそっと開けると、広い回廊がまばゆい光に包まれている。均質に平らな床、まっすぐな壁、左右対称の配置。アラゴン王国でもここまで整然とした建築は見たことない。

 通りすがる若者たちは皆、似たような衣装を纏い、手には光る小さな板を弄っている。あれは何だ、魔術の札でも仕込んであるのか? 皆が当然のようにしているから、これがこの世界の常識なのだろう。


 「これは異郷も異郷、どころか……俺がいた時代とまるで違う世界じゃないか?」

 ひそひそと独り言を呟くが、声は高く澄んでいて、まるで令嬢が噂を囁くよう。気味が悪い。


 遠くから「おーいカオリ、寝ぼけてるのか?」と声がかかる。俺は反射的に「あ、ああ……」と応じてしまうが、相手は不審がらない。

 どうやら、俺はこの謎の学び舎か何かの一員であり、この日常に溶け込んだ存在として扱われている。

 「つまり、この身体の元の持ち主はここで普通に暮らしていたわけか……。」


 ぐるりと見回すと、若者たちは全員同じような布服を着ている。上半身は白い布、下半身は短めの脚布、襟元に奇妙な形状の布がついている(これがどんな役割かは不明)。この統一された服装は、まるでどこかの宗派が修道士や修道女を大量育成しているような光景だ。

 「なるほど、ここは巨大な修道院……いや、それにしては男女混合か。何だこの乱れた秩序は!」

 シュールだ。教会ならまだしも、この清潔さと整然さは、一体どんな概念で説明できる?


 とりあえず教室らしき部屋に入ってみると、そこには机が整列し、若者たちが腰掛けている。前には黒々とした大きな板があり、師匠らしき人物が白い小棒で記号を描いている。

 その記号は驚くほど複雑で、美しく理に適いそうな気配がする。

 「おいおい、あんな奇妙な記号を理解しているのか、ここの住人は。」

 周りは平然としてる。俺が苦心して考えた幾何学や建築理論など、ここでは子供の練習帳程度なのかもしれない。


 隣の席の少女が、俺を覗き込む。「カオリ、今日ぼんやりしてるわね、大丈夫?」

 「え、ああ……今朝は少し頭が重くてな……」

 口を衝いて出た言葉も、この異国言語として自然に通じたらしい。相手は怪しまない。

 むしろ、彼女は「また夜更かしした?」と笑っている。

 夜更かし? この世界の娘は、夜な夜な発明でもしているのか? こりゃまた理解が追いつかん。


 授業が進み、白い棒で黒板に記される記号はどんどん増える。俺はこっそり紙片を取り出して、手元の筆記具を試す。

 この筆記具、インク壺なしでスラスラ書けるじゃないか! 魔術か? 材質は何だ?

 紙も均一で、まるで布を極限まで平らに延ばしたかのような理想的質感。俺は小さく記す。


 「俺はレオナルド・ダ・ヴィンチだ。理性の水晶に手を出した結果、謎の世界に飛ばされたらしい。いまや『カオリ』という名の娘の身体で、この摩訶不思議な学び舎にいる。

 ここには蝋燭もなく、奇妙な光が天井から降り注ぎ、人々は薄い板を指で操り、わけのわからん文字を習得している。どこかで奇術師のいたずらでも見てる気分だが、誰も驚いていないから、これが日常なんだろう。」


 俺は笑うしかない。

 「まったく、貴族の宮殿かと思えば、さらに上を行く謎の整頓ぶり。用足し場すら美術品だぞ。なんだこの世界。」


 隣の席の少女が、また謎の板を指でなぞっている。光る板だ。中に小人でもいるのか? なぜ文字が浮かぶ? その文字も、この世界固有の記号のようだが、なぜか俺の頭に意味が浮かぶ。

 「魔法か? いや、そんなもの信じちゃならんが、どう説明すりゃいいんだ……」


 時が過ぎ、妙な音が天井から響く。鐘よりも澄んだ、規則正しい旋律だ。

 すると、生徒たちは席を立ったり、別の教室へ移動したりする。授業が切り替わる合図らしい。

 皆、なんの疑問もなく動いている。この巨大な建築物は、教育に特化した施設か? 数えきれぬ若者が集まり、同じ布服をまとい、先進的な記号や道具を当然のように使っている。

 もう笑うしかない。


 「はぁ……どうするかね。」

 とりあえず、動揺しているばかりでは埒が明かない。この世界の理を知るには、観察と適応が必要だ。

 俺は天才だ。どんな奇妙な環境でもその仕組みを解明し、活用できるはず。それに、ここには面白い道具が溢れている。光る板や摩訶不思議な建築素材、揺らめかない光源。

 もし原理がわかれば、あの頃やりたくてできなかった発明がいくらでも実現できそうだ。


 「元の時代へ戻る手段を探すにしても、まずはここの常識を知る必要があるだろう。カオリとして過ごせば、この世界の教育や習慣が自然と身につくのかもしれない。」

 シュールな状況だが、これが現実ならば従うしかない。


 昼になれば、彼らは何を食うのか? 水はどうやって出すのか? 用足し場から戻るとき、あの陶器はどうやって清めるのか? 気になることが多すぎる。

 周囲の若者たちを観察すれば、皆同じような平板な靴を履き、同じような髪型を整え、手にはあの光る板。時折、笑い声が上がる。

 彼らは自分たちを特別な集団と考えていないようで、これが日常らしい。

 俺は15世紀の基準から見てとんでもない未来世界にでも飛ばされたのか? それとも別の星か何かか?

