VOICE.1 十五年前のメッセージ 後編
5
まずは、鹿浜署の井上に連絡をとった。折原が闇金に手を出していたかもしれないこと。首筋にサソリのタトゥーをしている人物に心当たりがないか。
翌日には、池袋を縄張りにしている半グレグループの情報が入った。違法薬物の売買で資金を調達して、闇金で荒稼ぎしているらしい。地元の暴力団も手を焼くほど凶暴で、組織力も強固だそうだ。
それでいて捜査の網から、たくみにくぐりぬける危機察知能力があるらしく、警察としても内定は進めているが、摘発までにはいたっていないという。
そのメンバーにサソリの男がいるということだった。足立区内でもそのグループは、いくつかトラブルをおこしていて、鹿浜署でも捜査をしたことがあるのだという。
暴力団とはちがって、特定の事務所をかまえているわけではない。井上から、池袋署の反町という捜査員を紹介してもらった。
三宅オサムに会った二日後、反町といっしょに連中がたむろしている『ジャギー』という店に向かった。
「お手数、おかけします」
「いえ、署長からも協力しろと言われていますから」
そこで知ったのだが、池袋署の署長は、長山と同期だという。
「おれは出世に眼がくらんだ。本当は長山みたいになりたかったんだ……と愚痴ってました」
どうも反町も、長山のことを知っているようだった。顔の広い人だから、不思議なことではない。つまりここでも、誘拐事件で得たネットワークによって守られたことになる。
ジャギーという店は、池袋の北口にあった。しかしイメージしていたような店ではないようだ。酒を飲む店だが、上品な雰囲気があると峰岸が教えてくれた。
「ここに、土本隆也がいると思うんだが」
店員に反町が話を聞いた。土本隆也というのが、サソリの男だ。
「いえ、わかりません」
その男性店員の声に、嘘はないようだった。というより、名前に覚えがないのだ。
「奥の事務所にいるだろ?」
「え……」
戸惑いの声。
「奥が、彼らのたまり場だろ?」
「し、知りません……」
「通させてもらうよ」
「え、ちょっと……」
「それとも、君も仲間なの?」
「い、いえ……」
この店員は、半グレグループとは無関係なのだろう。店は、一般人にまかせているのだ。アジトをカムフラージュするためにちがいない。
「それじゃいいね」
「こ、困ります!」
「いいから、いいから」
反町はその店員を振り切って、進んでいく。世良と峰岸も、それについていった。
「やつらの歴史は長いんです。ある程度の年齢になったら、頭の良いやつだけ卒業していく。残っていくのはカスばかりだ」
「摘発は逃れてるんですよね?」
「幹部連中はね。捕まるやつは、それこそ下っ端だけですよ。代がかわれば、アジトもかえている。悪知恵だけは、はたらくようだ。ここをつきとめたのも、今月になってからです」
ドアを開ける音。反町が部屋に入った。
「ちょっとごめんよ」
「あ? なんだおまえ?」
険悪な声が返ってきた。
「ここは、イメージどおりですね」
峰岸が耳打ちした。絵に描いたような半グレのたまり場なのだろう。
世良も、足を踏み入れた。
「警察だ。土本隆也は、このなかにいるか?」
「ポリがなんの用だ!」
「だから、土本隆也はここにいるのか?」
不穏な空気が部屋に充満している。
「あ」
峰岸が声をあげた。サソリのタトゥーをみつけたのだろう。
反町にもわかったようだ。
「おまえだな?」
「なんだ? おれがなにをした?」
「今日ここにきたのは、おまえらが売ってるものや、貸してるもののことじゃねえ」
「あ? なんのことだ!?」
「警察ナメんなよ! マル暴を出し抜いても、必ずおまえらは検挙されんだ」
「なんだと!?」
「いきりたつなよ。言ったように、そっちのことはいまはいい。聞きたいことがるんだよ。この世良さんの質問に答えろ」
視線が集中したのがわかった。
「十五年前を思い出してもらいたい」
世良は言った。
「十五年前だあ?」
おそらく大半のメンバーは、まだ子供だった。つまり、このなかのほとんどは事件とは無関係だ。
世良は、土本隆也のいるほうに顔を向けて、続きを語った。
「折原という男性に金を貸してたんだろう? それを回収できなかったから、その折原をつかって、元職場である金型工場から一千万を盗ませた」
「なんのことだ」
「だが折原は、罪の意識にたえかねて、その金を被害者に返してしまった。取り返そうとしたあなたたちに折原は捕まり、そして──」
「そして、なんだ?」
「殺された」
世良は、自らの推理を伝えた。
「……殺された?」
