VOICE.5 狙われた一週間 後編
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『ザァ──』
雑音の数秒後、クリアになった。
『困るんですよね……』
男性の声だ。どうやら世良にはGPSだけでなく、マイクも仕込まれているようだ。
『私も、OBのあなたとは敵対したくないんですよ』
『おまえの声は知らない』
世良の声だ。生声ではないから、少しちがって聞こえる。会話の内容から、相手は接触してきた刑事なのだろう。一度聞いただけだから断定はできない。
『それはそうでしょう。当時は、まだ制服を着ていましたから。ただし、あなたのことはよく存じていますよ』
『それは光栄だ』
麻衣は、そこで不可解なことに気がついた。これでは、世良を拉致したのは警察官ということになってしまう。
『どういうカラクリだ?』
『言えるわけがない……』
『人数は、10。右側にいる四人は、身長が高い。一人は190㎝ありそうだ。ほかの三人も180あるだろう』
『……どうしてわかるんですか?』
『足音を聞けばわかる。外国人だ』
『どうして、そこまでわかるんですか!?』
刑事は、驚きを増して繰り返した。
『白人は、体臭でわかる。一人香水が強いのも、それを気にしてのものだ。日本人の恋人がいるんだろう』
そこで、外国語がしばらく響いた。英語でないことだけはわかった。
「これ、アルバニア語」
先輩が言った。
「玲奈さん、わかるんですか?」
「わたし、ヨーロッパ言語の研究ゼミに入ってるから。でも、しゃべれないよ。だいたい、どこの国の言葉なのか判別できる程度だから……たぶん、なにを言ってるんだ、みたいな意味だと思う」
アルバニア語の会話が続いたあと、日本語にもどった。
『それで? 彼らが外国人だとして、それがどうしたというんですか?』
『左側にいるのは、日本人だ。まあ、これには根拠があるわけじゃない。だが今回のことを考えれば、自然にそうなる』
『ほう、どのような人たちだと?』
『黒いほうの住人ってとこだ』
世良は、そういう表現をしていた。反社のことを指しているのだ。
『こいつ……』
『黙って!』
だれかが発言しようとしていたのを、あの刑事がとどめた。
『この人を甘くみないほうがいいですよ。一度聞いた声を忘れることはない……いまので、あなたの声は覚えられました』
おそらく、反社の人間に警告したのだろう。外国人とはちがって、日本人は今後もこの国で生活しなければならない。声を覚えられるということは、それだけ行動を制限されてしまうのだ。
『……本当は、眼が見えているんじゃないのか?』
すでに声を出してしまってあきらめたのか、反社の男が言った。
『そうであれば、どれほどよかったか……』
数秒間、沈黙がおとずれた。
『世の中には、こんな怪物がいるということですよ』
車内にも、なんともいえないような空気が流れていた。いったい自分たちは、どんなことに巻きまれてしまったのか……。
『提案をもちかけたいのですが』
場の雰囲気を変えるように、刑事が語りだした。
『提案?』
『はい。あのお嬢さんたちに手は出しません。そのかわり、今回のことには眼をつぶってもらいたいんです──おっと、この表現はあなたには不適切でしたね。耳を閉じていてもらいたい』
言い直したほうが不適切に聞こえた。
『なかったことにしろ、と?』
『平たく言えば、そうです』
世良の笑い声が、唐突に響いた。もちろん、この場面を実際に見ているわけではないから、緊迫感や危機的状況は想像でしかない。だが、やはり笑うような場面ではないはずだ。
『どうしました?』
『いや、失礼。なかったことにしようにも、そもそもおれは、真相を知らない』
『いまはわからなくても、いずれあなたなら、いきついてしまうでしょう。その予防ですよ』
『こんなことまでやるような人間たちが、はたして本当に彼女たちを襲わないと言い切れるのか?』
『そこは、おまかせください』
『あんたは、いったいどちらの意向で動いてる? 公安か組対か?』
