VOICE.3 シスターの五日間 中編
2
被害者である丸井省吾は、足の骨折で入院している。翌日、わたしと吉田は、世良さんと助手の峰岸という二人の探偵を引き連れて、病室をたずねた。
「ずいぶん、大人数ですね」
丸井の年齢は二五歳だが、実年齢よりも落ち着いた印象がある。職業は、丸井流通の子会社の一つである『丸井テクニクス』という部品メーカーの部長職に就いているそうだ。
彼が丸井流通社長の子供だと知らなかったときには、若いのに優秀なのだと感想をもっていたが、事情を知ったいまとなっては、たんなる「七光り」と思ってしまう。
「右足を吊っています」
小声で、峰岸という助手さんが、世良さんに状況を説明していた。
わたしはその様子に疑問を感じたものの、聴取をはじめることにした。
「丸井さん、被疑者の女性は、あなたがストーカーだと主張しています」
「そんなことはありません。ぼくはその女性のことは知りませんでした」
これまでにもおこなわれているやりとりだった。丸井省吾は、イヤな顔をすることもなく応じている。うしろめたさがあるようにも感じない。
それだけで判断するのなら、彼のほうを信用してしまう。
「いいですか?」
世良さんが、声を挟んだ。
「あなたがストーカーでないのなら、怪我を負わせてしまった女性は、まちがえてしまったということになります」
「そうですね」
「でしたら、被害届をとりさげてもらえませんか?」
「……どうしてですか? まちがったからといって、ごめんですめば警察はいらないでしょう?」
いまのやりとりは、丸井省吾のほうが筋が通っている。それともわたしが警察官だから、そう思えてしまうのだろうか。
「あなたは、彼女の弁護士かなにかですか?」
「私は、姫木まなさんと結婚の約束しています」
わたしと吉田は、驚きに表情を固めた。
当の世良さんは、涼やかな顔をしたままだ
「あなたが……? だいぶ年齢がちがいますよね?」
心なしか、丸井省吾の機嫌が悪くなったような……。
「そうですか? いっしょにいると、年齢差は感じないですよ」
「……」
「お願いです。被害届をとりさげてください」
そこで、思わぬ方向から声が割って入った。
「それはできません。それに、被害届をさげたところで、傷害は親告罪ではありません。無罪放免になるわけではない。そうですよね、刑事さん?」
襟元に弁護士バッジをつけていた。
「困りますね、犯人の関係者をつれてくるなんて。今後は、警察の方といえど、私を通してからにしてください」
「被害者なのに、弁護士を?」
答えるのは、その弁護士でも丸井省吾でもよかった。おそらくこの人物が、丸井流通の顧問弁護士なのだ。
「いけませんか?」
そういって弁護士は名刺を差し出した。
「いえ」
「今日のところは、お帰りください」
とりつくしまもない。
「失礼しました」
わたしは名刺を受け取ると、早々に退散しようとしたが、世良さんは動こうとしなかった。
「こちらも、名刺だけ渡してもいいですか?」
空気を読まずに、そんなことを言い出した。
助手さんが、丸井省吾に差し出している。
「そこで探偵事務所をしています」
「秋葉原ですか……」
「そうです。ビルの二階です」
なんのつもりだろう?
「では、失礼します」
二人もようやく病室の外へ向かった。
一足早く出ていたわたしは、世良さんに真意を確かめた。
「なんですか、あれ?」
「まあ、自己紹介だよ」
「……」
意味不明だ。病院から退散したあと、世良さんの事務所に立ち寄った。
そのころには、世良さんのたくらみが理解できるようになっていた。
「あれ、自分に眼を向けさせるためですよね?」
丸井省吾がストーカーだとしたら、今回の傷害事件を経たとしても、つきまとい行為が終わるとはかぎらない。かりに姫木まなが有罪判決をうけたとしても、執行猶予はつくだろう。最悪、実刑をうけたとしても、刑期は短い。
つまり、丸井省吾のストーカー行為は今後も続いていくかもしれないのだ。世良さんは、その矛先を変えたかった。
すくなくとも、いま現在は、逮捕されている姫木まなに執着することはできない。だからこそ……。
世良さんの首は、縦にも横にも動かなった。
「あの男が、ここに嫌がらせしてくると考えてるんですよね?」
わたしは、質問を繰り返した。
「そうなると楽だね」
ようやく認めた。
「危険だとは考えないんですか?」
すかさず、助手さんのつぶやきが割って入った。
「王海さんにとって、こんなことは──」
危険のうちに入らない、そう言いたいようだ。
ゴホンと、わたしはわざとらしい咳ばらいを入れた。これで昨日に続いて、二度目だ。
「警察としては、責任をとれませんからね」
「まあ、シスターさん、どうせ丸井省吾はまだ入院してるんですから」
吉田の言うとおりだ。もし嫌がらせをするのだとしても、退院してからになるだろう。
「とにかく、注意だけはしておいてくださいね」
忠告だけはしておいて、その日は探偵事務所をあとにした。
3
翌日になって、探偵事務所から連絡があった。
慌てて駆けつけると、事務所の窓が割られていた。朝、出勤したときには、こうなっていたようだ。深夜のうちに、何者かによって石が投げつけられたのだろう。
「これ……」
吉田が、呆然とつぶやいていた。
「……これやったの、丸井省吾ですかね?」
わたしは、即答できなかった。
世良さんは、自分のデスクに座っていた。とても平静で、恐怖を感じていたり、取り乱している様子はない。
助手さんのほうは、さらにお気楽な表情をしている。
「確認しますか?」
「そうだね」
二人でそう言葉を交わすと、助手さんのほうが、なにやら動き出した。
「再生します」
この事務所には高級そうな大型のスピーカーが設置されているのだが、そこから音が出はじめた。
といっても、なんの音なのか判別できない。
コツ、コツ。
パシャン!
