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遠い声Ⅲ  作者: てんの翔
16/17

VOICE.6 三年後の未来①

       1


 探偵事務所は、朝からちがう意味での緊張に包まれていた。

「ねえ、おもしろそうじゃない?」

 赤松が訪れていた。これまで彼女にまつわることで、いろいろと厄介な依頼にぶつかることが多かった。それによって利益を受けていることもたしかだが、心がどこか重くなっているのも事実だった。

「作家の東郷道雄の館でおこなわれるんですって」

 その作家は、すでにこの世にはいない。たしか数年前に死亡しているはずだ。

「その息子が、遺産を賞金につかうってことみたいだけど」

 どうやら、広大な館のどこかに東郷道雄が生前に隠したものがあるという。それを探し出すために探偵やミステリーマニアをつのっているそうなのだ。

 隠されたものを──というところに、不安を感じる。それについては赤松の責任というわけではないが、どうしても千葉での事件を思い出す。

「世良さんなら、賞金を獲得できるんじゃないかしら」

「はあ……」

「ね、参加してみなさいよ」

 館のある場所は、奥多摩の山中らしい。

 賞金は、三億円。

 そこまで莫大だと、眉唾ものだ。本当に支払われるのかも疑わしい。そもそも、本当に隠されたものなど存在するのだろうか。

「わたしが話をもってきたからって、賞金額からいただこうってわけじゃないから心配しないでね。獲得できれば全部、この事務所のものですから」

「はあ……」

「参加者は、明日までに連絡することになってるのよ」

「はあ……」

 とてもではないが、乗り気にはならない。

「まあ、おもしろそうじゃないですか」

 峰岸の発言は、いつものお気楽さかくるものか、それとも停滞した会話を少しでも進めようとしているあわられなのか。

「参加費用とか、かかるんですか?」

「ただよ、ただ。だから参加しちゃえばいいじゃない」

「そうですね、そうしましょうよ、王海さん」

「んー」

「ね、決まりね! じつは、もう申し込みしちゃってたのよ。頑張ってきてね!」

 赤松が帰ってから──、

「参加費がただなら、行かなきゃいいだけですよ」

 峰岸が言った。そういう魂胆があったようだ。

 しかしその日はもう一人、厄介な客がやって来た。

「あのぉ……」

 年齢は、二十代後半から三十歳ぐらいだろうか。声音だけでは、細かな判断はできない。

「ご依頼ですか?」

 峰岸が応対する。世良は、座ったままだ。

「なんというか……」

 やって来た男性は、気弱な印象が強い。

「はい?」

「ここは、世良王海さんの事務所なんですよね?」

「そうですよ」

「そちらの方が、世良さんですか?」

 じつは、この段階で世良は警戒をしていた。

 いつでも攻撃できるように、男との位置関係を計算に入れる。

「世良さん……」

 男が、世良と正対しているのはわかる。腰を少し浮かせた。

「あの! お願いがあります!」

 立ちかけたが、座り直した。杞憂だったようだ。

「あなたは?」

 王海という下の名前を知っているということは、ただの依頼人ではないはずだ。

「紹介が遅れました……ぼくは、馬込といいます。警視庁公安部に所属しています」

「公安!?」

 峰岸が、逃げるように距離をあけたのがわかった。

「世良さんが、うちのОBなのは知っています」

「……知ってるのは、それだけですか?」

 恐る恐る峰岸が質問した。

「え?」

 馬込と名乗った男性は、事情を理解していなかった。

「公安のどこですか?」

 世良は訊いた。

「ですから、世良さんと同じです」

「一課ということですか?」

「そうです」

 公安一課は、国内の左翼過激派を担当する部署になる。ただし、世良が現役のときと同じ役割だったら、という前提だが。

「それで、相談というのは?」

「ご存じのとおり、いまの国内担当は……いえ、世良さんのいたときはもっとマシだったのでしょうけど、いまはハッキリ言えば閑職のようなものです。公安といえばエリートの部署と思われますけど、それはキャリアの幹部か、外事の話です」