『腹のさぐりあいはやめましょうよ。あなたは、その答えにたどりついているでしょう?』
『やはり公安の意向で動いている。組対も動かす必要があったので、異動した──ってところだ』
『ほう。それで?』
『あるヨーロッパの国が、日本の暴力団に話をもちかけた、ってところだろう』
『どんな国ですか?』
『二国が関係している。戦争をしている二国だ』
『ここには、秘密を厳守する人間しかいません。もっと具体的に言ってください』
『ロシアとウクライナだ』
『……続けてください』
当たっているようだ。
『これは、人づてに聞いた話だが……両国のマフィアは、密接に関係しているという』
『そのとおりです。もとは同じ国だった歴史があるのですから、両国の黒社会は、強い絆で結ばれていた。というより、まったく同じ組織が、両国にまたがって繫栄しているところもあるぐらいです』
世良の言葉に補足をくわえるように、刑事は言った。
『それが、ロシアの侵攻でいろいろと変わってしまった。侵攻前まで、ウクライナにはロシア系統以外の組織も多く入り込んでいた。ある意味、西側に近づいていたウクライナは、マフィア天国だったわけです』
二秒ほど、声が途切れた。
『ロシア国内の事情も込み入ってましてね。ロシア大統領とマフィアは、持ちつ持たれつの関係で、うまくはいっていたんです。これにはソ連からロシアに移行した過程も影響している。連邦崩壊後、混沌としていたロシアを支配したのは、政治家ではなくマフィアだった。いまの大統領になってからも、当初はそれが続いていた』
世良は、おとなしく刑事の高説を聞いているようだ。
『しかし独裁色が強くなると、マフィアは肩身が狭くなった。大統領としても、マフィアを軽んじるようになっていった……おっと、話が長いですね』
また二秒ほど、沈黙。
『事態が急変したのは、少しまえのことでしてね。大統領の料理番と呼ばれていた人物が、暗殺されたんですよ。この日本でね』
これまでも物騒な話だったが、より凶悪な内容になっている。
『このことは、世良王海さん──あなたにも無関係なことではないんですよ』
『心当たりはない』
『でしょうね。ですが、われわれにとっては、あなたが殺したも同然なんです』
『ひどい言われようだ』
『その暗殺者がだれであるのかは、もうおわかりでしょう?』
麻衣にもわかった。
『話をもどしましょう。暗殺された人物は、大統領にとって重要な人物でした。直属の傭兵部隊を指揮していたのです。残虐行為は数知れず、その部隊が動いたあとには、あまたの屍しか残らない……』
『それで?』
『その部隊こそが、じつは最初に語ったマフィアの歴史に関係してくるのです。いまの大統領になり、ロシアを統べるのがマフィアから政治家に移ったことで、黒社会から表の世界に出てくる人間があわられた。そのなかには、もともとKGBやスペツナズにいた者もいたでしょう。ソ連崩壊で食いぶちに困った軍人がマフィアに身を落とし、再びもどってきたという見方もできますがね』
ロシアの裏事情に興味はなかったが、このまま聞き続けるしかない。
『世良さんには釈迦に説法でしょうが、そういう輩が、民間軍事会社をつくったんですよ』
『おれは軍事の専門じゃないし、外事でもない』
『ですが、ロシアとウクライナだと言い当てたんですから、すくなくとも詳しい人物が近くにいるのでしょう』
麻衣は、じっと聞き入っている峰岸に視線を向けた。ちがうちがう、と首を横に振っていた。
では、べつのアドバイザーがいるのだろうか。
『その軍事会社が……まあ、今回のことに関わっているわけです』
『どのように?』
まるで世良は、聞いている人がいることをわかっているかのように、進行してくれる。いや、こうして聞いていることがわかっているはずだ。ただし、麻衣と先輩がいることまでは知らないだろう。
『頭を失ったことで会社は方向性を失うだろうと、われわれは考えていたんですよ。あ、われわれというのは、うちだけではありませんよ』
会社というのは、民間軍事会社のことで、うちというのは、公安のことを言っていると麻衣は想像した。民間軍事会社というのを、いまいちイメージしにくいが。
