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遠い声Ⅲ  作者: てんの翔
2/12

VOICE.1 十五年前のメッセージ 中編

       3


『折原工務店』は、現在でも経営を続けていた。ホームページもあって、所在地や電話番号も掲載されている。

 まず電話をかけて用件を伝えた。応対したのは、中年の女性だった。しかし社長が不在なため、詳しい話は聞けなかった。明日には帰ってくるそうなので、世良はアポイントメントをとった。

 午後一時という約束をとりつけた。

 翌日になって、折原工務店をたずねた。足立区内だが、依頼人の実家──金型工場があった場所とは少し離れている。入り組んだ路地に、運転している峰岸は嘆き声をあげていた。

 工務店は、想像していたよりも大きかったようだ。峰岸が先導してなかに入ると、あまり歓迎されてない話し声が耳に届いた。

「え? 聞いてないぞ」

「今朝、言いましたよ」

 電話で応対した女性と、社長が口論しているのだ。

「お忙しいところ、申し訳ありません」

 来てしまった以上、開き直るしかない。

「あ、どうぞ」

 女性のほうが声音を変えて、部屋まで案内してくれた。

「イスがあります」

 峰岸の誘導で、席についた。

 部屋の外から、

「もう来てるんですから!」

 と女性の声が怒っていた。

 お茶が運ばれてきて、社長が入室した。

「お忙しいところ、申し訳ありません」

 繰り返した。社交辞令としてだけでなく、本心もふくまれていた。

「いえ、お気になさらないでください」

 社会人としての礼儀はわきまえているようだ。丁寧な口調になっていた。

「世良といいます」

 名刺を差し出しながら、言った。

「社長の折原です」

 声の印象は、六十歳を過ぎている。この人物が、元従業員の兄でまちがいなさそうだ。

「探偵事務所の方が、どういったご用ですか?」

「弟さんについてです」

「弟ですか……」

 ため息にも似た声がもれていた。

「弟が、なにかしでかしましたか?」

「いえ、ちがいます。ある方からの依頼で、人をさがしているのですが」

「弟を?」

「ちがいます。ですが、そうかもしれません」

 世良は、事情を説明した。

「電話の声を……ですか」

「はい。弟さんの所在はわかりますか?」

「わかりません。もう何年も会ってませんよ。十五年前と言いましたか? そうですね、最後に会ったのもそれぐらいだと思います」

 そこで世良は、お茶を一口飲んだ。会話の流れを変えるためだ。

「そのころ弟さんに、姿を隠す理由がありましたか?」

「姿を隠すって……」

 その表現に、社長は鼻白んだようだ。

「借金はありましたか?」

「……あったんじゃないですかね」

 不機嫌になったことは、あきらかだった。

「そういえば……同じころ、警察から電話がありました」

 厳しい眼光を向けているのだろうが、さいわいなことに、世良には見えない。

「弟が、なにか犯罪にかかわっていないか調べてるんですね?」

「いえ、ちがいます」

 あらてめて、そのことを強調した。

「お金がもどってきたという話でしたね? つまり弟が盗んで、それを返したと疑っているんですね?」

 そのとおりなのだが、依頼は犯罪の追求ではない。どうにか、そのことをわかってもらわなければ。

「では、はっきりと言いますね。私個人としては、疑っています。当時担当した警察官も、疑っているようでした。ですが、依頼人は疑っていません。いえ、正確には、お金を返した人が犯人かどうかは気にしていないのです」

