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遠い声Ⅲ  作者: てんの翔
5/12

VOICE.2 百年の宝物 中編

       3


 翌朝から、本格的な調査を開始した。

 ただし宝のまえに、べつの痕跡を確かめることにした。

「あります」

 昨夜の足跡だ。

 三好家の周囲を見回っていた。

「大きさは?」

「27から28㎝ってとこじゃないですか?」

 それだけで考慮するなら、男性のものだ。

「この足跡がどうしたんですか?」

「うーん、よくわからない……」

 どんな目的をもっているのか、まったく見当もつかない。が、今回の依頼が、ただの宝さがしでないことは、ほぼまちがいないだろう。

 なにかしらの問題を抱えている……。

「それで、どこからさがしますか?」

 三好家からスコップを二本借りている。

「本当に、なにも記録は残ってないんですかね?」

 なにせ百年前のことだから、どこかに記録をしていたとしても、その記録自体を紛失している可能性が高い。

「百年前って、すごいむかしですよね……」

 しみじみと峰岸が言った。

「まだ大正時代だね」

「第二次世界大戦は、まだはじまってないですよね?」

「うん。スペイン風邪の流行が終わったぐらいじゃないかな」

 ふいに、峰岸の足が止まった。

「この村で、一番長生きしてる老人はいませんかね? 一人ぐらい百歳の人がいても、おかしくないんじゃないですか?」

 たしかに百歳を超える人も、いまではそれほどめずらしくはない。しかし、生まれたのが百年前では意味がないのだ。

「それもそうですね……百十歳ぐらいじゃないと、当時を記憶してないですね」

 そのことを伝えたら、峰岸も理解してくれた。百十歳までいかなくても、七歳か八歳ぐらいは必要だ。

「でも、当時の記憶はなくても、年上の人から伝承されているかもしれませんよ」

 なるほど。それなら、もっと年下でもいいことになる。

「この村で、一番長生きしている人をさがしましょう」

 峰岸の提案に乗ったほうがいいかもしれない。

「人がいます」

 峰岸が、その人物に近づいていった。

「あの、あ……」

 速足で遠ざかる足音がした。

「峰岸君?」

「行っちゃいました……」

 その後も、話しかけようとしたら逃げられてしまうことが連続した。

「どうも、さけられてますね……」

 村人の協力も得られないようだ。

「自力でやるしかないね」

「途方にくれるってやつです……」

 そんな峰岸に、なにかの指標をあたえなければならない。

「さすがに、なんの目印もないところに埋めはしないはずだ。まずは、簡単な地図をつくろう」

「そうですね、とにかくやってみます」

 村中をまわってから、三好家にもどった。

 ノートと鉛筆を用意してもらって、峰岸が地図を作成する。

「こんなものですね」

 完成度は確認できないから、うまくできたことを祈るしかない。

「これだと……あやしいのは、北側にある神社ですかね」

 小さな社と鳥居があるだけのようだ。神主もいない。おそらく村の人たちで管理しているのだろう。

「ほかには?」

「特徴的なのでは、西側に小さな池があります」

 それと東側に、この三好家にも負けないぐらいの大きな家があるそうだが、すでに人はおらず、廃墟となっている。

「こんなところですね」

「まずは、神社をあたろうか」

「でも、勝手に掘っちゃっていいんですかね?」

 念のため、確かめることにした。奥さんに話を聞こうとしたのだが、いないようだ。善治も仕事に行っている。

「あら、探偵さん」

 香苗が居間にいた。

 彼女に話を聞いてみることにした。いまでは東京に住んでいるとはいえ、ここのしきたりについては知っているだろう。

「神社? いいんじゃない、勝手にやっても」

「大丈夫ですか?」

「ええ。ここの土地は、全部うちのだから」

 神社もそれにふくまれているということだろうか?

