お誕生会の前に、学校祭のこと
ところで、実はこの間の学校祭で、僕らのクラスはメイド喫茶をやったんだ。こんなご時世に、よく出来たものだと思う。発案者は誰あろう、あのこで、ホームルームの時間にその開催を強硬に主張した。僕の悪友仲間の悪ガキ連中は(僕も含めて)大賛成だった。そして意外にも女子の八割が面白がって賛成していた。それに対して級長はかなり消極的だった。こんな提案が選ばれないようにと、風紀面や倫理面から何だかんだと理屈をこねる。ところがあのこから逆に散々やり込められた。ゴスロリファッションとメイド服を混同してはいけないとか、それはフレンチメイド型だから違うとか、専門用語を駆使してそのあたりの分野に疎い級長を追い詰める。最終的には級長が白旗を掲げ、多数決によってクラスの意思決定を図ることになり、この提案は圧倒的多数で可決された。ただ可決はされたけれど、メイド喫茶としての内容はかなり制約されるものになっていた。あのこは級長との丁々発止において、巧みに相手の無知からくる誤りを指摘しつつ自分達に有利になるよう話を誘導していった。ところが級長のスタンスは、お色気が良くないというものだった関係で、あのこは、本来のメイドとはイギリスのヴィクトリア朝の‥‥云々とやってしまったんだ。となると自然に話の流れは服装はもとより教室の内装・調度類に至るまで、そのヴィクトリアなんたらの雰囲気を出さなければいけない、というような方向に行ってしまった。それなら歴史・文化的な内容になるからという条件付きで級長は降伏文書にサインしたわけなんだけど(だから無条件降伏ではない)、これでは当初こうしようと企んでいたメイド喫茶、お色気要素たっぷりのメイド喫茶からは遠く離れてしまうということになる。だから結果としては、どっちが勝ったのかは分からないよね。実は大須のお店をイメージしていたらしいあのこは残念そうだったけど、策士策に溺れるとはこのことかもしれない。でも僕にとってはどっちだっていい。あのこならフレンチスタイルではないオーソドックスなメイド姿だって可愛いに決まっているんだから。
クラス内で決定はされたけど、学校当局からはかなりの批判があったらしい。僕らの担任は、お前らのやりたいようにやりゃぁええ、というタイプだったけど校長以下偉い先生方からの非難の嵐に直面し、自分だけでは対抗できないと考えたのか級長を引っ張り出すことにした。級長は、何で自分が行かねばならないのかと抵抗したんだけど、問答無用、適材適所だと無理やり教員会議に出席させられた。前にお話しした通り、級長自身は元々メイド喫茶には反対だった。しかし今度は、その反対意見に対してメイド喫茶の弁護をしなければならない立場になったわけだ。級長はこの重責を見事に果たした。この男はなかなか気骨があって、自分は賛成ではないが一旦議論を尽くした上で決定された学校祭のクラス出し物は何としても守らなければならない、と考えたようなんだ。級長は居並ぶ偉い様達を前にして熱弁をふるった。知識はあのことの論戦で十分蓄えてある。勝敗は明らかだった。
級長は当然の如く偉い先生軍団を粉砕し、僕らクラスの自治を守った、めでたしめでたし―――なんだけど、級長はその間の弁論で一つやらかしてしまった。何と、例のヴィクトリア朝云々の中で、その時代の雰囲気作りのために服装は勿論、内装、調度、装飾と並べていって、最後に思わず“音楽”という言葉まで付け加えてしまったんだ。この時、特に音楽好きの教頭先生がこの言葉に反応し、それならかなり真面目な出し物になるのでは、と態度を軟化させ、ここから事態は一気に好転したらしい。
教員会議が終わると担任の先生と級長は戻って来て結果報告をする。皆は級長に賞賛を送った。そしてその後内容報告に移ったんだけど、そこで服装、内装、調度などの他に問題となる音楽という言葉が出た。これに対して誰かが、有線とかCDとかユーチューブとかでやるの?と呑気なことを言う。そんなのが当時にあるかい、と一人が応じる。じゃあでっかいステレオでレコードかけようか、とやっぱり呑気なことを言う。そんなちょこっと昔にしただけじゃ駄目だろ、と呆れたように別の人がまた応じ、やっぱり楽器で生演奏だよな―――ではどうしたらよいか。僕らのクラスの先生は少し考えて、音楽室からピアノを持って来よう、体育会系の教員を何人か集めりゃあアップライトなら何とかなるだろう、その何たら朝の頃にあったかどうかは知らんが、あったことにしとこうか、どうせ誰も知らんさ、あと演奏者だが、とここで先生はいきなり僕を指さした、お前、よろしくな。
僕は息をのみ、僕がピアノをやっていることを知っている悪友たちはどっと沸いた。知らない級友たちは、どういうこと?という顔をして、実はかくかくしかじかで、と訳を聞くとこちらの方も遅まきながらどっと沸いた。級長やあのこも後者の方で、級長からはそいつは好都合だ、いい趣味をもっているんだねえ、頼んだよと声をかけられ、あのこからは、何よあんた、そんなこと黙ってるなんて、水くさいわねと言われ背中をパンパン叩かれた。水くさいは心外だったけど、あのこがそう思ってくれるということは大変良いことだ、と少し嬉しかった。
さて、ピアノ演奏を引き受けたのはいいけれど、何を弾いたらいいんだろう。先生から、選曲は任せたと言われ、はい分かりましたと即答したものの、心当たりは何もない。何百年か前のイギリスの貴族のお屋敷で流れててしっくりくるもの、バッハやベートーヴェンじゃあ何となく具合が悪そうだ。モーツァルトなら合うかも、でもイギリスの雰囲気は出せないか。うーん、でこういう時のお約束、困った時のお兄ちゃんだ。早速その日のうちにお兄ちゃんに相談した。始めに、学校でメイド喫茶をやることになったんだけど、と話を切り出して興味を引こうとした。ところがお兄ちゃんは、『ほうか、まあ何と、ガキの分際で』と特に食いつく様子もない。考えてみれば、お兄ちゃんは助平だけど言わば健全な助平だ。小学生のやるメイド喫茶なんて興味ないよね。だから今度はちゃんとはじめから話をして助力を乞うた。そうしたらお兄ちゃんは真面目に話を聞いてくれて、一緒に考えてくれた。でも直ぐに頭を上げて、『イギリスといやあパーセルだて。時代もバロックだでな、ヴィクトリア女王御治世の頃には大御所になっとったはずだわ。立派な貴族だったら自分の国の偉い作曲家の曲を愛好するに決まっとる。これにしとけ。確かピアノの小品集があったわ、俺の方で手配しとくでお前は練習の方をしっかりやっとけよ』と言ってくれた。パーセルの曲はメロディーがとてもきれいだと聞いている。きっとメイド喫茶の雰囲気にぴったりだろう。でも実際には聴いたことないし、況や弾いたことなんてない。難しいんじゃないか、大丈夫かなあ、と言うとお兄ちゃんは、『お前こないだモオツァルトの十一番のソナタ弾いとったやないか。しかも第三楽章だけじゃあれせんで全楽章通しで、なかなのもんだったぞ。腕上げたな。だで、大丈夫に決まっとるわ』あの時だ、家に誰もいないと思ってたのに、不覚だった。けれど、やっぱりお兄ちゃんに相談したのは正解だ。
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