「それなのにどうして、その人はさがしているんですか?」

 弟を、という意味と、犯人を、という意味がふくまれているのだろう。この男性にとっては、同義語になってしまっている。

「お礼をしたいそうです」

「どうして?」

 心の底から理解できないようだった。

「もどってきたお金で、依頼人の工場はつぶれなくてすんだと」

「盗んだかもしれないのに?」

「はい。もっといえば、たとえ返した人が盗んだとしても、感謝の思いはかわらないそうです」

「……」

 見えなくても、深く考え込んでいるのがわかる。

「それで、これを聞いてもらいたいのですが」

 となりで座ってる峰岸に合図をおくると、彼のスマホにコピーしていた音声データを流してもらった。

 例の留守電が、社長の耳に届く。

「この声に、聞き覚えはありますか?」

「つまり、この声の人が、お金を返したんですね?」

 世良は、うなずいた。

「弟の声ではありません……」

 少し安心したような声音がまじっていた。

 しかし、だからといって盗んだのが弟ではないとはいえない。

「若い人の声ですね……」

 おかしな沈黙があった。

「心当たりがあるんですか?」

 むこうの表情が見えないことがもどかしい。

「どこかで……」

「美佐江さん!」

 社長が、大声でだれかを呼んだ。

「はーい」

 遠くから返事があって、数秒後、扉が開いた。

「なんですか?」

 最初に応対してくれた女性だ。

「これ、聞いてみて」

 留守電の声を流す。

「だれの声だっけ? 聞いたことない?」

「そうですね、あるような……」

 女性にも覚えがあるようだ。

「だれでしたっけ……」

 しばらく、無言の時間が続いた。

「ああ、あの子じゃないかな」

「どこの子?」

「ほら、あの若い子。むかし働いてた」

「若い子なんていたっけ?」

「名前なんていったかな……オサムちゃん」

「オサム?」

 社長は思い当たっていない。

「どんな方でしたか?」

 世良は、女性に向けて言った。

「若い子です。二十歳は超えていたのかな」

「そんな若いやついたか?」

 二人のやりとりは、嚙み合っていなかった。

「いましたよ」

「あ、ああ、いたような気がするな……そんなのが」

 ようやく、女性の言うオサムに記憶が追いついたようだ。

「その方は?」

「オサム……上は、なんていったっけ?」

「三宅じゃなかったかしら」

「三宅オサムさん?」

 世良は、整理する意味で確認した。

「そうそう。オサムは、どんな字だったっけ?」

「それは忘れちゃった……」

「その方は、どんな人でしたか?」

 二人のどちらでも答えられるように、質問した。

「うーん、半年ぐらいだったかな、うちにいたの」

「それぐらいだな」

「どれぐらいまえですか?」

「ああ、やっぱり十五年ぐらいじゃないかな」

 十五年前に働いていた……。

「その三宅オサムさんは、どういう理由でやめたんでしょうか?」

「理由なんて聞いてないと思うよ。突然、来なくなっちゃったんじゃないかなあ」

 世良は、女性のほうに顔を向けた。

「そうみたいです」

 峰岸が教えてくれた。女性も同意する表情をしたようだ。

「三宅オサムさんの連絡先とかわからないですか?」

「いやぁ……履歴書とか残ってないよ」

「でもほら、スーパー裏のアパートにいたんですよ」

 女性が言った。

「そのアパートは、いまでもありますか?」

「アパートは残ってたような……」

 その言い方だと、スーパーはすでになくなっているようだ。

 世良は、そのアパートの位置を教えてもらった。

「もし、調査で弟に会うことがあったら、連絡をよこすように伝えてください」

「わかりました」

 お礼を言って、工務店をあとにした。


       4


 アパートは現存していたが、三宅オサムを覚えている住民はいなかった。大家はアパートの管理を不動産屋にまかせているそうので、そこもたずねてみた。

 しかし五年前までの記録しか残っておらず、ここでも有力な証言は得られなかった。

 プッツリと、声への糸が切られたようだった。

 翌日、万世橋警察署の稲垣から電話がかかってきた。峰岸が名刺を渡していたのだ。稲垣は、調査の過程が気になっていたようだ。

 三宅オサムのことを報告した。もしかしたら当時、捜査線上に浮上していた人物かもしれない。

 が、そう簡単には運ばなかった。稲垣にも覚えはないそうだ。しかし、そのことがめぐりめぐって成果になるとは……。

 稲垣の電話から三日後、江戸川区の警察署に勤務する市川という警察官から連絡がきた。知らない名前だったし、声にも聞き覚えはなかったから、面識もないはずだ。

 あとでわかったことだが、稲垣から鹿浜署の井上に報告がいき、その井上が西新井署にいる同期の警察官に三宅オサムの話をした。

 その警察官は十五年前はおろか、二年前に異動してきたばかりなので、窃盗事件のことはなにも知らない。しかし、三宅オサムという名前に覚えがあったそうだ。

 その西新井署の警察官は、もとは江戸川区の警察署にいた。そこで三宅オサムという人物が捜査線上に浮かんだことがあるという。そして現在でもその署に勤務している市川にまで話がいったという具合だ。

