転生の女神
三郎が気が付くと、彼は真っ白な空間にいた。
地面と空、光源と影がないのに、周囲を見渡ば、確かに自分はここにいる、と認識できる不思議な空間だ。
感覚的に上下左右前後も分かり、見えはしないが踏みしめる地面の感触と、平行感覚だってある。
頬をつねり痛覚を確かめた三郎は、盛大なため息をつき、諦観する。
間違いない、ここは転生前に幾度となく訪れた、いつもの場所であると。
現実を受け入れざるを得ない状況とはいえ、嫌なものは嫌である。
頭を抱えた三郎は、その場にうずくまった。
「ちょっとちょとぉ、どうしたのさぁ、三郎くぅん」
ビクリと体を震わせた三郎が、恐る恐る視線を上げると、そこには古代ローマ人が着ているキトン風の衣服を纏ったむさいオッサン――転生の神が小首を傾げて佇んでいた。
体にゆったりと生地を巻いたような服装は、無駄に露出度が高い。
服の構造上、広い襟ぐりからは筋肉質な胸元が、下半身は膝丈の巻きスカートのような作りなので、裾から覗くムキムキな脚が目について、本当の意味で目の毒である。
三郎に、むさいオッサンの肉体美を楽しむ趣味などないのだ。
この間延びした喋り方をする神様がすぐに姿を現さないのはいつものことだが、演出か何かのつもりだろうか?
いずれにせよ、人の思考を覗き見ることができるこいつが、自分の心境を分からないはずがないことに憤りを覚えた三郎は、勢い良く立ち上がり、彼を睨みつける。
「いちいち白々しいんだよあんたは! どうしたも何も、そんなこと分かりきったことだろーがよ!」
「いやいや、それは違うよ三郎くぅん。会話は大事だと思わないかい?」
猜疑心と敵意を孕んだ三郎の眼差しを小揺るぎもせず受け流し、ニタリと笑うこのオッサンは、つくづく掴みどころがなくて嫌になる。
「あんたいったい何なんだよ! 俺の苦しむ様を見て、何が楽しいんだよ! 俺の望みを分かっているくせに、あんたが提示した異世界、全部でたらめじゃねぇか!」
どうせ次の異世界生活も、碌なことにならないのだ。
ならば、せめてありったけの文句をぶつけてやろうと、三郎は自暴自棄になっていた。
「いやいや、それは違うよ三郎くぅん。前回の転生ではしっかり世界を救って活躍できたじゃないか? 人々から感謝されて、君の承認欲求は満たせたはずだろう? それ以前の転生だって君の行動次第では――」
「うるせえぇぇぇぇえぇぇ! 本当、あんたは白々しいな! 知ってんだろ? 俺はモテたいんだよおぉぉぉぉぉぉ!」
「いやいや、それは違うよ三郎くぅん。君には奥さんがいるじゃ――」
「うるせえぇぇぇぇえぇぇ!!!!」
もはや三郎は、バチクソうるせぇ声で『うるせぇ』と鳴くことしかできないボットと化していた。取り付く島なしである。
「仕方ないなぁ、傷心の君の元気がでるように、ちょっと一肌ぬぐとしようじゃないかぁ。大サービスだから刮目すると良いよ、三郎くぅん」
やれやれと肩を竦めた転生の神は、おもむろに目を閉じると、両の拳を握りしめ、腰の位置へと持ってゆく。
「はあぁぁぁぁー」
気合と共に淡い燐光が周囲に漂うその姿は、むさいオッサンとはいえ神々しい。
何をされるのかと身構えるものの、転生の神が言うように、三郎は目を離せないでいた。
次第に転生の神の体が輝き始め、バチバチと青白い電流を纏いだしたかと思えば次の瞬間――夜闇を照らす稲光のごとき光が放たれる。
「ぎゃあぁぁぁぁぁあ! 目が!……目がぁぁぁぁあっ!? 」
強烈な閃光を、正面からモロに浴びた三郎は、催涙スプレーを喰らった痴漢のごとく、地べたを転げ回る。
「電撃エクスチェーーンジ! ってね」
実は転生の神、本来は転生の女神であったのだが、三郎にいやらしい目で視られるのが嫌だったため、むさいオッサンの姿をとっていたのだ。他者の思考が読めるだけに、尚更である。
だが、三郎があまりに落ち込み心を閉ざしていたので、やむを得なく彼好みの美女の姿に戻ったというわけだ。
これなら少しは話を聞いてくれるだろうか?
「ねえねえ三郎くぅん、どうかなぁ? 僕の本当の、す・が・た♡」
照れつつもチラリと三郎を見やると、女神の思惑とは裏腹に、彼は地面を転げ回っている。
「…………」
これはウッカリしていたと、試しに三郎の心を覗いてみることにする。
『ぁぁぁぁあ、目が、目がぁぁぁぁあっ……がっガッ……ガガピィ〜!?』
「……はあ、やれやれだねぇ」
女神は、神の力で虚空から椅子を出現させると腰を掛け、三郎の回復を待つのであった。
◆
視力が回復した三郎は、瞼をゴシゴシと擦りながら首を傾げる。
目の前で足を組み頬杖をつく、むくれっ面の女性は何者なのか?