 いま一つ確実性にかけていたが、まずは神社をあたることにした。

 境内に入ると、峰岸に印象的な目印はないか質問した。

「あの灯篭かなぁ……」

 そこの根元を掘ってみることにした。

「でも、どれぐらい深く掘ればいいんですか?」

 百年のあいだに、いったいどれほど土が堆積するものなのだろう。いや、人が生活している場所なのだから、そこは計算する必要はないのかもしれない。

「とりあえず、1メートルぐらいかな」

 なんの根拠もないが、常識的にその数字をはじき出した。

 世良も手伝っているが、どうしても作業は峰岸に頼ることになる。

「うーん、なさそうですね」

「まあ、途方もないことなんだから、まずは第一歩だと思うしかない」

「次は、どこにします? 鳥居にしますか?」

「そうだね」

 こうやって、地道に進めていくしかない。

「やっぱり、なにかヒントのようなものをさがしたほうがいいんじゃないですか?」

 そんなものがあるのなら、苦労は激減する。しかし世の中、都合よくはできていないものだ。

「この社のなかに、なんかあったりして」

 そう言いだしたものを否定するわけにはいかない。そもそも正解がどこに転がっているかわからないのだ。

 峰岸が先導して社殿の扉をあけた。鍵はかかっていなかったようだ。

「……うーん」

 残念そうな声だった。

「なんにもありません……」

「だろうね」

 神主もおらず、だれが管理しているのかもわからない神社に、物が置かれているとは思えない。

「なにか不審なところはないかな?」

 それでも世良は言った。峰岸の希望を簡単に打ち砕くのは気の毒だ。

「ちょっと待ってください」

 社殿のなかを観察しているのだろう。

「たとえば、壁や天井に文字は書かれていないかな?」

「あ、絵があります」

「どんな絵?」

「サルですね」

「動物の?」

「そうです。東照宮のサルみたいな絵です」

 見ざる言わざる聞かざるで有名な、三猿のことだろう。

「ほかには?」

「それだけですね……」

 けだるそうな返事のあとに、世良は奇妙な音を感知していた。

「?」

「王海さん?」

 なんの音だろう?

 声?