『いまのを少し整理していいか?』
『はい?』
『民間軍事会社というのは、傭兵を派遣する会社ということでいいんだな?』
『世良さん……なにをいまさら……』
相手は、あきれていた。
『うち、というのは公安だな? つまり、公安だけが傭兵派遣会社の衰退を考えていたわけではないということだな?』
『なんなんですか? まるで、素人にでもなったようですよ』
麻衣は、そこである可能性に思い当たっていた。
これは本当に、素人に対して話をわかりやすくしてくれているのではないか、と。
「峰岸さん……、もしかして世良さん、知ってるんじゃないですか?」
自分たちがここで音声を耳にしていることを。
「まあ、いまは聞こうよ」
それは、ごまかしに思えた。とするならば、可能性は二つだ。こちらの音声も、世良に聞こえている。しかし、そのためにはイヤホンを耳に装着しなければならない。むこうだって、それぐらいはチェックするだろう。
残りの一つは、はじめから麻衣と先輩をつれてくるつもりだった──。
『まあ、いいでしょう。軍事会社の兵士たちはね、マフィアと行動をともにしはじめたんですよ』
『それは、日本に来ていた連中ということだな?』
『そうですね、言葉が足らなかったですね。でも厄介なのは、国外に逃げていたマフィア連中もこの国に集まりはじめているということなんですよ。ロシアが侵攻をはじめてから、連中は各国に散らばっていたようですから』
連中という呼び方は、世良につられてしまったようだ。
『傭兵とマフィアが、集合しているということだな?』
『そうですね……マフィアの歴史で語ったことです。彼らは軍人であり、裏社会の人間なんです。つまり、もともとその境界はない』
『日本に集まって、傭兵たちもマフィアにもどるつもりだと?』
『もどるという意識もないでしょうね。金にさえなれば、立場なんてどうでもいいんです』
『どうして日本が選ばれた?』
『連中にとって、最適の場所だからでしょう。前提として、ロシア国内は除外です。資本主義の崩壊したロシアでは、利益は出ない。かといって、アメリカをはじめとした欧州諸国では入国も難しくなった。その点、日本は容易だ。北海道にはロシア人も多い。スパイ防止法もありませんから、ロシア本国から指令をうけての工作活動もやりやすい』
『国を出たのに?』
『金になれば、どうでもいいんでんすよ。もちろん金払いが悪ければ、本国の命令は機能しないでしょうけどね』
恐怖しか感じない内容だ。
『で、われわれとしては……あ、このわれわれというのは、本当の意味の「われわれ」です』
公安だけの、という意味?
『われわれとしては看過できない、というわけです』
『まさか、一般市民のため、とは言わないだろうな?』
世良が言った。皮肉だということは、麻衣でもわかる。
『真の思惑がなんであれ、市民のためにもなることです』
『詭弁だな』
『なんとでも言ってください。ですが、世良さんに免じて、正直に告白しましょう。連中の力を削ぎたい……のですが、われわれは戦闘集団ではない』
『それで、組対に出張か?』
『そういうことです』
十秒ほど沈黙がおとずれた。
『あの子が目撃したのは、だれだ?』
『それは言えません……ヒントはあげましょう──』
『広域暴力団の幹部のだれかだ』
ヒントをもらうまえに、世良は口にしていた。
『幹部のだれかが向かっていたのは、狸穴だろう?』
まみあな?
聞きなれない言葉だ。
すぐに反応は返らなかった。それとも、元公安刑事や、その場にいるほかの人間たちの表情にはあらわれているのだろか。
『さすがですね。いえ……もとはあなたもこっちの人間なんですから、推理することもできますよね……』
『おれは外事じゃない』
『そうでしたね。ですが、素人でもない』
『問題は、なんの目的で狸穴に通っていたのか……だ』
『あなたのことですから、おおよその見当はついているんじゃないですか?』
『広域暴力団がロシア大使館に足を運ぶのだから、双方にとって得になることだ』
まみあな、の意味はロシア大使館ということだろうか?