土本は、笑っているようだった。
「世良さん!?」
反町は驚いていた。彼らをさがしていることまでは説明しているが、そこまでは言っていなかったのだ。
「土本さんは当時、折原を目撃した三宅オサムという男性を監視していましたね?」
「三宅?」
名前に覚えはないようだが、行為には覚えはあるようだ。
「監視していましたね?」
念を押した。
「……」
「土本さん!?」
厳しく声をあげた。
「……それが、どうした!」
「たぶんそのときは、べつの人間が上にいたんでしょう。そのОBは、いまではここで稼いだ金を元手に、べつのビジネスをしてるんじゃないですか?」
「……」
その沈黙を肯定とうけとった。
「そのОBは、だれですか?」
「……そんなこと言えるかよ!」
「さきほど反町さんが言ったとおり、警察をナメないほうがいい。調べれば、すぐにわかることだ」
「だったら、てめえらで調べりゃいいだろ!」
「これはチャンスだ」
「あ? なんのだ!?」
「いまでも、そのОBたちが、ここを仕切っているはずだ。稼いだ金も、吸い上げられてるんでしょう?」
「……」
「それを変えればいい」
「なんだと……」
「そのОBを売ればいい。簡単なことだ」
その発言に、反町すら驚いているようだった。
「世良さん……」
「そんなことをすれば……」
土本は、あきれたように声をもらした。
「そんなことをすれば、どうだというんですか? 報復ですか? しかしその報復は、あなたたちを使うんでしょう? あなたたちが反旗をひるがえせば、だれもОBには従わない」
「そんな甘くはないんだ……」
「ОBが刑務所に落ちれば、なにも怖くはない」
「恐ろしい人たちなんだよ……その気になったら、おれらをつかわなくても……」
簡単に人を消せる──そう言いたいようだ。
「だったら、おれのことを話せ」
「あ?」
「おれが十五年前のことを調べてるから、消したほうがいいと話せ」
「なに言ってんだ?」
呆然したような声がした。
「おれは警察官じゃない。ただの探偵だ」
そして、彼らに瞳をみせた。
「この眼は見えない」
「見え、ない?」
彼らは、一様に驚きの声をもらしていた。
「あんた……正気か?」
「正気だ。おれを殺せるのは、一人しかいない」
それがだれのことなのか、このなかでは峰岸しかわかっていないだろう。
「……おれらは、罪になるのか?」
「そのことではならない。だが悪さを続けていたら、必ず警察は捕まえる。そのまえに足を洗うことだ」
「……あんたが本当に生き残ったら、そうしてやる」
世良は、笑みを浮かべた。
6
五日目の夜に、動きがあった。
事務所から10メートル離れた場所に車が停まった。三人が車外に出る。時刻は、十一時を過ぎていた。
『この時間でもいるのか?』
『大丈夫だ。いつも一時まで人がいる』
その声を聞いているのは、事務所のなかだった。
あれから峰岸によって、事務所の周辺のいたるところにマイクが仕掛けられている。
『カメラは大丈夫か?』
『ここらへんにはない』
本当はこのビルについているのだが、オーナーに相談して一時的に撤去してもらっている。一階の不動産屋と三階の厚労省関連施設にも、なにかあったら補償すると説得していた。
『なんで、いまさらこんなことを』
『やつら、今度シメとかないと』
『探偵ごときにビビリやがって』
『しかも眼が見えねえんだろ』
周囲に人がいないからと、ベラベラしゃべりすぎだ。
『ここで拉致るんだろ?』
『その場しだいだ』
『じゃあ、ここでやるかもしんねのか?』
『どっちにしろ、運ぶんだろ?』
『車、遠くねえか』
『真ん前に停めると、目撃されっかもしんねえ』
なるほど、彼らなりに道理があるようだ。
『いるみたいだな』
『二人だよな?』
『たぶん』
そこの見込みは甘い。ほかに人がいたらどうするつもりなのだろう。
『突入すっぞ』
階段を上がる音。
「王海さん」
「彼らが入ったら、電気を切ってくれ」
「わかりました」
扉の前に、彼らが立った。
三秒後、勢いよく扉が開いた。
瞬間、峰岸がスイッチを切った。
彼らの足が止まる。
世良にとっては、平常どおりだ。
「な、なにも見えねえ!」
そう声をあげた一人を昏倒させた。
「ど、どうした!?」
その一人も、一瞬で意識を奪う。
「お、おい!?」
最後の一人だけは、べつのやり方にする。
身体を密着させて投げを放った。背中から落とされた男は、息もできずに苦悶している。
「おまえに聞きたいことがある。おれが十五年前のことに興味があるのは知ってるな? 折原という男は、どこにいる?」