「どうしました?」

「いま音が聞こえたんだけど……」

「どんな音ですか?」

「声のような唸りのような……高い音」

 しかし、すぐに聞こえなくなっていた。

 世良は集中した。

 三秒後、また聞こえた。

 外に出た。

「むこうには、なにがある?」

「林というか、山が続いているというか……」

 切り開かれた土地ではないのだろう。

「あっちに行くんですか?」

 聞こえた。

「風だ」

 風が吹くことで、声が聞こえている。

 だが、風の音というわけではない。

「わかりました、進みますよ。足元には気をつけてください」

 もっと風が強ければ、一人で山に入ることもできるようになる。いま程度では、全然たりない。

「あれ、なんだか道のようになってますね」

 舗装されているわけではないが、人が行き来することによって、自然に道のような通りができているようだ。たしかに地面の感触が踏み固められている。

 しばらく進んだ。ゆるやかな傾斜を登っている。

「洞窟みたいな穴があります」

 まちがいなく、声はそのなかから聞こえる。

「どうします? 入ってみますか?」

 語調からは、入りたくないという感情が伝わってくる。

「少しだけ進んでみようか」

「……わかりましたよ」

 衣擦れのような音がして、なにかを取り出したようだ。携帯電話だろう。ライトがわりにするつもりなのだ。

 世良にとって闇は恐怖ではないが、峰岸にしてみれば勇気を振り絞って、ようやく足が動く領域だ。

「思ったよりも広いですね」

「自然にできたものかな?」

「どうでしょう……人が掘ったようにも思えますけど」

 洞窟内の形状は、いまの会話の反響で、だいたいは把握できた。

「地面は硬いですね。ここには埋められないでしょう?」

「そうだね」

 足から伝わる感触は、土というよりも石や岩の上を歩ているようだ。

「こういうところには、奥に祠があったりしないかな?」

「ありますね。なんだろう……」

 近づいていく。

「わ!」

 峰岸の驚き声が、鼓膜を苦しめた。

「どうしたの?」

「あ、びっくりした……動物かと思いましたけど、像ですね。小さな像があります。これは……サルかな?」

 ここでもサル。この地方には、サル信仰でもあるのかもしれない。

「なにか音が出るようなものはないかな?」

「うーん……そういうのは、なさそうですけど。あ、なんだろ、あれ」

 峰岸が、さらに奥へ進んでいく。

「なんだ……小さな穴でした」

 それまで途切れていた声が、ちょうど聞こえた。

「穴ってどれぐらい?」

「屈んでも、人はムリですね……」

「たぶん、その穴から聞こえてるんだ」

 風がそこを通過することで、人の声のように聞こえているようだ。原理は笛と同じだろう。

「じゃあ、声でもなんでもないんだ……」

 このなかに入ったのが無駄足に感じて、峰岸は落胆している。

「出ますか」

「そうだね」

 洞窟を出て、神社にもどると、掘っては埋め、掘っては埋めを繰り返しているうちに、その日は終わっていった。

 これでは、宝を発見するのに何日かかるのか不安になる。

「どうでしたか、探偵さんたち?」

 夕食で、善治が成果を期待していた。

「その顔では、なにもみつけてないようですわね」

 香苗の言うとおりだった。

「まだ初日なんですから」

 妻の雅子が、かばうように言葉をはさんでくれた。

 昨夜よりもグレードは下がったようだが、それでも豪勢な夕食だった。

「おい、正樹は東京に帰ったのか?」

 善治が言った。そういえば、朝からずっと声を聞いていない。

「さあ? もしかしたら、自分でみつけようとしてるんじゃない?」

 香苗の言葉に、ふん、とおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。

「あの、神社の奥に洞窟があったのですが」

「ほう、あそこに行きましたか」

 なぜだか善治が感心したような声になっていた。

「探偵さん、あそこは死者が通る穴だと言い伝えられているところなのよ」

 香苗が愉快そうに声をそえた。

「ここの人間も、滅多に立ち寄らない場所なんだから」

「香苗さん、怖がらせちゃだめじゃない」

 雅子が、そんな娘をたしなめる。

「定期的にお掃除をしていますから、みんな頻繁に立寄っていますよ」

 だから地面が踏み固められていたのだ。

「ははは」

 香苗が屈託なく笑った。どうやら、からかわれただけのようだ。

 食事を終え、やることもないので、すぐ眠りについた。

 浅い睡眠のときなのか、それとも夢のなかだったのか、あの洞窟から悲鳴のような声がしたような……。


       4


 翌朝、早めに眼が覚めた。

 まだ眠たそうだった峰岸をつれだして、あの神社に向かった。

「どうしたんですか、王海さん?」

 声のような音は、今日はしていない。風がほとんどないからだ。

「行ってみようか」

「え? あの洞窟ですか?」

 峰岸は乗り気がしないようだが、なぜだか世良は気になっていた。昨日とはちがって場所がわかっているので、すぐにたどりついた。

「ここに来て、どうするんですか?」

「まあ、なんとなく……」

 昨日とは、なにかがちがう。

 そうだ、声の反響だ。

「峰岸君、なにか物が置かれてない?」

「え? 待ってください」

 また携帯をライトがわりにしたようだ。

「あ、地面に物があります」

 そこに近づいていったのだろう。

「王海さん……」

「どうしたの?」

 どこか、呆然とした声だった。

「これ……、し、死んでます」

 人が倒れていたということだ。

 世良も、峰岸と遺体のもとに急いだ。

 手探りで首筋に触った。脈はない。たしかに死んでいる。

「この人……」

「もしかして、正樹さん?」