 愚痴のような言葉が続く。

「西のほうの大学については、知ってますよね?」

「関西、という意味ですか?」

「はい」

 国内担当が西の大学と表現した場合は、東京の西ではなく、関西を指すことが多い。

「具体的にいえば、京都にある有名なエリート大学ですよね?」

「ええ、まあ……」

 その大学は、どちらかといえば左翼傾向が強く、公安の監視対象になっている。

「それが?」

「じつはぼく、そこに先月まで潜入してまして。あ、これは外部には漏らさないでください」

「警視庁なのに、京都ですか?」

 峰岸が素朴な疑問を口にした。

「国内担当は、どこも人手不足なんですよ。いまの時代、人員をさいてくれないですから。なので、遠くへの出向が多いんです。それに大学は危険も少ないので、ぼくのような落ちこぼれでもできる」

「その大学で、なにかあったんですか?」

「半年ぐらい通いましたけど、これといったトラブルもなく、かといって有用な情報もなく……」

 世良は、軽く息を吐きだした。話の進行が遅い。

「あ、ごめんなさい……話をまとめると──」

 表情から察したのか、馬込は反応した。

「じつは、潜入先で……ある話を耳にしまして」

「それは?」

 ためのような間をつくったので、世良が続きをうながした。

「学生たちに広がっている噂があったんですよ」

 また、ためをつくった。今度は、なにも言葉を挟まない。

「ある番号に電話をかけると、殺人を請け負ってくれる人物がいるって……」

「殺し屋?」

「……そうですね、そういう表現もできますね」

 殺し屋、というワードに過剰反応していないから、すくなくとも《U》の存在は知らないようだ。

「ぼくだって、そんな話なんて信じていませんでした」

 その言い回しだと、いまは信じているのだろう。

「念のため、調べてみました……本当に殺人がおこなわれたのか」

「結果は?」

 この調子だと、調べる過程の話でまた長くなりそうだったので、そうさきを急いだ。

「関西圏を中心に、該当しそうな殺人事件はありませんでした。といっても、この噂がその大学だけのものでないかもしれませんし、それこそ発覚すらしていない事件かもしれない……」