 市川の話では、三宅オサムは、ある強盗事件に関与しているのではないかと疑われていた。だが、それは濡れ衣であったことがいまでは証明されている。

 住所不定であり、金銭的にも困窮していたことから、ほぼ犯人でまちがいないだろうと当初は見立てられていた。が、三宅オサムは容疑をきっぱりと否定した。その姿が、捜査員たちの印象に残ったようだ。

 日雇いの仕事はしているが、江戸川の河川敷でホームレス同然の生活をしている容疑者の男に、誇りのようなものを感じたという。

 世良も興味をひかれた。

 まずは、その三宅オサムと電話の声が同一人物なのかを確認しなくてはならない。

「ここに集まってます」

 水の流れる音は、ほとんどしない。鉄橋をわたる電車の騒音が、ときおり耳を裂く。

 ホームレスの家が並んでいる場所だという。家といってもダンボールを組み立てた簡素なものだときめつけていたが、トタンや鉄板をつかった本格的な住居もあるようだ。峰岸が、しきりに感心している。

 彼らの体臭は、思ったほどきつくはなかった。ここの住人は、きれい好きが多いのかもしれない。

「とりあえず、聞いてみますね」

 峰岸が、聞き込みをはじめた。

 世良はそれに参加せず、その場で耳を澄ました。

 だれだ? 役所か? サツか?

 いろいろな囁き声がする。

「王海さん、こっちですって」

 二分ほど進んだ。

「すみません、三宅オサムさんですか?」

 相手から返事はなかった。

「いました」

 ということは、うなずいて認めたようだ。

「失礼ですが、声を聞かせてもらえませんか?」

 世良は、お願いした。

 声は聞こえてこない。

「不思議そうな顔をしています」

 見ず知らずの人間からそう言われても、たしかに状況を理解できないだろう。

「私たちは、探偵事務所の者です」

 同時に、峰岸が名刺を差し出したはずだ。

「探偵? 探偵がなんの用ですか?」

 まちがいない。電話の声と同一人物だ。

「十五年前、金型工場にお金を届けませんでしたか?」

「なんのことですか?」

 その返答は、むきになって否定している印象があった。

「留守電に、あなたの声が残ってました」

「……知らない」

「いえ、あなたの声です」

 自信をもって、世良は伝えた。

「聞いてみますか?」

「いいえ……」

 三宅オサムは、力なく答えた。

「あらためてお聞きします。金型工場へ電話をかけたのは、あなたですね?」

 返事はなかった。

「うなずきました」

 峰岸の声で、ようやく肩の荷が下りた。

「三宅さん、私の依頼人が、あなたをさがしています」

「どうして?」

「お礼を言いたいそうです」

「お礼?」

 よほど意外なことだったらしい。

「もう一つ確認しておきますが、工場にお金を返したのは、あなたですよね?」

 峰岸に顔を向けた。

「動いてません」

 声でも動作でも、答えてくれないようだ。

「そのお金は盗まれたものでした。しかし依頼人は、そのことを追及するつもりはないそうです」

「……」

「依頼人とお会いすることはできませんか?」

「いえ……」

「わかりました……では、依頼人にはみつかったことだけを報告します」

 これで仕事は完了したはずだった。

「……金のことは知らない」

 ボソリ、と三宅オサムはつぶやいた。

「え?」

「おれは、伝言を残しただけだ」

「どういうことですか?」

「頼まれた……」

「だれに?」

「社長に似た人……」

 社長?