『公安は、暴力団をつかって、むしろ連中をを引き入れようとしている。そうでなければ、ロシアが動くわけがない』
引き入れる?
麻衣は、疑問に思った。それなら、ロシアは抵抗するのではないだろうか? それともマフィア化した兵士がいなくなってくれたほうがいい?
『ちゃんと裏で調整はしていますよ。ウクライナのようなことにはならない』
『ウクライナのように──とは、たとえば日本に住むロシア人が迫害をうけているから、ロシアは国民を守るために侵攻する、というようなことだな?』
やはり世良は、聞いている者にわかりやすいよう、会話を組み立てている。
『はい。ですから、心配は無用です』
『あの国を信用しているのか?』
『まさか』
『あんたらのやろうとしていることは、日本国内にいらぬ火種を植えつけることだ。連中は、あっというまに大勢力のマフィア組織を築き上げる』
それでは取り込むというのは、日本側に都合のよい形ではなく、ロシア側に配慮する形だというのだろうか……。
『そのために、極道の方々に協力をあおいでもらうということですよ』
『共存共栄させると? そんなことができると思ってるのか?』
『あなたは、マル暴については専門外でしょう?』
『それは、おたがいさまだ』
フフフ、という乾いた笑い声がした。
『まあ、こっちもいろいろと根回ししていますから』
『それが、右側にいる外国人たちか?』
『彼らを、なんだと考えているんですか? まさか、そのままロシア人などと考えていないですよね?』
『アルバニアだろ』
麻衣は、思わず先輩と顔を見合わせた。
『……どうして、そう思うのですか?』
『勘だよ』
『勘でわかるわけがありません……やはり、あなたの後ろには、アドバイザーがいるのですね? あなたが、外国語に精通していないことはリサーチ済みですから』
ということは、正解のようだ。先輩が言い当てたように、アルバニア語だったのだ。
『アルバニアのマフィアは、ヨーロッパ各地で暗躍している』
混乱をよそに、世良が語りはじめた。どう考えても、本当に良きアドバイザーがいるのではないだろうか?
麻衣は峰岸の顔を再び見たが、やはり彼ではないようだ。
『麻薬・銃器売買、奴隷もあつかう。もとはコソボ解放軍とも関係が深いそうだな。コソボはアメリカが支援していた関係上、ロシアは反目している。コソボ紛争では、最後にロシアはNATO軍とともに行動したが、いまでもコソボの独立を認めていない』
『……続けてください』
『アルバニアとロシアは、国として仲が悪い。だがロシアマフィアは現在の状況にかぎり、アルバニアマフィアと急接近している』
ロシアが戦争をしているから?
『それで?』
『アルバニアマフィアは、この国には進出していない。が、ロシアマフィアは、北海道を中心に影響力をもっている。アルバニアマフィアをこの国にもってくることで、スケーブゴートにしたいんだろう』
『具体的には?』
『アルバニアマフィアと暴力団で手を組ませて、なにかしらのブラックビジネスをはじめる。そしていずれは、ロシアマフィアがすりかわる寸法だ。途中で問題化すれば、すべてをアルバニアマフィアのせいにして、封殺する』
だから、スケープゴート……。
『残った日本の反社とロシアマフィアは、うまくビジネスを続けていく──そんな陳腐なシナリオだろう。要は、損をするのはアルバニアのマフィアだけだ。ロシア政府は、マフィアがこの国で勢力を広げれば、スパイとしてつかえるとふんでいる。アルバニアの政府にとっても、マフィアを差し出すことで、ロシアとの関係修復を狙える』
『その推理では、大切なことが抜けています。日本政府にとっての利益です』
『液化天然ガスだ』
世良は、簡単に言い当てた。いや、それが正解であるのか麻衣にはわからない。だが、こういうときの彼にまちがいはないだろう。
『日本とロシアがいま意思疎通することができるのは、エネルギー問題以外にないからな』
ロシアと日本が共同開発していた石油だかガスのプロジェクトが、戦争のために頓挫したというニュースを観たような気がする。
『結論を言おう』
世良は、総括をはじめるようだ。
『おまえたちが恐れているのは、車に乗っていた人間を目撃されたことではない』
『……なんだというんですか?』
『公安の国内組に、この動きを知られたくなかったんだ』