「そうだと思います……」

「外傷は?」

「頭から血が流れてます……」

 だとすれば、殴打されたことによる脳挫傷といったところか。

「通報しよう」

「わかりました」

 外へ出たが、困惑した声があがった。

「王海さん、携帯が通じません。電波が届いていないみたいです」

 山のなかだから、というわけではないようだ。昨日も洞窟のなかで携帯を取り出しているから、そのときには電波が通っていたことを確認していたのだろう。

 神社までもどったが、やはり通じないようだ。

「どういうことですかね?」

「こっちは?」

 世良は、自分のガラケーを差し出した。

「ダメですね……」

「まさかとは思うが……」

「なんですか?」

 それは、最悪の予想だった。

「この周辺の基地局を破壊された」

「え?」

 峰岸は、素っ頓狂な声をあげた。

「さすがにそれは……」

「常識的に考えれば、ありえないね」

「でも……王海さんは、そういうの引き当てるからなぁ」

 完全な愚痴だった。

「もしそうだったとしたら、やったのは犯人ですか?」

「そうなるだろうね」

「通報させないためですか?」

 世良は、うなずいた。

「一応……聞いておきますけど、王海さんの言うとおりだったとしたら、次はどうなりますかね……」

「おれたちを、この村から出さないようにするだろう」

「すごくイヤな予感がしてきました……」

 もちろん、それは最悪の想定だ。

「どうしますか? 家までもどりますか?」

「あの家に犯人がいるかもしれない」

 洞窟で殺害、もしくは遺棄されていたということは、世良たちがそこに行ったことを知っていた可能性がある。昨夜、その話をしている。

「このまま逃げますか?」

「それがいいかもしれないけど……」

「どうしました?」

「車は使えない」

 あの家に停めてある。

「急いでいけば、なんとかなるかもしれませんよ」

「……わかった、そうしよう」

 車へ向かった。

「止まって」

 すぐに、歩みを中断した。

 耳に集中する。

 男が、大声で話していた。

『殺人事件の被疑者がこの村に逃げ込んでいる! みなさん、さがしてください!』

 あの柳という千葉県警の警察官だ。

「え? どういうことですか?」

 峰岸に伝えたら、さらなる混乱をまねいたようだ。

「逃げ込んだ殺人犯って……ぼくたちのことですか?」

「流れでいけば、そうなるね」

「そんな冷静に答えないでください……」

 だが、焦ったところで事態が好転するわけではない。

「だいたい……いまぼくたちも発見したばかりなのに、どうしてあの刑事は、遺体のことを知ってるんですか?」

 その質問は、あまり意味のあるものではない。

 答えは簡単だ。あそこに遺体があることを知っている。もしくは、遺体があろうとなかろうと、世良たちを犯人にしたかった──。

「あ、そういうことか……」

 峰岸も、すぐに気づいたようだ。

「あの刑事さんが、犯人?」

「犯人ではなくても、かなりグレーな警官なんだろう」

「車まで行くのは危険ですよね? それとも、おとなしく出頭しますか? 話せばわかってくれるかもしれない」

「それはない。生きたまま、ここを出られるかも疑わしい」

 正直に、これからの予想を告げた。

「じゃあ、逃げましょう!」

「それがいい。だが、逃げるのは峰岸君だけだ」

「え? 王海さんは?」

「日中は、足手まといになる。きみだけのほうがいい」

「でも……」

「おれは大丈夫だ。山に逃げ込む。水の音もしているから、沢か小川が流れているはずだ」

 水の確保ができれば、どうにかなる。安全に飲めるとはかぎらないが、非常事態に贅沢はいっていられない。

「山狩りをするかもしれませんよ」

「夜までたえれば大丈夫だ」

 闇夜なら、むしろ世良のほうが有利になる。

「……わかりました。助けを呼んでもどってきます」

「ここの警察はやめたほうがいい」

「じゃあどうします? 警視庁に助けを求めますか?」

「いや、千葉県警に頼るしかない」

 警視庁を動かしたとしても、よけいな時間がかかるだけだ。桐野個人なら、すぐにでも駆けつけるだろうが、管轄外での活動は、やつの立場を悪くさせてしまう。

「でも、あの刑事は県警本部なんですよね?」

「さすがに県警で、こんな無茶なことをしようとする人間は、あの柳という男だけのはずだ」

「……わかりました、なんとかしてみます」

「道はなるべく通らないようにしたほうがいい」

「大丈夫です。方向感覚は自信あるんで」

 峰岸が出発していった。

 町までおりることができれば、危険はないはずだ。

 一人になると、世良は聴力に集中した。

 柳という刑事が、村人に捜索をけしかけている。柳に力があるというよりも、三好家に村は支配されているとみるべきだ。

 まだ気配は遠い。しかし移動速度ではかなわないので、安全な場所をいちはやく確保するべきだ。

 方向感覚は、峰岸以上に自信がある。

 洞窟にもどった。

 これを仕組んだ人間は、世良たちがここに来ることを知っていた。夢で聞いた悲鳴は、本物だったのだ。

 おそらく柳は、世良の聴力を調べ上げている。そして、そのことを計算して、ここを犯行現場にした。朝、ここに来ることを予想したのだ。

 遺体を発見すれば、あわてて三好家にもどってくる。携帯も使えなくしているから、通報もできない。家にもどるしかない。そこを捕まえるつもりだったはずだ。

 この状況に、柳たちは焦っている。

 では、どこにいると考えるのか。

 逃げたのか? 山のなか?

 いや、相手の一人は、眼が見えない。そうなると、答えは一つしかない。眼の見えるほうが山をおりて、見えないほうが、どこかでじっと助けを待っている……。

 さて、それがわかったとして、やつらはどう出るか?