「工務店の?」

「そうみたいです」

 うなずいたようだ。

「社長に似ていた……弟ですか?」

「知らない」

 そうだとすれば、やはり金を盗んだのは折原ということになる。

「そのときの状況を教えてください」

「……思い出したくない」

「それは、どうしてですか?」

 世良は切り込んだ。なにか嫌なことがあったはずだ。でなければ、その話だけ拒否する理由がない。

「なんで……こんな生活をしてると思う?」

「逃げてるんですか?」

 だから特定の住所をもたない。

「いまはマシだ……もうだいぶ経ったから」

「追われていた?」

「追われてもいたし、監視もされていた……」

「十五年前に、なにがあったんですか?」

「また蒸し返して、やつらを怒らせたくない……」

「あなたの安全は守ります」

「どうやって? 探偵は身辺警護もしてくれるのか?」

「警護はできませんが、あなたを追ってる人たちが犯罪行為をおこなっていれば、警察が対応するはずです」

「警察は、なにもしてくれない……」

「ではあなたは、これからもそういう生活を続けるつもりですか?」

「しかたない……」

「ですが、あなたはまだ人生を投げてない」

 世良は自信をもって言った。

「あなたに容疑がかかったとき、あなたはきっぱりと否定した」

「なんのことだ……疑われたことはあったが、やってないから、やってないと言った」

「人生を投げていたら、そうはならない。あなたのことを、担当した刑事は覚えていた」

 彼に伝わるかどうかは、関係なかった。

 この男性に、人生をやりなおす機会をあたえたかった。

「教えてください」

 偽物の瞳で、みつめた。少しずれているかもしれない。かまわなかった。

「あなた……眼が?」

「この眼をつぶされたとき、おれは人生を投げなかった。あなたと同じだ」

「……」

「三宅さん!」

 こうやって訴えかけるしかない。

「あの人は……社長に似た人は、やつらに追われていた」

 三宅オサムは、静かに語り出していた。

「やつらとは?」

「たぶん、闇金とかそういうの」

 チンピラ風の男たちに、折原が追われていた。隠れていた折原が心配になって、三宅が声をかけた。

 そのときに、伝言を頼まれたという。

「では、その逃げていた男性は、すでにお金を返したあとだったんですね?」

「そこまでは知らない……そのときは、状況もよくわからなかった。てっきり、あの人が自分の家族に荷物を届けたのかと思ってた……」

 届けました。大丈夫ですか──の大丈夫ですかは、折原の安否を心配するものだったようだ。

「それから、どうなったんでんすか?」

「その人は、逃げ切ったのかと思った……だけど、数日後にやつらが職場にやって来たんだ」

「どうやって連中は、あなたのことを?」

「たぶん、あの人が捕まったんだと思う。おれはあのとき、工務店のツナギを来ていた。そこから身元がバレたんだ」

「連中は、なんと?」

「話をするなと」

「どんな話を?」

「とにかく、話をするなと脅された……。その日から職場も見張られてた。だから、すぐに辞めた」

「そのあとも?」

「ああ、べつの職場に移っても監視されてた。それがイヤで、姿を消したんだ。だが、やつらはどこに隠れても追ってきた。こういう場所にもあらわれた。三年前ぐらいかな、ようやくいなくなってくれた」

 十年以上も、連中は監視を続けていたことになる。それなりの組織力が必要だ。

「その連中の特徴は、なにかありませんか?」

「おれを見張ってた人間の首筋には、サソリのタトゥーがあった」

「わかりました。その連中をさがしだします」

「それだけで、わかるんですか?」

「使えるものは、なんでも使います。おれはむかし、警察官でした」

 念のため、彼には安全な場所にいてもらったほうがいいだろう。

 世良の事務所に来てもらおうと提案したが、あっさりと断られた。

「大丈夫……姿を隠すのは、なれてる」

 そう言って、三宅は歩き出した。

 呼び止めても無駄だった。

「王海さん……」

「事件を解決させよう」

 世良は、峰岸に言った。決意のようなものだった。

「事件て……」

 おそらく、折原の身になにかおきている。

 最悪のケースも考えられる。

「どうしますか?」

「おれたちだけじゃ、どうにもならないだろう。それこそ、警視総監の力でも借りるしかない」

 冗談半分、本気半分で世良は答えた。


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