十秒ほど、沈黙が続いた。
『普通に考えれば、遭遇したのは夜なんだから、運転手の顔は覚えられたとしても、後部席に乗っている人間までは心配する必要はない。だが、慎重なメンバーがチームのなかにいたんだろう。念のため、目撃者の素性を調べた。そうしたら、おれとの関係がわかった。関係といっても、その時点では直接会ったこともなかった。一度声を聞いただけだ。利根麻衣さんの友人ということだけで──とにかく、あんたらは慎重すぎたんだ』
『慎重すぎる? バカを言わないでくださいよ』
声には、怒りの感情がにじんでいた。これまで冷静につとめていたというのに……。
『あなたが、バケモノすぎるんですよ……現に一度聞いただけの彼女の声を、あなたは覚えていたでしょう!?』
音声としては聞こえてこなかったが、フ、と世良が笑ったような気がした。
『過去に一度だけ聞いた声を覚えている……そんなバケモノが関係してるんだ。慎重にならないわけにはいかないでしょう……』
『おまえは外事だな? 噂では聞いてるよ。一枚岩のはずの公安が、いまでは分裂してるってな』
『だれのせいだと思ってるんですか? すべては、あなたとあの殺し屋の責任なんですよ!?』
ユウのことだ、と麻衣にはすぐにわかった。
『危険だ、消しておこう』
はじめての声が聞こえた。重くて、ドスがきいている。
『仕方ありませんね……』
それまでしゃべっていた男が、あきらめたようにつぶやいた。
『安心しろ、死体の始末はこっちでやる』
「危ないんじゃないですか!?」
麻衣は、峰岸に訴えた。
峰岸は、とくに深刻な顔はしていない。
『はい、そこまで~!』
女性の声?
「この声は……」
桐野刑事のものだ。
『監禁罪、誘拐罪、傷害未遂、脅迫罪、銃刀法違反、公務執行妨害、ほかにある?』
『シスターさん、逮捕・監禁罪は、微妙ですね。世良さん、拘束もされてないし、見たかぎりだと、いつでも外に出られそうだし』
『誘拐罪もちがいますよ。この方は、自分からわれわれのほうにやって来たんですから』
シスターさん、と呼んだのは同僚の吉田刑事だ。誘拐罪に異議を放ったのは、これまで話していた公安刑事だった。
なんだか、想像していたシチュエーションとはちがうような……。
麻衣は、峰岸に視線で確認した。彼は、バツが悪そうにしている。どうやら、無理やり拉致されたわけではないようだ。ということは、峰岸が縛られていたのは、嘘?
『いまのところ、銃刀法違反も成立していません』
吉田が続けた。だれも武器を所持していないのだ。
『その男が、拳銃を持ってる』
世良が指摘した。
『歩き方で、銃を吊ってるかどうかわかる』
『足音でそこまで……やっぱり、バケモノですね。ですが、正当な手続きを経ています』
警察官なのだから、拳銃を所持していても不思議ではない。
『わたしは、あなたから身分を明かされていない。銃刀法違反の現行犯──どう?』
『ギリギリ有効ですね』
吉田刑事が答えた。
『すぐに釈放することになりますけど』
『あとのことは知らない。傷害未遂と公妨は、これからわたしが成立させる』
物騒な気配が、音声だけでも伝わってくる。
『なに言ってやがる! 二人しかいねえじゃねえか!』
この場に駆けつけたのは、桐野・吉田両名だけらしい。
『わたし一人で充分。吉田は、そこで見てな』
バス、ボキ、ドス、打撃音とおぼしきものが聞こえてきた。
そのあとに、ウー、ギャ、ググ、という呻き声も。
『や、やめてくれ……』
鈍い打撃音がやんで、しばらくして……おびえた声が聞こえた。野太い声だから、あきらかに男性のものだ。
『や、やめてっ!』
『ストップ! 死んじゃいます!』
吉田刑事の声が、結果をしめしていた。
『仕方ありませんね……』
公安刑事が、つぶやいた。ただし、あきらめたような響きではない。
『やめたほうがいい』
世良の忠告は、だれに対してのものだろう。
『あなたたちが悪いんですよ……』
拳銃をかまいている姿を、麻衣は想像した。その銃口は、桐野刑事に向けられているのか、世良へのものか。
『ムダなんだ。その距離で、彼女に銃は当たらない』
『なにを言ってるんですか? 拳銃にかなう人間なんているわけがない』
『なら撃ってみろ』
世良が、恐ろしいことを言い出した。
『いいんですね? 悪いのは、世良さんですからね!』
バン!