 全国に噂が広がっているのだとしたら、どこで事件がおこっているかわからない。

「ですけど……やっぱり気になったので、そもそも番号というのが本物なのかを確かめることにしたんです」

「どうやって?」

「かけてみたんです……」

「どうなったんですか?」

 峰岸が、結末を待ちきれないように声をさし入れた。

「男が出ました」

「殺し屋ですか?」

 峰岸の声には、信じていない響きがあった。

「それはどうなんでしょう……男は、どういう用件なんだ、と訊いてきました」

「なんと答えたんですか?」

「まちがえました、と言いました」

「なんだぁ」

 と、残念そうな峰岸。

「どうせなら、だれかを殺してくれって頼めばよかったのに」

「いや……そういうわけには」

 公安とはいえ、警察官なのだ。

「とにかく、電話には出たわけですね」

「はい。その人が殺し屋なのかどうかまでは……」

 しかしそれならば、こうして相談になど来なかっただろう。

「これは……潜入からひきあげてからなんですけど……」

「どうしました?」

「大阪湾で遺体があがったそうです。暴力団員の男です。のちにわかったことですが、三人が犠牲になった強盗致死の犯人であるようなんです」

 現場に残されていたDNAと、遺体のものが一致したという。

「その事件なら知っています」

 つい一ヵ月ぐらい前にニュースで報じられていた。

「まさかとは思いますけど、遺体で発見された犯人の男性が、殺し屋によって殺害されたと考えているんですか?」

 それしか関連を疑う要素はない。

「はい……」

 力なく馬込は認めた。

「なにか根拠はあるんですか?」

「いえ……」

 考察するに、遺体の男は凶悪犯だから、人から恨みをかっていただろう──そういうところから連想したのではないだろうか。

「あ、そういう殺し屋ね……」

 峰岸が、なにか思い違いをしていたような声を放った。

「最近流行りの、闇バイトみたいなやつを連想してました」

 なるほど。闇サイトを利用した殺害の請負事件のようなものを頭のなかに描いていたようだ。

「恨みを晴らすなんて……あの殺し屋みたいですね」

 峰岸の言葉には賛同しかねない。《U》は悪人しか殺さないだけだ。恨みどうのこうのは、依頼人しだいだ。

「まさか……本当に、あの殺し屋ってわけじゃないですよね?」

「それはない」

 世良は答えた。

「電話をつかったとしても、人に覚えられるほど同じ番号をつかいつづけるわけがない」

「あの、さっきから……なんの話をしてるんですか?」

 やはり馬込には、《U》の知識がないようだった。そうだとすると、最初に自ら指摘していた閑職という表現は、正しいのかもしれない。

 べつの見方をすれば、真っ当な公安職員ということになる。

「大阪府警の見解は?」

 世良は馬込の疑問符を無視して、話を進めた。大阪湾だから、勝手に大阪府警の管轄だときめつけた。

 遺体が、かつての強盗殺人の犯人であるという報道以外を耳にしていない。

「事件事故の特定もされていない状態です。当然ですけど、容疑者はあがっていません」

「馬込さんは、その殺し屋を捕まえたいんですか?」

 しかしそれは、公安の仕事ではない。

「……せめて、殺人事件として捜査をするべきです」

「でも、本当に事故や自殺の可能性もあるんですよね?」

 峰岸の指摘はもっともだ。

「ですが、そんな凶悪犯が事故や自殺で死にますかね」

 自殺はともかく、事故は充分にありえるだろう。

「わかりました……それを殺人事件だとして、犯人は電話の相手だとしましょう」

 そういう仮定にしなければ、この話に終わりは来ないようだ。

「その犯人をさがしてほしいという依頼ですか?」

「……」

 馬込は黙ってしまった。

「どうしました?」

「あ、いえ……そこまで考えていませんでした」

 拍子抜けするような回答だ。

「まず、いいですか? どうして、ここに? だれかの紹介があったんですか?」

「さっき言ったみたいに、上司に相談だけはしたんですよ。といっても、うちはそういうの管轄外じゃないですか。だから、なにもしてくれないと思ってたんですけど……メールがきたんです」