服装こそ同じだが、むさいオッサンとは似ても似つかない、ウェーブ掛かった金髪ロン毛の美女がそこにいる。裾の切れ目から覗く脚線美が眩しい。
「よっこら千利休」
聞き覚えのあるオヤジギャグを放ち、椅子から立ち上がった彼女の表情は、先程とは打って変わった晴れやかな笑顔へと変わっていた。
どうやら、心が読めるこの女神、いやらしい目で視られるのが嫌とか考えつつ、それはそれ。
姿を晒した以上、自慢の容姿を認められなければ不機嫌になるという、面倒くさい性格をしているようだ。
そして三郎は、状況とくだらないオヤジギャグから類推して、この美女が転生の神の正体なのでは? と思い至るも、確信が持てずにいた。
正直、めちゃくちゃ好みではあるが、何せ相手は性格の悪い神様である。神の力でオッサンが美女に化けた可能性だってあるわけだ。
仮にそうなら、いくら好みであろうと、興奮も半減どころか10分の1である。
だが、どうせこの思考も読まれているのだろう。
ならばこちらも白々しく様子見といこうじゃないか。訝しんでいるのは本当のことなのだから。
「何か言ったらどうなんだい? 三郎くぅん。君好みのナイスバディの美女だろぉ? 」
そう宣い、スカートを押さえるマリリン・モンローのようなポーズをとる女神。
実際に風をおこして、服をたなびかせているあたり、芸が細かい。
「いや、好みなのは認めますけど、あんた誰っすか?」
砕けてはいるが口調が丁寧語に変わっているあたり、三郎の敵愾心も多少は和らいだのかもしれない。
「やだなぁ、三郎くぅん。転生の神様もとい女神様だよぉ? 君が落ち込んでいるから恥ずかしいのを我慢して、本当の姿を見せてあげてるんだよぉ。元気出してもらいたくってさぁ、ほれほれぇ」
お次は両手を頭の後ろに添えて、身を捩りだす女神。セクシーポーズのつもりだろうか?
「信じると思うんすか? 羞恥心がまるで感じられねぇっす。大体があんた、思考が読めるんだったら、俺の考えも分かってるんじゃないっすか?」
「いやいや、それは違うよ三郎くぅん。確かに心を覗こうと思えば覗けるけど、その能力はオンオフができるのさぁ。常に心の声が聴こえたら大変だろう? 」
大嘘である。
確かに思考を読む能力のオンオフは嘘ではないが、三郎の一連の考えは全てお見通しなのであった。
「ようするに、君は僕の性別を疑っているんだろぉ? でもでもだってさぁ、君はスケベだから嫌じゃないかぁ。少しは体をジロジロ視られる女の子の気持ちを考えた方が良いと思うなぁ」
三郎を非難しつつも、女神はニコニコと笑顔を絶やさない。
そして、その飄々とした態度に若干の苛つきを覚えつつ、事実、三郎は彼女の乳、尻、太モモから目が離せないでいた。
会話の流れから、女神が嘘を吐いていることが読み取れるのに、そんなことはどうでもいい――と言わんばかりに目が充血している。流石の三郎である。
その様子にニタリと口角を歪ませた女神は話を切り出した。
「三郎くぅん。君はモテたいと言ったよねぇ? 良いと思うよぉ。大抵の人間が持つ欲望さぁ 」
その言い草に、三郎の苛つきが加速する。
「だったらなんで俺の異世界生活、全然モテねぇんすか! あんた調子の良いこと言ってたけど、詐欺みたいなもんじゃねぇっすか!! まずは謝罪するべきっすよ!!! 慰謝料っすよ!!!!
だから――パイ揉ませろやあぁぁぁぁぁあ!!!!!」
喋るごとに三郎の怒りと煩悩のボルテージが上昇してゆく。
そして――堰を切った濁流のような勢いで、獣は、麗しき女神に躍りかかった。
当然、そんなヘボい突進が女神に通用するわけもなく、彼女は闘牛士よろしく、ヒラリとエロの弾丸と化した三郎を避けると、すれ違いざまに彼の後頭部に平手打ちを叩き込む。
女神としては、お笑い芸人がボケに対してツッコミを入れるノリのつもりだったわけだが、加減を間違えたのか、勢い余った三郎は、見事なヘッドスライディングで、思いの外の距離を滑ってゆく。あらあら。
「駄目ですよ三郎くぅん。当店はお触り禁止ですよぉ? なんてねぇ」
うつ伏せの体勢から首だけを起こし、恨みがましい視線を向ける三郎に対し、女神は片目を瞑って誤魔化すのだった。