一瞬、スピーカーが壊れたのかと思うほどの轟音だった。車内でこうなのだから、現場ではもっとすごい音だったはずだ。
『バ、バカな……』
絶望にも似た声が流れたことで、故障していないことがわかった。
サイレンの音が続いたのは、数秒後だった。
『世良さん……わたしと署長、ふたまたかけたわね!』
桐野刑事が憤慨していた。それで彼女の無事が確定された。
『その言い方は、おだやかじゃないな』
本当だ。男女の修羅場を連想させる。そういえば、署長は女性だったのではないだろうか。
サイレンが大きくなった。というより、スピーカーを通さなくても、じかに聞こえいている。サイレンがやんだと思ったら、スピーカーからは、大勢が駆け寄る音が雑音のように広がった。
『そうはさせない! 吉田、時間!』
『22時3分』
『銃刀法違反、殺人未遂、公務執行妨害、その他もろもろで逮捕!』
6
大捕り物のあとに、ワゴン車のスライドドアが外部から開けられた。
「無事ね?」
女性だったが、桐野刑事ではない。制服姿で、もっと年上だ。その後ろには、ほかにたくさんの人間が控えていた。
この女性が、さっき話に出ていた署長なのだろうか。凄みのある美人だった。本当に世良・桐野・この女性との三角関係があったとしても不思議とは思わない。
「一般人をこんなことに参加させるなんて、警察としては受け入れられない」
「まあ、ぼくたちは警察ではありませんし」
いつもお気楽に発言する峰岸が、どこか遠慮がちだった。女署長に恐れの感情をもっているのかもしれない。
「ちょっと世良さん!」
まだ文句を言っている桐野刑事と世良もやって来た。
「あら、桐野遊亜巡査、ごくろうさま」
「署長……」
どうもこの二人の女性の相性は、合っていないようだ。
「今回のこと、わたしの手柄ですよね!?」
「なにを言ってるの? 犯罪の検挙は、警察組織全体の成果よ」
「そんな!」
「……そもそもですけど、今回のこと、犯罪として立件できないと思います」
吉田刑事が言いづらそうに、女性たちに割って入った。
「拳銃所持は警察官なら適法ですし、さっきも言いましたけど、世良さんへの拉致監禁は成立していないです」
やはり世良は、自分から彼らのもとへ向かったのだ。
「世良さん、どういうことなんですか?」
麻衣は、それを問いただした。
「玲奈さんだったよね? きみが巻き込まれたことを、ちゃんと聞いておくべきだと思ってね」
世良は、先輩に向けて言った。
「一般市民を危険にさらす行為だわ」
と、署長。
「ですから、目黒署長にこうしてご足労願ったわけですよ」
わざと丁寧な言葉をつかったようだ。
「最初から、ふたまたしてたんだ!」
桐野刑事の憤慨は止まらない。
「それは今度、なにかで埋め合わせするよ」
世良はそう告げると、先輩に向き直った。
「これからきみは、警察にこれまでのことを証言してください。それで危険はなくなります」
「本当ですか? 怖い人たちから、恨まれませんかね?」
「怖いお兄さんたちは、きみのことを警告の意味で襲うとしたみたいだけど、ことが発覚したのなら、脅す意味はなくなる。計画が頓挫したことで怒りをもったとしても、そんなことで報復するのは割に合わない」
「外国人は?」
「彼らには外交官特権があるから、そもそも逮捕することはできない。ですよね?」
女署長──目黒へ確認していた。
「アルバニア語はわからないから、連行しちゃってるけどね」
という答えが返ってきた。
「まあ、外交官だと証明できれば、なにもできないわね」
アルバニアはそうでも、その裏にいるロシアはどうなのだろう?