 二人とも捕まえたい。しかし一人は健常者であり、すでに山をおりはじめている。大人が必死になって逃げれば、そう簡単に捕まえられるものではない。

 ならば、眼の見えないほうだけでも確保をしたい。もっというと、事故死にみせかけて始末をしておきたい。もう一人が助けを求めるのだとしても、結局は警察を動かすしかないのだ。柳にとっては仲間なのだから、どうとでもごまかすことができる。

 三好正樹を殺害した犯人が、逃亡途中に足を滑らせて転落死した──それが、ベストのシナリオだろうか。

 世良は洞窟を出て、さらに山奥へ急いだ。

 風は弱いから、あのチート能力は発動しない。

 どこかにあるはずだ。頭のなかで山の予想図を描き出す。洞窟をまわりこむように、反対側へ行く。一歩一歩が遅いから、三時間はかかっただろうか。何度か木の根に足をとられて転んでしまった。

 岩肌に手を触れながら、目的の場所をさがしていく。

 風を感じた。これだ。

 ちょうど胸の高さの位置に、小さな穴が空いている。洞窟から聞こえた悲鳴のような風の音の原因が、この穴だ。

 逆の位置にあるこの穴からは、あの特徴的な音は聞こえてこない。世良は、その穴に耳をつけた。

 まるで、貝殻を耳にあてたときのような音がした。その奥から、人の話し声が聞こえる。洞窟のなかで会話をしているのだろうか?

『本家は必死だな』

『あまり、かかわりたくないよ』

 男性と女性だ。

『山を見るっていってっけど、下にいかれたら、どうなんだ?』

『だから、かかわりたくないんだよ』

『ほんと面倒だな。ここにはいねえし……』

 どうやら、洞窟のなかではない。あそこには遺体があるはずだから、たとえこの二人が犯人だとしても、こんな冷静に会話などできないだろう。

 風の音と逆の現象だ。こちら側は、遠くの人の声が聞こえるのだ。

 世良の目論見どおりだった。ここの穴から村の生活音が聞こえるのではないと予想をたてていた。もちろん、世良の聴力があってのことだが。

『もうとっくに逃げてんじゃねえか?』

『うちらも、今後のことを考えないと……もうそんな時代じゃないのに』

 この村の風習のことだろうか?

『本家も、これからどうなることか』

 本家とは、三好家のことだと推察できる。親類だから、そう呼ぶわけではないのだろう。この村の人間にとっては、三好家は「本家」なのだ。

『あの奥さんも、いろいろ考えてるみてえだぞ。よそに男がいるとか』

『そりゃ、デタラメよ。でも離婚は考えてるみたいだけど』

『わかんねえぞ、おとなしい顔してなに考えてんだか──』

 その男女の声は、それきり聞こえなくなった。

 いまは何時ぐらいだろう。携帯が通じないから、117をつかうこともできない。太陽の暑さと熱の角度から、正午にはなっていないと思われる。十一時ぐらいだろうか。

 できることなら、ここで陽が暮れるまで過ごしたいところだが、喉が渇いてきた。水源をさがすことにした。

 水の音をさがす。

 ここからは1キロぐらい離れているだろうか。下方から水の流れる音がする。

 二時間ほどかけてたどりついた。

 きれいな水なのか判断することはできない。かといって、ここで飲まないわけにはいかない。

 手ですくって喉をうるおした。冷たくて、おいしかった。生き返ったようだ。

 陽の位置は、まだ高い。もどりは登りになるから、時間はもっとかかる。実際に、三時間ほどついやしたはずだ。

 最悪、あの穴の位置にもどれないことも覚悟したが、なんとかたどりつくことができた。

『山狩りだってよ』

 すでに夕刻になっているはずだ。穴から会話が聞こえた。

『もういねえんじゃねえか?』

『まだここにいるって、健二のやつが言ってっけどな』

 健二?

 三好家にそんな名前の人物はいなかった。ということは、刑事である柳の下の名前なのだ。いまの口ぶりからは、この村の出身だったと推察できる。

 太陽の熱は、すでに感じなくなっていた。世良は、余裕を得ていた。これからの時間帯は、世良の時間だ。どんなに大勢で山に入ったとしても、捕まらない自信があった。

 いや、逃げるつもりはない。

 世良は、村にもどることを決意していた。

 三好家が犯人であると決まったわけではない。つまり、まだ依頼は有効だ。

 ここで投げ出すのは、自らの流儀に反する。


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