「メール?」

「はい。世良探偵事務所に相談するといいって」

「だれからのメールですか?」

「わかりません。社内のパソコンだから……たぶん、うちのだれかなんでしょうけど」

 この場合の社内は、警視庁内という意味だろう。

 世良の脳裏には、坂本の顔が浮かんでいた。眼の見えているときの坂本と、いまの坂本ではだいぶちがいがあるのだろうが。

 前回の面会で、最後に坂本が言おうとしていたのは、このことだったのではないだろうか。

「あなたに会って決心がつきました。お願いします。電話の殺し屋について、調べてもらえないでしょうか?」

「……」

 峰岸のほうを向いた。やめておきましょうと言うのか、おもしろがってしまうのか……。

「やってみましようよ」

 赤松の依頼で大変なめにあっても、結局は峰岸の好奇心に後押しされてしまう。峰岸にとっては「ことわりましょう」も、「おもしろそうですよ」も同義語なのかもしれない。

「依頼をうけるということは、それなりの料金がかかります。それでもいいんですか?」

「はい! 貯金から、なんとかします」

 警察官の貯金額など、たかがしれているが、それは信じるしかないだろう。

「……わかりました。やってみましょう」


       2


「やっぱり、やめといたほうがよかったですかね? イヤな予感しかしません」

 いまさらの反対意見だった。

「なにからやりますか? いっそのこと、ぼくらも番号にかけてみますか?」

 馬込から番号は受け取っている。

「それがてっとりばやいな」

「シナリオを決めておきましょうよ。どうします? だれかの殺害を依頼しますか?」

 それには賛同しかねる。

「どうしてですか? どうせ嘘なんですから」

「こっちは嘘のつもりでも、本当に殺人がおきたら大変なことになる」

「架空の人間をターゲットにすればいいんじゃないですか?」

「むこうが信じてくれれば、それでもいいんだろうけど」

「なら、まえに麻衣さんがつかった手がいいんじゃないですか?」

「どういうの?」

「ほら、殺し屋が王海さんを狙ったやつ」

《U》が日本にもどってきたことを相手に知らせるため、麻衣が提案した作戦だという。本気ではなかったが、世良を狙うことで裏の世界に《U》の帰還を宣伝したのだ。

「実在するだれかを狙わせる?」

「はい。殺しても死にそうにない人を」

 しかし、そんな人選は難しい。

「このあいだのお返しに、殺し屋を殺すように依頼すればいんじゃないですか?」

 頭が混乱しそうな言い回しだが、たしかに《U》が殺される可能性は限りなく低い。

「でも、いまどこにいるのかわからない」

「それがいいんですよ」

 本気の依頼でないなら、たしかにそうなのかもしれない。

「ね、とりあえずやってみましょうよ」

 いくら嘘でも、殺しの依頼をするのは良心が許してくれない。

「んー……」

「じゃ、ぼくがかけちゃいます」

 峰岸が携帯を操作している気配が伝わってきた。

「王海さんなら、聞こえますよね?」

 コール音がしている。

 出た。

『用件は、なんだ?』

 想像していたような、怖い声ではない。

「お願いしたことがありまして……」

『どのような?』

「あの、噂で聞いたんですけど……この電話は、ヤバいことをしてくれるって」

『……あくまでも、頼み事だ』

「どんなことでも?」

『どんなことでも』

「……物騒なことでもいいんですか?」

『はっきり言ってくれ』

「殺すことも?」

 さすがの峰岸も、緊張しているようだった。

『だれを?』

「《U》という男を知っていますか?」

『なんだ、それは?』

「危険な男なんです。だれも、素顔を見た人はいない……」

『そんな人間が本当にいるのか?』

「います。顔を見た者は、全員殺されている……」

 正確には、世良と麻衣だけが生き残っている。

『その《U》というのを殺せというんだな?』

「できますか?」

 ゴク、と峰岸の喉が鳴った。

『……その人物は、どこに?』

「わかりません」

『わからない? それじゃあ、どうすることもできない』

「あの!」

 切られると思ったのか、峰岸は呼び止めるように声をあげた。

「みつけられたらでいいです……なんとか依頼を引き受けてくれないでしょうか?」

『出会う機会があったら……』

「あの……料金は?」

『いらない』

 そこで、むこうから通話を打ち切った。

「どうですかね? お金はいらないって……」

 それが本当だとしたら、殺し屋、というのはまちがいだ。すくなくとも「屋」はつかない。

「いまの人に接触することはできないですかね? そうすれば、本当に殺し屋なのかわかると思うんですよ」

「危険だけどね」

「王海さんなら平気でしょ」

 峰岸のなかでは、世良一人で会うことになっているようだ。

 だが接触するためには、再び電話をかけなければならない。相手が本当に犯罪者ならば、たび重なる連絡は警戒されるだけだ。

 携帯の着信音がしたのは、そのときだった。

「ん?」

 その反応では、知らない番号からのようだ。

「あ、これ……」

「どうしたの?」

「いまかけた番号です」

 電話の男が、折り返したようだ。

「どうしますか? 出たほうがいいですか?」

 世良は、うなずいた。

「はい……」

 峰岸が通話をはじめた。

『いま電話を受けた者です』

「はい、わかります……」

『じつは、会って話をしたいのですが』

 むこうのほうからの要請だ。好都合ともいえる。

「……かまいませんよ」

『どこにお住まいですか?』

「どこへでも行きます」

『こちらは、関西なのですが』

 大学で広まっていた噂というのは、やはり発生源がそちらのほうだからなのだ。

「こっちは、東京です」

『では、そちらにおうかがいします』

 ここまでの会話で、この男性が殺し屋であるという可能性は、格段に低くなっていた。

 最初の電話とは、根本がちがう。社会常識が言葉の端々からにじみ出ている。演技をしていたのだ。おそらく、身元もしっかりしている。

 世良は、峰岸の耳元で、ここに案内してもいい、と伝えた。

 その後、峰岸が事務所の所在地を告げた。

 そして正直に、探偵事務所である、ということも。

 男性に動揺した様子はなく、二日後にここへ来ることになった。


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