「ロシアは、まだ表に出てきてないから、なんの関与もしていないと、とぼけるだろう」
麻衣の懸念は、すぐに払拭された。
しかし麻衣には、まだ不安があった。
「《おおやけ》は?」
公安によって命を狙われた経験があるのだ。
「それは大丈夫」
世良は言った。ただし、根拠の説明は続かなかった。だが世良が、適当なことを口にするとは思えない。
信じるしかなだろう。
麻衣は、先輩にうなずいてみせた。
* * *
翌日、世良は新宿を訪れた。都庁舎に近い歩道橋──。
「やあ」
そんな軽やかな挨拶が似合わない人物のはずだ。
「どうも」
「どうだったかね? われわれの情報は役に立っただろう?」
会っているのは、坂本だった。
「その顔だと、なにか裏があるのではないか疑っているね?」
そんな顔はしていない。
「このところ、外の連中とは折り合いが悪くてね。なんとか足を引っ張ってやろうと、情報を集めていたのさ」
ロシア情勢や欧州マフィアについてだ。
世良のネタ元は、坂本だったというわけだ。
ただし坂本は、あくまでも国内担当のエージェントだから、外事については専門外のはず。
「あのレポートは、だれが?」
もちろん直接、読むことはできない。峰岸に代読してもらった。
「それは秘密だよ。まあ、うちにも優秀な人材はいるんだ」
「そうですか」
「これは、カシだよ」
「……」
「安心したまえ。べつにきみを利用しようとは思っていない」
信じられるわけもない。だが、麻衣たちの危険を排除するためには、坂本の力が必要だと考えた。いわば、世良も坂本を利用したのだ。
「今日は、お礼ということでいいのかな?」
世良は、返答をしなかった。
「まあ、なにはともあれ、解決したのなら、こちらも情報を提供したかいがあったというものだよ」
白々しい言葉だった。
「あ、そうそう……きみに──」
坂本が、よからぬ提案をもちかけようとしていたので、世良は歩き出した。
彼がどのような表情になったのか、世良には見えない。気にする必要はないだろう。どうせこちらを利用するつもりなら、どんな手をつかってでも巻き込もうとするのだ。
* * *
世良王海は歩道橋を降りると、むかえに来ていた助手の男と帰っていった。
坂本は、携帯を耳に当てた。
「レポートごくろう」
女は、返事をしなかった。まるで、聞こえていないかのようだ。
ふふ、と坂本は笑いがもれた。
「どうした? 不満か? むしろ、あの男の手助けをしたことになるのだ。よろこんでいるものと思っていたが」
やはり、言葉はなかった。
「まあいい。また必要なときに動いてもらうよ」
通話を終えた。
心で抵抗しようとも、永遠に自由はおとずれないというのに。あれほどの優秀な人材を逃すことはない。
戦闘能力、情報分析能力、潜入能力──すべての項目でS級をほこる。たとえば、戦闘や潜入は、あの殺し屋に勝てないかもしれない。だが殺し屋には、あそこまでの分析能力はない。満遍なく能力がそろっているのは、彼女ぐらいのものだ。いわば、最高のエージェントなのだ。
余裕で満たされていた坂本の頭脳は、一瞬で凍りついていた。
「!」
赤い光点。
レーザーポインターの光が、歩道橋の上にいる坂本の胸を射抜いていた。
「なるほど……いつでも殺せるというわけか」
すぐに光は消え、坂本は女がいるであろう方角をみつめた。
「……はたして、できるかな?」
その視線の先──。
「……」
女は、覗いていたスコープから、瞳をはずした。
自らの呪縛を解き放つのなら、いつかは引き金を──。