 考えれば考えるほど可笑しくなる。シュールだ。


 「おい、カオリ!」と一人の男子が近づく。

 彼は背が高く、端正な顔立ちだが、みな同じ服装だから身分差がわからない。貴族なのか平民なのか? 声色や態度からは貴賤の区別が感じられない。

 「さっきの授業、わかったか? 難しい方程……なんちゃらって奴」

 方程? なんだそれは。

 俺は「少し混乱している」と正直に言うと、彼は笑って「珍しいな、カオリが分からないなんて。昨日までは普通に解いてたじゃないか」と言う。

 どうやらカオリは賢い娘だったのか。俺がレオナルドとしての天才性を持ち込んだのではなく、このカオリ本人も、ここでは一般的な知識を有していたらしい。


 シュールだ。俺より進んだ知識を当たり前に扱う若者たち。

 「すごい……」と思わず呟くと、彼は「どうした、変なカオリだな」と首をひねる。

 そこで俺は少し笑ってごまかすしかない。


 席へ戻り、もう一度周囲を見渡す。

 窓から光が差し込むが、その窓ガラスは歪みがまったくない。透明度が高すぎる! どれだけ優れたガラス工房でも、あれほど歪みのないガラスは作れない。

 「おいおい、これは何百年先の工芸技術なんだ?」

 この世界が俺の時代の何倍も先に進んでいると考えるのが妥当か。


 ならば、ここで学べる知識は無尽蔵にあるだろう。俺が元の世界に戻れれば、得た知識を用いて空を飛ぶ機械を完成できるし、水車から電気なるものも生み出せるかもしれない。

 どれだけ壮大な発想が可能になるか想像すると笑いがこみ上げる。

 普通なら恐怖で泣き出す場面かもしれないが、俺はむしろ喜んでしまう。シュールすぎる現実は、逆に芸術的刺激にもなる。


 「まあ、なんとかなるだろう。」

 紙に小さく記録を残す。「この世界の発明品を理解し、戻る手段を探るため、しばらくカオリとして行動する。奇妙な道具があれば、その仕組みを探ってやる。」

 そう決めると、少し気が楽になった。


 教師らしき人間が黒板の前で指し示す記号。生徒たちはさして驚かず、真面目にノートへ書き写している(この薄い紙冊子を彼らはノートと呼ぶようだ)。

 俺も真似てみると、線がまっすぐ引け、字が整然と書ける。インク汚れもない。

 「これは便利すぎる……。」


 時は淡々と流れ、再び謎の音が鳴る。今度は生徒たちが昼の食事とやらへ向かうらしい。

 ここはどれほどの規模の施設なのか? 食事を取る場があるのだろうか?

 「カオリ、今日はいっしょに食べに行く?」と隣の少女が声を掛けてくるので、「ああ、頼む」と返して立ち上がる。

 少女は笑顔で俺の腕を引く。

 「カオリ、今日はなんだか新鮮な感じがするよ」

 それはそうだろう。中身は15世紀の発明家が入ってるのだから。


 こうして俺は謎の昼食という儀式へ参加し、この世界の文化に触れることになる……が、その話は次の機会だ。


 ともかく、今はこの不可思議な学び舎と奇妙な道具に満ちた日常を受け入れるしかない。

 便所が芸術品レベル、光が空中に留まるような建築、皆同じ服装で、複雑な記号を当たり前に理解し、魔法板で情報を操る。

 どれをとってもシュールだが、そのシュールさがなんだか笑いを誘う。自分が15世紀出身だと告白したら彼らはどう反応するか? 想像するだけで頬がゆるむ。


 「よし、決めた。ここで学んで、観察して、いずれはこの世界を理解し尽くしてやろう。元の時代に戻る方法を見つけるか、このままここで発明家として生きるもよしだ。」


 こうして、理性の水晶の大失敗を経て、俺は未知の世界で女子高生カオリとして新たな朝を迎えることになった。

 騎士も芸術庇護者もいないが、なんかこう、ゆるゆるとした空気が流れている。その中に、計り知れない技術が潜んでいるとは、本当に世の中わからんものだ。

 この調子なら、案外、面白い人生が待っているかもしれない。

 何しろ、俺はレオナルド・ダ・ヴィンチだ。この程度のシュールさ、笑って受け止めてやるさ。

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