最後の破裂音で、理解した。窓を割られたときの模様を録音していたようだ。
だがここで、一つの疑問が浮かんだ。
「音声だけですか?」
「はい」
助手さんのほうが答えた。
「カメラのほうは、このビルにもついてたんですけど、このまえ取りはずしたままなんですよね」
わたしは、無念さを感じた。映像さえあれば、明確な証拠になる。
「吉田、病院に問い合わせて」
「はい」
すぐに吉田が携帯を操作する。その間にわたしは、世良さんたちと会話を続けた。
「どうして、防犯カメラを止めたんですか?」
それには、二人は顔を見合っただけで、答えを提供してくれる様子はなかった。
「あの!」
甘くみられていると思って、催促した。
「話せば長くなりますから」
そうこうしていると、吉田が病院への問い合わせを終えたようだ。
「丸井省吾は、まだ入院しています」
「抜け出した可能性は?」
「そこまでは電話じゃ確認できませんよ」
わたしは、イラついた。
「これをやったのは、丸井省吾じゃないと思うよ」
世良さんは、おだやかな口調でそう言った。
「じゃあ、だれなんですか? それとも、ほかで恨みをかうようなことをしてるんですか?」
わたしは、まだ世良さんの素行を信用していなかった。
「実行犯はちがう、ということだよ」
「丸井省吾が、だれかにやらせたってことですか?」
「そうなるだろうね」
わたしは、吉田と顔を見合わせた。
丸井省吾の知人をあたろうか……。
しかし、そのまえに根拠を確かめておかなければならないことに思い至った。
「でもどうして、丸井省吾じゃないと言い切れるんですか? いえ、それが正解だとしても、まったく無関係の人物の仕業かもしれない」
「足音でね」
世良さんは、わけのわからない答えを口にした。
「また病院に行ってみよう」
「え? でも、またあの弁護士が出てきますよ。世良さんがあんなことを言ったから、次は問題にされるかもしれない」
「事前に連絡をしておけばいい」
「断られます、きっと」
それでも世良さんは折れそうになかったので、わたしは吉田に視線をおくった。わたしが受け取った弁護士の名刺は、いまでは吉田が管理している。
「やってみます」
吉田が交渉している。
「弁護士立ち合いのもとでなら、世良さんがいてもいいそうです」
そしてわたしたちは、二日連続で丸井省吾の病室を訪れることになった。
4
弁護士の名前は、樺島という。昨日もらった名刺はすぐに吉田に渡してあるから、わたしはその名をここに来るまでの道中で確認していた。
「で、お話というのは?」
どうやら、丸井省吾とは直接話をさせてもらえないようだ。
「昨夜、丸井さんは、病院から抜け出したりしませんでしたか?」
わたしは念のため、そのことを確認した。
「どういう意味ですか?」
「いえ、こちらの世良さんの事務所の窓が割られまして」
「まさか、丸井さんがやったとでも疑っているんですか?」
「いえ、そうじゃありません」
答えたのは、世良さんだった。
「犯人は、わかっています」
「ほう」
わたしも素直に驚いた。足音がどうとか言っていたけど、さすがに犯人を特定できるはずはない。
「では、こんなところに来てないで、その犯人のところにでも行ってください」
「ですから、犯人のところに刑事さんをつれてきたんですよ」
「……」
樺島弁護士の視線が鋭くなった。
わたしだってバカではない。この会話の流れで、犯人がだれなのかわかってしまった。いや、真実かどうかは不明だ。ただ世良さんは、そう考えている……。
「……なにを言っているのかな? 丸井さんは犯人ではないと、あなたも認めたではないか」
樺島弁護士にも、世良さんの意図は伝わっているはずだ。丸井省吾でなければ、この病室にいるのは、ほかに一人しかいない。
弁護士自身が疑われていると。
「うちに石を投げ入れたのは、樺島さん、あなたですよ」
世良さんは、断言していた。
「……なんの証拠があって」
「どうして証拠がないと思うんですか? ああ、防犯カメラの位置は確認していたんですよね。犯行のおこなわれた数時間前にも下見に来ている」
「……ですから、どうしてそんなことがわかるのですか? 防犯カメラはないんですよね?」
「そうですね」
一瞬、不安になりかけた弁護士の表情が、もとにもどった。
「証拠もないのに犯人あつかいするなんて……名誉棄損で訴えますよ!」
「証拠……ですか」
さきほど聞かされた犯行時の音を証拠とするつもりだろうか?
