三郎くんの憂鬱2
さて、三郎の悩みの続きだが、異世界で好き放題やれると思い込んでいた人間が、夢の異世界で期待外れどころか辛い目に遭わされ続ければ、彼でなくても嫌になるだろう。
ましてや三郎の場合、期待が大きかった分、落胆の幅は大きく、その反動で現代日本に帰還した後も、そのショックが尾を引いていたのだ。
それは喩えるならば、夢に向かって一途に努力してきた者が、ある日、夢が叶わないと悟り、絶望する様に似た心境だろう。
尤も、三郎は特に努力したわけでもないので、比べるのもおこがましいが……。
2度目の転生では、深窓の令嬢の寝室に夜這いをかけ、ルパンダイブをかましたところ、その顔面を令嬢の父親にガッチリ捕まれ、そのまま吊り上げられ現代へ強制送還。
3度目も似たようなもので、馬車で護送される貴婦人を、襲撃しようとしたところ、三郎が潜んでいた藪の中に、同じく潜んでいた毒蛇に噛まれ、人知れず苦しみながら昇天。
転生の神に、世界を救えるレベルの強靭な肉体を与えられているはずなのに、納得いかなかったが、3度も似たような失敗が続けば、流石に三郎も学んだようだ。
異世界で好き勝手できる強さを与えるから、好きにするといい――と、調子の良いことを宣う転生の神は、とんでもない陰険詐欺野郎であると。
神の目的が何にせよ、4度目の転生で、そのことについて問い正したところ、相手が悪かった――などと、しらばっくれる始末。毒蛇は関係ないのでは?
やむを得なく白状した転生の神が言うには、一応、異世界を救うために遣わされた救世主――といった使命に則した加護を与えているため、使命を果たさぬうちから、そぐわない行動――スケベ心に基づいた煩悩を発揮すると、異世界の強制力に阻まれるのだとか……。
後出しルールもいいところである。悪徳商法か?
そもそもが1度目の転生で、エルフの姉ちゃんにイタズラしたいと願ったのに、エルフの姉ちゃんと出会ったことがないあたり、疑ってかかるべきだったと、今更ながらに思う三郎であった。
そして4度目の転生では、大国の王の頼みに素直に従い、人類を脅かす魔王軍を撃破。
そこまでの過程で、三郎を含めた男性2名、女性3名の、5人編成のパーティで旅をしたわけだが、道中、必死で煩悩を抑えて闘った三郎に、異世界の強制力は働かなかった。
心を無にして作業のように力を振るった三郎に敵はなく、こう言っては何だが、三郎以外のパーティメンバーは飾りのようなものであった。
だが三郎にとってそんなことはどうでもよく、大事の前の小事――使命を果たした三郎は、自分の活躍に惚れたであろう、パーティメンバーの女性陣にちょっかいを出そうと欲望を膨らませていた。
――だがしかし、無心で戦っていたため気付かなかったが、女性メンバーの3名はいずれも、もう1名の男性メンバーに惹かれており、国に凱旋する頃には、三郎がどうあがいても介入不可能な、小規模なハーレムが出来上がっていたのだ。
4度目の転生での三郎の死因はあろうことか、取るに足らないと思っていた優男に見せつけられた、イチャイチャハーレムによる憤死であった……。
◆
――現代日本、とある自動車整備会社にて。
三郎は勤め先の自動車整備工場の休憩所で、椅子に腰掛けスマホを眺めつつ、ため息をついた。生きていて全く楽しくないのだ。
因みに他の従業員は三郎と違って多忙であるため、休憩所は彼1人だ。
三郎が異世界転生する間隔は、不定期ではあるが、今までのパターンから逆算すると、次が間近まで迫っていると彼は感じていた。
異世界から帰還して、再び異世界転生するまでの期間が、過去最長に近づいているからだ。
サブスクサイトで、次に観る異世界アニメを吟味しつつ思う。以前のように作品にワクワクを感じないのは何故か。
この主人公共は、何でこんなに上手くいくのか? モテるのか?
俺は全然なのにどうして……。
自らが異世界を身を以て経験した影響だろう。三郎は異世界作品に、夢を持てなくなりつつあった。
それどころか、次はどのような異世界に送られるのだろうかと、気が休まらないのだ。
「こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのに」
スマホに映し出された、アニメのキービジュアル――やたら露出の高いヒロインが強調された画像に、一粒の雫が溢れ落ちる。
「あ〜疲れた〜」
センチになった三郎の情緒などお構いなしに、やかましく現れた人物は遅れて休憩しにきた同僚の包。
冷蔵庫からペットボトルを取り出し、「よっこら千利休」とか言って椅子に腰を下ろすと、『お〜いお茶』をガブ飲みし始める。
つまらねぇオヤジギャグかましてんじゃねーぞ? そこは「よっこらしょういち」だろうが、と内心突っ込みつつ、三郎は涙を悟られなかったことに安堵する。
三郎は包が苦手だった。
なぜなら他の従業員が三郎の嘘を信じるのに対し――否、実際は信じた体で接しているだけで、基本、包もそうなのだが、彼だけは稀にチクリと本音を刺してくることがあるからだ。
以前、今の自動車整備会社に、そこそこの年月務めたのに、前職の給料に達していないと不満を漏らした時に、『まずはコンスタントに出社してから文句言えば?』と、言われた時は車で轢いてやろうと思うくらい腹が立ったものだ。
思い出しただけでも気分が悪くなってくる。
気持ちが落ち込んでいる時に、更に嫌なことを思い出してしまったが、そんな三郎の気分など、どこ吹く風、包は「いただきマーメイド」とか言って、おやつの菓子パンを食べ始める。
マーメイドどこから来たんだよ、とイライラを募らせていると、今度は2名が休憩にやってくる。工場長と後輩の正英だ。
そう言えば以前転生した時は、こうして皆で休憩している時もあったと、憂鬱になりながら、思い思いに休憩する2人を眺め、煙草に火をつけると、不意に包に話掛けられる。
「三郎くん、休憩終わったら手伝って欲しいことがあるんだけど良い?」
「あ?」
ついやってしまった。
気が立っていたとはいえ、酷い返しをしてしまったことに後悔したが、もう遅い。
「“あ? ”って何? 嫌なら嫌、無理なら無理って言えば良いんじゃない? だいたいが三郎くんの休憩、長くない?」
その瞬間、三郎の中でブチンと何かが切れた。
「あぁぁぁあぁぁ! うぜぇ! あんた何なんだよ!!」
ヒステリックな叫びと共に、手にした煙草を包に投げつけると、空気が固まった。
空気が固まるとは比喩的なものではなく、投げた煙草が宙で静止していたのだ。
他の3人も、三郎が大声を出したのにも関わらず微動だにしない。
三郎の背中を嫌な汗が伝う。
このパターンには覚えがある。
異世界転生の前兆である。
思った通りだった。
ピシリと何かがひび割れた音が響いたかと思うと、包の体が脳天から股間にかけてゆっくりと割れてゆく。
「よっこら千利休」
寒いオヤジギャグと共に包の体を掴んだ手で押し退け、中から現れたのは、間違えようもない、転生の神だった。
「やぁやぁ三郎くん、おっ久〜☆」
そう言って、満面のエクスアームスマイルを決めるむさいオッサン。
「い、嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁ!!!!」
三郎の悲鳴が静止した休憩所にこだました。