「……し、しるかよ!」
男は、どうにかそれだけを声に出した。
世良は、あらかじめ用意しておいたロープを男の首に巻きつけた。
「おまえたちを自殺にみせかけて殺すことは簡単だ」
力を込めた。
「うう!」
「言わなければ、おまえたちがやろうとしてたことを反対にやられる」
暗闇のなか、首を絞められる恐怖は想像を絶するだろう。
「一瞬だけ、ゆるめてやる。言わなければ、二度と呼吸をすることはない」
力を抜いた。
「……わ、わすれた」
問答無用で首を絞めた。
「ううう! うう!」
男は、懸命に腕を振る。
抜いた。
「最後のチャンスだ」
「……うめた」
「どこに埋めた?」
「か、かんべんしてくれ……」
「言え!」
「……買ったとこだ」
「なにを買った?」
「べ、別荘だ……バブルのころにつくったのが、や、安くなってたんだ」
どこかのリゾート地のようだ。
「どこだ?」
「と、栃木の山奥だ……くわしいことは知らない。一回しか行ったことがないんだ……」
「だれの名義だ?」
男は、意味が理解できないようだった。
「土地を買ったのなら、だれかの名義になってるはずだ」
「む、室田だ……」
「だれだ?」
「あ、あんたが……こ、殺した……」
この男は、仲間が殺されたと思っている。死の恐怖で、状況把握も困難なのだろう。
「いっしょに来た仲間だな?」
「そ、そうだ……」
「室田という仲間の土地なんだな?」
「そうだ……」
「そこの、どこに埋めた?」
「に、庭だ……」
「庭のどこだ?」
「み、見ればわかる……」
木の根元や植え込みのなかのような、特徴的な場所に埋めたのだ。
「い、いったんだから、こ、殺さないでくれ……」
「まだだ」
わずかだが、再び力をこめて、すぐに抜いた。
「殺したのは、だれだ?」
「こ、殺したんじゃ……ない……」
「嘘をつくな」
「う、嘘じゃない……」
「くわしく話せ」
「きゅ、急に苦しみだしたんだ……」
折原を捕まえたあと、金を奪われているこの男たちは、折原におとしまえをつけようとした。暴行をくわえたあと、どこかで金を調達してこいと脅した。この場合の調達は、どこかで金を盗んでこいという意味になる。
そのときに、急に折原が苦しみだしたという。そして、そのまま心臓が止まった。
「おまえたちが殴ったからだろう?」
「ち、ちがう……そんなに強くはやってねえ!」
男は必死に弁解した。
「か、金をもってこさせるつもりだったんだ……足腰立たなくなるようにはやってねえ……」
信じるべきかどうかはべつにして、一応、筋は通っている。
「いまの発言に一つでも嘘が入っていたら、おれはおまえを許さない。そのことは忘れるな」
「わ、わかった……」
「もう一度だけ、いまの告白を繰り返せ」
「……」
「はやくしろ!」
「死んだ人間を……別荘の庭に埋めた……」
「聞いたな?」
スイッチの音がした。
「うわ!」
急に光をあびて、男がうめき声をあげた。
「聞いたな、桐野?」
「ああ」
「な、なんなんだ……」
事務所にいたのは、二人だけではない。
「あ、あんたは……」
「警視庁捜査一課の桐野だ」
警察手帳をかかげたのだろう。
「サ、サツかよ!」
「とりあえず、建造物侵入の現行犯な」
ガチャ、と手錠をかます音がした。
「ふ、ふざけんな! こんなこと許されるのかよ!」
「あ? なんのことだ?」
「おれは、こいつに殺されそうになったんだぞ!?」
「なんのことだ? 真っ暗闇で、なにも見えなかったんだが」
「警察が、こんなことしていいのかよ! おれは、脅されたから言ったんだ」
「あきらめろ。ここで眠ってる室田君名義の土地を調べればわかる」
「きたねえぞ!」
「なんとでもいえ」
桐野が応援を呼んで、三人は連行されていった。
「すごい迫力だったな。おれでも吐いたかもしれない」
「ちゃかすのはよせ」
「ギリギリもいいところだが」
「十五年も発覚しなかった事件だ。あれぐらいは必要だ」
「死体が出なければ、おまえの立場も危なくなるぞ」
それについては、なにも返さなかった。
三日後、事件は解決に向けて動き出すことになる。
7
証言どおりの場所から、白骨化した遺体が発見された。
室田という男の所有していた別荘の庭から掘りおこされたのだが、庭には大きな木が一本だけ植えられていて、遺体はその根元に埋められていたそうだ。見ればわかる、という意味はそれだったのだ。
すぐに折原の兄のDNAと血縁鑑定して、本人であることが証明された。
鹿浜署に特別捜査本部が設置され、捜査一課からは桐野の係が選ばれた。万世橋警察署の稲垣にも当時の担当捜査員ということで協力を要請したということだ。