「そんなものは必要ない」
「は?」
世良さんは、予想外の暴論を吐き出した。
「おれは警察官でもなければ、これから裁判をおこすわけでもない」
言葉づかいまで乱暴になっていた。不良警察官だったのではないか、という想像に一歩近づいた。
「……なにを言ってるんですか?」
樺島弁護士は、まるで正気を疑うような眼をしていた。
「警察だってバカじゃないですよ。容疑者をあなたにしぼれば、必ず証拠は出ます」
「ですから、そんなものはありませんよ!」
弁護士の激昂は、しかし着信音に邪魔された。弁護士自身の携帯だ。
しばらく、着信音だけが病室に響いた。樺島弁護士も、どうすべきか瞬間的に判断できなくなっていた。
「失礼」
数秒後、携帯を手に病室から出ていこうとした。
「ここでいいんじゃないですか?」
世良さんが言った。
「この病院は、携帯の利用を制限していないようですから」
それでも躊躇していた弁護士に、世良さんは続けた。
「ここを監視しているようだ」
部屋にいるだれもが、その意味を理解できなかった。いや、言った本人と、助手さんだけはよくわかっているはずだ。
戸惑いながらも、樺島弁護士は通話をはじめた。知った相手からではないのだろう。さぐるように呼びかけていた。
「どちらさまですか? え? どういう? なにをおっしゃってるのか……」
困ったような、おびえているような眼になっていた。
「え? わ、わかった……」
弁護士は、携帯を耳から離していた。
そして画面をタップする。スピーカーにしたようだ。
『丸井流通が、あなたの指南で不正行為をしている証拠は、いくつもありますよ』
「な、なに言ってるんだ! 私は知らない!」
『そうですね、指南というのは大げさか』
声には聞き覚えがあった。探偵事務所にかかってきた電話の主だ。
『でも、いろいろと法律のことで相談をうけているでしょう?』
「……証拠というのは?」
『気になりますか? まあ、われわれには無用の長物です。それを表に出そうとは思いませんよ』
なんと陰謀めいた言動なのだ。声の主が本当に公安なのか、わたしにはわからない。だが、口にしていることは卑劣な恐喝だ。
表に出さないかわりに、言うことをきいてもらいますよ──そう命令しているのと同じだった。
『ものは相談なのですがね、そちらの世良王海さんの邪魔はしないでもらいたいのです』
「……」
『あなた一人だけの問題ではありませんよ』
「……その言動は私個人だけでなく、丸井流通を敵にまわすことになりますよ?」
『丸井流通は、中国とも取引をしていますよね? なんの商品でもいい。そうだな、なにか電化製品を輸出しているとします。その部品が、北朝鮮に流れて兵器に転用されているかもしれない』
「な、なんの話ですか?」
『たとえ話ですよ。われわれは、いつでも介入することができる。その場合、いくら大企業でも、かなりのダメージを負うでしょうね』
「ひ、卑怯ですね……」
『それが、われわれです』
電話の声は、冷然と言った。
『あ、そうそう。昨夜の──いえ、今朝といったほうがいいですかね。あなたの行確は、われわれがおこなっていました。罪を認めれば、そこにいる世良さんは不問にしてくれると思いますよ。では──』
通話が終わり、なんともいえないような沈黙が室内におとずれた。
行確──つまり行動確認を彼らがやっていた……。
「なんなんですか……」
樺島弁護士は、愚痴のようなものをこぼした。
強い眼光で、世良さんのことを睨んでいた。
「あなたは、何者だ?」
世良さんは、その視線を何事もないように受け流していた。まるで、見えていないかのように……。
「ただの探偵ですよ」
ここにきて、わたしにも世良さんの経歴がわかってきた。世良さんは、兄のような警察官ではなかった。
おそらく、元公安……。
「……私は帰ります」
弁護士は、そそくさと立ち去ろうとしていた。
「おい!」
丸井省吾の呼び止めにも応じようとはしない。
「な、なんなんだ!」
その怒りは、出ていった弁護士に対してのものか、世良さんへのものか。
「これで、邪魔されずに聴取ができそうですね」
世良さんが、わたしに言った。
「……窓を割られたことは、もういいんですか?」
「あれは仕方がない。事故だと思ってあきらめます」
わたしは、丸井省吾に向き直った。
「丸井さん、お話──」
「お、おまえらも帰れ!」
心のよりどころを失って、丸井省吾は取り乱していた。
「帰れ!」
その大声に驚いたのだろう。看護師が、慌てた様子でやって来た。
「どうしました!?」
これでは話を聞くどころではなくなった。
わたしたちは、病室から追い出されてしまった。