さらに池袋署の反町も、土本隆也たちが所属しているグループについて協力することになっている。もっとあとの話になるが、この事件を契機に、半グレグループは解散となった。
今回の依頼で世話になった警察官にも、手柄という形で報いることができそうだった。
そして世良と峰岸は、折原工務店を訪れた。
「死んでいたとはね……」
気の抜けたような声を出したのは、兄である社長だ。
ここまでわかっているすべてを報告した。警察官ではない世良には、捜査上の都合で話せないことはない。
「世良さんには、お世話になりました。できればお礼がしたいのですが……依頼料ということで受け取ってもらえませんか?」
社長と話しているときに近づいてきたのは、事務の美佐江さんだろう。
「封筒です」
峰岸が教えてくれた。
しかし、それを受け取ることはなかった。
「いえ、報酬は依頼人からいただいていますから」
「そんなことを言わずに……」
「でしたら、社長にべつのことでお願いがあります」
「なんですか? できることならなんですもしますよ」
「いま、社員を募集しているんですよね?」
前回ここへ来たときに、従業員募集の張り紙が貼ってあったことを峰岸が覚えていた。
「は、はい……」
「ここで雇ってもらいたい人がいるんです」
「世良さんの紹介なら、安心して働いてもらえます。その人は、どんな方なんですか?」
「以前ここで働いていた、三宅オサムさんです」
「あの子……」
当時はまだ若かったが、いまでは十五年分の年を重ねている。
彼が、この件に関わってしまったことも伝えてある。
「……あいつも、言ってくれればよかったのに」
「ここに迷惑をかけないようにしたんです。犯人グループは、この職場のことも知っていましたから」
「……わかりました。またうちで、働いてもらいます」
じつは三宅の情報をくれた市川に、彼をさがしてもらうようにお願いしていた。もう隠れる必要はなくなったのだから、社会復帰してもらいたい……。
彼をそういう生活に追い込んだのは、連中のような人間を野放しにしていた警察の責任でもあるのだ。かつて警察官だった世良にも、いま現役の警察官にも関係のないことではない。もしそれを、自分の管轄ではないと無関心な警官がいたとしたら、それはもう警官失格だ。
「あ、それと、世良さん……来週、遺骨をもどせると、警察から連絡がありました。ささやかですが、葬式をあげたいと思ってます。世良さんは弟をみつけてくれた恩人です。迷惑とは思いますが、出席していただけると……」
「はい、必ず出席します」
* * *
「──以上が、調査結果になります」
依頼人の赤松に、報告を終えたばかりだ。
「まさかこんな大きな事件になるなんて……」
彼女の声には、驚きがにじみ出ていた。
「本当にありがとうございました。お金を返してくれた方は亡くなってしまって、電話の声の方は、不幸な人生を送ることになっていた……なんと言えばいいのか」
「赤松さんの依頼があったから、事件が発覚したのです」
「三宅さんという方は、再就職できたのですよね?」
「はい」
「よかったです……」
安堵の声のあと、依頼人はためらいがちに続けた。
「あの……料金は、本当にあれでよかったのでしょうか? もう少し、お支払いしたほうが……」
「いえ、あれで充分です」
「そうですか……それでですね……」
まだ、なにかあるようだ。
「べつのことで相談があるのですが……」
「なんですか?」
「じつは遠縁が千葉にいるのですが、声をさがすとか、そういうのではないんですけど……」
「大丈夫ですよ。私たちにできることなら」
「先日、その親類から連絡があって、優秀な探偵を知らないかって相談されたんですよ。まえにべつの探偵社に依頼した話をしたことがあって」
そういえば今回の依頼は、うちで二件目だったことを世良は思い出した。
「わかりました。最終的には内容を聞いてからの判断になりますが、お引き受けする方向で」
「よかったです……ただ、ちょっと場所が辺鄙なところでして」
「千葉なんですよね?」
「そうなんですけど……いま想像しているよりも山のなかだと思ってください」
──こうして、休む間もなく次の依頼にとりかかった。
「千葉って、東京のとなりですよね?」
峰岸の呆然とした声が車内に流れた。
かなりの山道らしい。
「こんなところに家があるとは思えません。あ、」
なにかを発見したようだ。
「集落があります」
このあと孤独な戦いが待っていようとは、世良は想像すらしていなかった。